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無限のエネルギー・4a

 スバルは巨大なタコの風船をよじ登った。大小さまざまな吸盤が足に沿ってずらりと並んでいるので、手掛かりはいくらでもある。


 このタコは一般的なタコの常識を超越している。頭のてっぺんから水の底に沈んでいる足の先まで測ったら、おそらく百メートルは超えているだろう。いったい何十本の足があるのやら見当もつかない。それらがグネグネと動き回ることで、タコの形は常にランダムに変化する。子供たちはそこによじ登って追いかけっこをしたり、帆船を守る英雄として戦ったり、たんに捕まった哀れな犠牲者となって足の先に巻き取られて空中で弄ばれたりしている。


 スバルがしがみついている足にも、次から次へと子供たちが飛びついてくる。彼らはそこに人がいようがなんだろうが構わずに突き進んできた。これは良い隠れ場所になるぞと、スバルはほくそ笑んだ。

 タコそのものが全身真っ赤にカラーリングされているので、スバルの赤毛も赤いビキニの水着もその中にすっかり溶け込んでしまえる。


 五人の男たちは、帆船とタコの周りをぐるぐるとあてもなく泳ぎ回っている。その白い軌跡を見下ろしていると、スバルは勝ち誇った気分になった。「ざまあみやがれってんだ」と、思わずネビュラで言ってやろうかとも思ったが、変に調子に乗るとこちらの位置を探知されそうな気がするので、すんでのところでぐっとこらえた。


 グネグネと渦を描いて伸びたり縮んだりしているタコの足に、スバルはじっとしがみついた。何十人と人が乗っていても構わず、タコはものすごい怪力でみんなを振り回している。吸盤をしっかり握りしめて太ももをぎゅっと絞めておかないと振り落とされそうだ。ときに天地が逆さまになって、宙ぶらりんになってしまうこともあり、そんなときはさすがのスバルも肝を冷やした。


 海面までは三十メートルほどもあるのだ。普通の人間が無事でいられる水面までの高さはおよそ十メートルとされている。たとえ下から空気が噴射される安全装置が完備されているとしても、この高さまでくると本能的に恐ろしくて身体が固まってしまう。


 そんな中でも、はしゃいで遊びまわる子供たちはスバルの身体を乗り越えたり踏みつけたりして通り過ぎていく。たまに彼女の水着を手すり代わりにしてぶら下がろうとする子供までいるから油断ならない。こんな状態で水着を直している余裕などないのだ。


 これだけ高いところまで来ると、クロノ・シティ第一階層の西の果てまで見通すことができる。すり鉢状に湾曲した海面の向こうに、高さ十メートルほどの金網が横いっぱいに張り巡らされている。そこによじ登ったりすれば、たちまち監視員によって捕らえられてしまう。もちろん金網は海底まで続いているので、どんなに深く潜ったとしても向こう側に通り抜けることはできない。その先は立ち入り禁止区域として、水が赤く染められている。仕切りが金網しかないのに、どうやってあの赤色を保っているのか、スバルは不思議でたまらない。


 赤い海の向こうには、恐ろしいほどの絶壁がそそり立っている。壁は手前に向かって斜めに傾いていて、上端は櫛のように細かくて長い突起がたくさん並んでいる。そうすることで、大気との衝突で熱を持った空気を上空に逃がす構造になっている。あの辺りの気温は百℃を軽く超え、猛烈な熱風がいくつもの渦になって吹き続けている地獄のような場所だ。


 スバルはまだ、水先(パイロット)船の補助なしに島の端を飛んだことがない。いつかあの場所で救助を行わなければならないようなときがやって来るかもしれない。そんなことを思うと、これから先、自分は本当に宇宙消防士としてずっとやっていけるのだろうかなどと考えてしまう。


 十年、二十年先の自分が、こんな巨大な建造物を舞台に、人の命を救うような大それた仕事をやってのけたりできるのだろうか。スバルは、ほとんど裸も同然の自分の身体を見下ろした。赤い水着だけの自分は、なんてちっぽけで、頼りない存在なのだろうか。


 一人でこんなところに逃げ込んでいる自分が、急に情けなく思えてきたスバルは、このへんで休戦協定を結んでもらえないか打診しようかと考えた。茂雄が半径十メートル以内に近づけないようなルールを設けてさえくれれば、いつまでも逃げ続ける必要もないのだ。


「どうしようかなあ……」

 スバルはつぶやいた。熱い風がびゅうびゅうと顔を叩いて吹き過ぎていった。そんなときでも子供たちがわいわい自分の身体を乗り越えていく。私もあんな風に、何も恐れないで無邪気でいられた子供のころに戻りたいとさえ思った。


「はあ……」

 スバルは深いため息をついた。

 そのとき、すぐ耳元で聞き覚えのある声が聞こえた。


「なにが、はあ……、なのさ」

「わっ、びっくりした!」

 スバルが跳び上がって驚くと、すぐ後ろにチームメイトの(あかつき)しずくがいた。彼女は緑色の切れ上がった競泳水着を着ていて、逞しい腕だけで吸盤にぶら下がっている。


「なんだ、しずくさんか」

 スバルはもう少しで三十メートル下の海面に落下するところだった。そんな彼女を、しずくが長い脚を伸ばして挟みこんでくれたおかげで、なんとか手を離さずにすんだのだった。

「ずいぶん高いところまで逃げたもんだね」

 しずくは、両足でスバルを捕らえたままの体勢で言った。


「ここまでしないと、あいつらが追ってきちゃうでしょ」

 スバルは吸盤にしがみつき直した。ちょうどタコが姿勢を変えて、これまで下だった部分が上になったので、二人は足の上にまたがって座ることができた。


 しずくは普段でも薄着だから周りに筋肉を見せつけるのが当たり前のようになっていたが、こうして水着姿になってみるとあらためてものすごく引き締まった身体をしていることがわかる。それに、チームの中では一番背も高い。体格ではとうてい敵わないスバルは、たちまち劣等感に襲われた。


「そんなにミスターのことが嫌なの?」

 しずくは優しく問いかけた。あまり強い言い方をすると問い詰めているような感じになるので、彼女はそうならないように気を使ってくれている。そこには母親のような包み込む雰囲気があった。


 スバルはうなずくでもなく、首を横に振るでもなく、なんとなく視線を斜めにずらして答えた。

「嫌とか、そういうわけじゃないけど、いきなりすぎて困っちゃうの」

「まあ、そりゃ、そうだよね」

 しずくはそれ以上距離を詰めず、一定の距離を空けてくれている。「そんなにすぐには決められないよね」


「だって、まだ出会ってから半年くらいしか経っていないし、一緒にいた時間なんてほんのちょっとしかないんだよ。ミスターのことをもっと知らなきゃ、何も決められないよ」

 それを聞いたしずくは、ふっと柔らかく微笑んだ。彼女の艶やかな紫の髪が、熱風を浴びてざわざわと波立った。


「私も強引なやり方は嫌いだからさ。スバルが困ったときには力になってあげようと思うんだ」

「ミスターとの間に立ってくれるの?」

 スバルはすがりつくように言った。そうしてくれると、本当に助かる。

「いいよ、私を伝言役に使っても」

 しずくは笑った。「もしかしたら、それで私のほうがミスターのことを好きになっちゃうかもしれないけど、それでもいいならね」


 スバルは思わず「嘘でしょ」とつぶやいた。

「さあ、どうだか。先のことはわからないからねえ。そうなってから後悔しても知らないよ」

 そんなことを言って、しずくは豪快に声を上げて笑った。

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