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デス・レース2071年・1a

 そのころ、桃井(ももい)つばさは波に揺られるゴムボートから現場の様子を見上げていた。


 砂浜でボートを貸し出していたことが、本当にありがたかった。露店では防水のバッグも売られていた。翼はそのバッグにみんなが脱ぎ捨てた服を詰め込み、ボートに放り込んで、大急ぎで後を追いかけた。ボートにはジェット推進のエンジンも備わっていて、人でごった返している海上でも、速度に気をつければ安全に航行することができた。


 今、目の前には二つの巨大なバルーン・シップがある。三本マストに大きな帆を広げている帆船と、異常に大量の足を持つ真っ赤な化け物ダコが、取っ組み合って戦っているところだ。天までそそり立つような、その二つの風船には、何百人いるかわからないほどの子供たちと、それに付き添っている大人たちが乗り込んでいる。


 騎馬戦のフォーメーションでスバルを追いかけていた男子たちは、さんざ辺りを彷徨した後に、帆船のほうに狙いを定めて登って行った。


 一方の女子たちはタコのほうへと向かったが、スバルはそちらに逃げ込んでいたようだ。彼女を発見したという(あかつき)しずくからの一報が、みんなのネビュラに届けられた。


 ほんの数分前のことだが、ずいぶん上のほうでなにやら言い合っているらしき大声がかすかに聞こえた。そして、しずくからみんなに、スバルが帆船のほうへ茂雄を殺しに向かったという知らせがあった。それを受けて、女子組のリーダー、海野(うんの)沙織さおりが女子のみんなに帆船へ移るよう指示を出したところだ。


 わかっていることはそこまでで、今は続報を待っているところだ。ボートから上の様子を眺めているだけの翼には、できることは何もない。

 子供たちが波を蹴立ててわあわあぎゃあぎゃあと騒いでいる声が耳に心地よい。翼はここでみんなの服を見張りつつ、のんびり昼寝でもしようかと思った。仰向けで身体を伸ばしても、ボートには十分なスペースがある。


 すると、翼の目の届かないところで、ボートのすぐそばを、怪しげなサングラスを掛けた浅倉(あさくら)晴香はるかが、すいすいと平泳ぎでやって来た。彼女はひまわりの柄をちりばめたビキニの水着を着ている。


 晴香は、ボートに仰向けで寝そべっている翼めがけて、手で作った水鉄砲の水を発射した。

「ぶはっ」

 鼻にもろに水を食らった翼は、驚いて起き上がった。どこのガキがいたずらしやがったのかと辺りを見回すと、すぐそばの水面から晴香がニヤニヤとこちらを見上げていた。


「おやおや、翼ちゃんは泳げないのですかい?」

 晴香はからかうように言った。

 女子たちは全員、スバルを追って帆船のほうへ行ってしまったと思っていたので、急に晴香だけこちらにやって来たことに、翼はびっくりさせられた。ただ、ほんの少し寂しさが紛れた部分もあった。


「泳げないんじゃないの。みんなみたいに上手じゃないってだけ」

 翼は不満そうにボートの縁をばしばしと叩いた。「それに水着も持ってないし」

 翼は白いTシャツにピンクのショートパンツを穿いた、さっきの格好のままだ。

「水着なら、私がひと泳ぎして買ってくるのに」と晴香。

「いいの」

「本当は泳げないんでしょ?」

「うるさい!」


 翼はボートから身を乗り出して晴香の頭をひっぱたこうとしたが、手は虚しく髪の先をかすめただけだった。晴香の短い黒髪は元々くせっ毛のために、濡れたせいでくるくると巻き毛のようになっている。翼はその巻き毛に指を絡めようとしたが、晴香は器用に身をかわした。


「ダメダメ、すばしっこさでは私に敵うわけないよ」

「その自信はどこから来るわけ?」

「とりあえず、これを見てごらんよ」

 晴香はいきなり頭からザブンと海に潜ると、水の中で何やらくるくると宙返りのようなことをして、またすぐに浮き上がってきた。


 その手には、二つの大きな足ひれがあった。それはイルカのひれにそっくりで、艶々とした濃い青だった。これならいかにも速く泳げそうだ。

「そんなのインチキじゃない」翼は大いに不満を漏らした。

 晴香は涼しげに言った。

「インチキでもなんでも、頭を使わなきゃ。私が男子たちにこれを持っていってあげたから、みんなはあんなに速く追いかけていけたんだよ」


 晴香はまるで秘密諜報員のように、見えないところでいろいろと工作を行っていたようだ。さすがは情報戦に長けた通信士だけのことはある。


「ところで何の用?」

 翼がそう問いかけている間に、晴香は「よいしょ」とボートによじ登ってきた。翼はそれに手を貸してあげた。


 晴香はボートの上にあぐらをかいた。ビニールの床の上で、濡れた彼女の身体がつるつる滑った。

「サンキュ」

 と、お礼を言った晴香は、縮れた前髪を大仰な動作でかき上げた。サングラスを取った彼女の目は深い漆黒で、好奇心にキラキラ輝いている。そこに下心が見え隠れさえしなければ、どんなに魅力的だったろうかと翼はほんの少し残念に思った。この浅倉晴香という女は、つい先日も森崎(もりさき)和馬かずまを巡って翼と沙織が奪い合いを演じるような状況を作り出そうとした張本人なのだ。


 疑いを隠しもしない目で、翼は晴香の顔を覗き込んだ。

「また、よからぬことを企んでいるんでしょ?」

「おやおや、心外ですな」

 晴香は一瞬だけ心外そうな顔をしたが、すぐにぱっと明るい笑顔になった。「まあ、確かに企んではいるんだけどね」

「ほら、やっぱり」

「まあまあ、聞いておくんなましよ」


 晴香は急に声をひそめて、身体をぐっと翼のほうへ寄せてきた。あまりに身体がくっついたものだから、翼のTシャツに水が染みてきて、ひやりとした。

 晴香はひそひそ声で言った。

「翼は知らないだろうから教えてあげる」

 晴香はそこまで言うと、急に口をつぐんだ。


 焦らされた翼は、我慢できなくて思わず続きをせがんだ。

「なによ、急に黙らないで」

「これは絶対秘密だよ。他の人には言わないって約束できる? それでも、やっぱり聞きたい?」

 晴香はいちいち人の心を逆なでするような絡み方をしてくる。このまま「うん」と答えると、なんだか相手の思うつぼにはまったようで、翼はなんとなく悔しかった。しかし、翼の中のジャーナリストとしての部分が、ここは冷静に相手の話に乗るべきだと、そっと語りかけてきた。だから翼はうなずいた。


「いいよ、教えて。秘密にしておきたいなら、私も黙っておくから」

 晴香は急に真顔になった。

「それじゃあ、言うね」

 周囲で騒いでいる子供たちの声が、やけに大きく耳に響いてくる。ちゃぷちゃぷという波の音、轟々と吹きつける熱風、ビニール製のバルーン・シップから人々が鳴らしているきゅっきゅっという摩擦音――、それらの音が混ざり合って辺り一面を満たしている。この瞬間が、まるで永久に続くかのように思えた。


「早く言って」翼は急かした。

 晴香はかすれ声で、こう言った。

「しずくは、ミスターのことがずっと前から好きだったの。あの子は本気でミスターをものにするつもりだよ」

 そのニュースはとっておきのスクープのように、翼の頭の中に鳴り響いた。

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