無限のエネルギー・1b
「ごめん、黒川さん、ちょっといろんなことを思い出しちゃって……」
椅子のひじ掛けに腰かけている茂雄は、よたよたとバランスを取りつつ言い訳した。あまりの緊張のせいで意識は過去へと飛び去り、すっかり現実から遊離してしまっていた。
彼の左手には、かろうじて食べかけの牛のスペアリブがぶら下がっている。これを取り落とすほどに意識が遠のいていたとしたら、彼はきっとこの場で卒倒していたことだろう。
「みんなが聞き耳立ててるから、何か喋らないと」
スバルは口を隠すように手を上げて、ぼそぼそとささやいた。
見れば、焚火台を囲んでいる他の九名は和気あいあいと会話を楽しんでいるようだ。しかし、その会話の内容はどうでもいいような天気の話で、少し風が出てきたねだの、夕方にはもっと気温が上がるらしいよだの、明日は雨が降るかもしれないらしいよだの、そんなことばかりを喋っている。しかも、それに対してまともに返事することもなく、ただ口から出まかせに言葉を発しているだけなのだ。
「くそう、あいつら、人のことをおもちゃみたいに……」
茂雄は恨めしそうにつぶやいた。「俺がどんなに苦しんでいるか、あいつらにも思い知らせてやりたい」
そんな彼の独り言を、スバルはなんとか会話の取っ掛かりにした。
「ねえ、ミスター、何をそんなに苦しんでいるの?」
「え?」
と、茂雄は固まった。
スバルは青い目を無邪気にキラキラさせて、茂雄のほうを見つめている。
当然ながら彼女のほうも、いったい何のためにこのような場が設けられたのかということの理由くらいはわかっている。しかし、それを直接相手にぶつけるというのも野暮な話だ。だからスバルはあえて無知を装って、何も知らない幼児のように相手の懐に飛び込む作戦を取ったのだった。
「何を苦しんでいるのかって、そりゃあ……」
どうすれば君を喜ばせることができるのか、それが頭の中に何も浮かんでこないからさ、ということを直接本人に言うわけにもいかない。
「そりゃあ?」と、スバルも食い下がる。
「そりゃあ……」
いつしか、焚火台を囲んでいるギャラリーたちも会話をやめていた。咀嚼音や飲み物が喉を通る音すら邪魔だとばかりに、一人残らず動きを止めて、茂雄とスバルの会話にひたすら集中している。もちろん、ネビュラの音量は最大だ。
西の衝突面で温められた空気は、熱風となって東に吹いてくる。上空からは第二階層が通過するときの地響きのような音が聞こえてくる。かき回されて渦を巻く白い雲が、外から取り込まれた日光をあちこちにまき散らしている。頭上を飛び過ぎる第二階層の外殻には、ゆらゆらと揺れる海面からの光が反射している。
海辺のコテージは人でいっぱいだ。この島に住む老若男女あらゆる人々が外に出てバーベキューやスポーツやゲームを楽しんでいる。その騒がしい声が周囲を満たしている。まるで世界全体がお祭り騒ぎで熱狂しているかのようだ。海にはボートやヨットが繰り出し、パラセーリングの派手派手しいパラシュートの大群が空を埋め尽くしている。
茂雄とスバルが座る椅子から半径十メートルほどの範囲だけが、ぽっかりと落ち込んだ沈黙のスポットになっていた。そこはさながら超新星爆発の後に生じたブラックホールのようなものだった。仲間たちの興味は、中央を占める二人のこと以外には、何もないのだ。
茂雄はひたすら空回りする脳内で、必死で言葉を探した。なぜこれほどまでに言葉が出てこないのか、彼にもまったくわからない。スバルのことを思えば思うほど、それが本当に彼女のことを愛するが故なのか、それとも己の欲望を満たさんがためなのか、区別がつかなくなってしまう。
スバルはさっきから黙々と肉を食べている。肉だけでなく、野菜も食べている。トマトとレタスをパンに載せて、そこに細かく切った牛肉を重ねて即席のハンバーガーを作りさえしている。さっき俊作が持ってきてくれたバーベキューソースが、それに抜群に合うらしい。
スバルは、ハンバーガーの一つを茂雄のために作ってくれた。
「君が黙り込んでいる間に、一個できちゃったよ」
スバルがハンバーガーを差し出しながら見せた笑顔が、茂雄には本当に天使のように見えた。彼の心は震えた。こんな人がこの世に実在しているのなら、この世界を守るために自分の命を捧げても十分お釣りがくるに違いないと心から信じられるほどの震えだった。
「ありがとう」
茂雄は手を出し、ハンバーガーを受け取った。そのとき、彼の口から、自然とこんな言葉が漏れた。「今、ちょっと、この前のことを思い出していたんだ」
「どんなこと?」と聞き返すスバルは、まっすぐに茂雄の顔を見つめている。
「人工衛星から要救助者を救い出す訓練のことだよ。あのときは黒川さんがしっかりみんなの手綱を引いてくれたおかげで、俺たちのチームはテストに合格できたんだ」
当のスバルはすっかり忘れていたらしく、ほんのちょっと思い出すのに時間がかかった。
「ああ、あのテストね。ミスターも一緒だったんだっけ……、そうだっけ……」
すっかり忘れられていたことにショックを感じつつ、茂雄はがんばってその先を続けた。
「あのとき思ったんだ。もしも、自分が怪我をして運ばれるようなことになったとしたら、そのときは……」
「そのときは?」と、スバル。
「そのときは、君が操縦する船に乗りたいって」
茂雄はそのとき、ようやく胸の中で思いをせき止めていたものがすべて流れ去ったのを感じた。




