楽園実験(後編)・4a
骨付きの牛肉が網の上で焼かれた。脂の匂いが辺りに充満する。
それを見下ろす新人宇宙消防士たちは、火照る頬に煙を浴びて、なんだかぼうっとしていた。
比較的冷静でいられている翼が、みんなに飲み物を配った。それは呼び出された男子たちが持ってきてくれたもので、アルコールの入っていないビールやカクテルなど、妙に大人びた銘柄のものがたくさん含まれている。非番中に酒は飲めないので、彼らなりに気を使ったようだ。リサイクルが容易な樹脂製の缶が、コンテナの中で氷水に浸かっている。
「和馬くんはどれがいいの? ビール?」
重いコンテナを、翼はまるごと差し出した。
「俺は甘くないほうがいいな」
和馬はコンテナからノンアルコールビールの缶を一本引き抜いた。そして、急に気がついたように、両手でコンテナの端をつかんだ。「重くないかい? 俺が代わりに持とうか?」
急に軽くなった手元に、翼は慌てた。これは機械細胞のせいなのだろうか、男性から優しい言葉を掛けられると、なぜだか胸がドキドキして、自分が自分ではなくなるような気がしてしまう。
「いいよ、和馬くんはリーダーなんだから、ここでどっしり構えていらっしゃい」
翼はコンテナを取り戻すと、その隣りの落合茂雄に話しかけた。
「茂雄くんは、飲み物はどれがいいの?」
「俺かい?」
茂雄は他のことを一生懸命考えていたようで、ふいに現実に引き戻されたように、目を大きく見開いた。彼は通信士らしく、特殊な眼鏡を着けている。それは一般的なネビュラの端末では処理しきれない情報を何倍もの速度で処理してくれる外部演算装置だ。この眼鏡があれば、以前、翼が宇宙でバランスを崩して端末が処理落ちしたようなトラブルは起こらない。
「どれでもいいから、早く選んで」
翼の両腕はコンテナの重さでぶるぶる震えている。
「わかったよ」
と、茂雄が適当に選んだのは、フランス人が好むリキュールのパスティス(アルコール抜き)だった。誰がこんなものを混ぜたのだろうかと、翼は驚いた。
「茂さん、本当にそれでいいの?」
「別に、なんだっていいよ」
茂雄にとっては、そんな細かいことを気にしていられるような気分ではないらしい。
翼はそれから、パイロットの拓也と、宇宙船技師のジュウザと、救命医の俊作にそれぞれ飲み物を配った。みんな最初は軽めのビール(アルコール抜き)を選んだ。
女子のほうにはすでに飲み物が行き渡っていた。こちらは甘めの炭酸飲料が主だ。
第十七小隊ブラボー・チームのリーダー、海野沙織はさっさと缶を掲げて、乾杯の音頭を取った。
「今日はお忙しいなか、男性陣の皆様方には突然の呼び出しに応じていただき、大変感謝しております」
「いやあ、それほどでも」と、代表して和馬が答えた。
「女性陣の皆々様も、私の突然の思いつきにお付き合いいただき、大変感謝しております」
「最初に出掛けようって言いだしたのは翼だけどね」
と、晴香が補足した。「海に行こうとか、男子を呼ぼうとか言い始めたのは沙織だけど」
「その通り、なんだか今日はわたくし、とても気分がよろしいので、みなさんそろって楽しみたいと思ったんですの」
沙織は缶を掲げたまま、胸に片手をあててそう言った。なんだか感無量といった面持ちだ。
沙織は言った。
「今日は私たちの、宇宙消防士としての新しい門出を祝って、大いに食べ、大いに飲もうではありませんか」
「お昼に私たちは、ちゃんこ鍋をお腹いっぱい食べてきたんだけどね」晴香は補足した。
「そこ! 余計な口を挟まない!」
沙織はぴしゃりと言った。
「ちゃんこ鍋だって……」
と、男たちはザワザワし始めた。そこには女子たちへの畏怖と呆れとがないまぜになっている。
救命医の美穂は、横にいる拓也に尋ねた。
「男子たちは、お昼は何を食べたの?」
「何も食べる気力なんかなかったよ。帰って来たらすぐぶっ倒れて、さっきまで寝てたんだ」
それが普通の宇宙消防士の勤務明けの過ごし方だった。しかも、休憩を挟みながらとはいえ七十二時間も連続で現場に出た後なのだ。
「君たちは少しは寝たのかい?」
そう尋ねたのは、こちらも救命医の俊作だ。
「一時間くらいね」
と、美穂は答えた。「お腹が空いたから、すぐ買い物に行って、みんなでご飯を作ったの」
ひゅー、と男たちは声を漏らした。そこには女子たちへの畏怖と呆れとがないまぜになっている。
「さて……」
沙織は気を取り直して、挨拶を続けた。「そろそろ手も痺れてまいりましたので、乾杯の音頭を取らせていただきます。みなさん張り切って! 元気よく! 声をそろえて! 参りましょう! 乾杯!」
沙織がどんどん声を大きくしていったので、みんなも一緒に大きな声を出し、結果として気持ちの良い乾杯になった。
みんなはぐいと缶を飲み干した。一人だけパスティスを選んでしまった茂雄は、その薬臭い独特の風味で大いにむせかえった。それを見たみんなから、大きな笑いが起きた。スバルも笑っていた。スバルの視線を感じて、茂雄はたまらず背中を向けた。
その横にいた宇宙船技師のしずくが、そのたくましい腕で茂雄の背中を叩いて励ました。
「茂雄、今日はまだ始まったばかりだよ。このくらいでしょげてちゃダメだ。しっかりがんばりな」
それはまるで肝っ玉母さんの言葉のように、茂雄の胸に染み入った。
「ありがとう、母さん」
「私はあんたの母さんじゃないよ」
しずくは、茂雄の肩をつかんで、前に向き直らせた。彼の半袖のワイシャツは汗でぐっしょり濡れていた。下は半ズボンだが、濃いすね毛も流れる汗でぴったり肌に貼りついている。
「なんだよ、だらしない。たったこれくらいのことでだらだら汗を流しちゃってさ」
しずくは呆れながら、炭酸飲料をぐびりと飲んだ。「ちっとは、しゃきっとしなよ」
「そうは言うがな、母さん……」
「私はあんたの母さんじゃないよ」
しずくはぴしゃりと言った。「それより、その情けない視線はいけないね。目がすっかり泳いじゃってるじゃないか。そんなものを見せられたら、燃え上がりそうな恋も一気に冷めちまうだろうよ」
「それなら大丈夫だよ」
茂雄は眼鏡のフレームに指をあてた。すると、瞬時にレンズが真っ黒になり、いかついフレームとも相まって、まるで秘密組織のエージェントのような面構えに変わった。「こうすれば、泳いでいる目は見えないはずだ」
しずくも満足そうに鼻息を荒くした。
「よし、それで行ってこい!」
彼女に背中を力いっぱい叩かれた茂雄は、よたよたと前につんのめった。
「危ない! 危ない!」
とみんなから言われて、すんでのところで焚火台をかわした茂雄は、そのままよちよちと二、三歩前に進み、そこで優しく手をつかまれて、ようやくバランスを取り戻した。
彼の手をそっとつかんでくれたのは、なんと青い目をした黒川スバルだった。彼女は意識するあまり真っ赤に頬を染めて、おそるおそる茂雄の顔を見下ろしていた。
茂雄は驚きのあまり目をぐるぐる回していたが、真っ黒なレンズのおかげでその情けない顔を見られずに済んだ。
「さあ、ミスター、今こそ正念場だぞ」
後ろから、和馬がささやきかけた。「いつまでもグズグズしていられないだろ。とにかく一歩を踏み出せ」




