SS 015_R 働く長官2(前)
魔王さまの懐刀を自認するアガレスは、今日も仕事に励んでいる。
その窓のない部屋は、ニューヨークの宝石商にある。尚、店の経営者は一般のニューヨーク市民――傀儡ではあるが――で、アガレスは宝石の仕入れ担当者の立ち位置にいる。いわゆるbuyerという奴だ。専門知識があり、時勢を読み解き、数字に強く、倫理観を持っていることが必要とされる職種だが、果たして彼はどうか。
一辺が20cmほどの黒箱の角に納まっていた六角棒を取り外して、それを倍以上に伸ばして机の上に置いた。そして、人差し指と中指に指鞘を嵌めれば準備は完了だ。
宙に指をくねらせ、認証用の陣を描けば、六角棒の上方と側方に光の面がせり出した。
側方の光面を指で触れれば、上方の光面に文字が流れていく。
その雰囲気で解ると思うが、それが彼らの情報端末機だ。知識の海と言える冥界より生まれ出でた魔人ではあるが、“情報の断片”を分別なく身体に取り込み続ければ自我が崩壊する。知識の外部端末化は必須なことだと分かるだろう。
尤も、幼稚な世界でそれを行うと問題も起きる。古の営業戦士たちは十桁の電話番号を数百件は記憶していたが、携帯機器の発達によって、数個の暗証番号も覚えられない人が出てきている世界もある。
「これはなかなかに使える話しのようですね」
“情報の断片”を集積した端末で、顧客からの噂や言い洩らしを精査していたアガレスが姿を消した。
◇
アメリア合州国 政府直轄地 官邸 にて
「ダメです。偵察衛星の軌道を修正して見ましたが、何度、挑戦しても空白です。光学でもSARでも結果は同じでした」
中央情報局の情報本部の分析担当次官が、科学技術本部の傍受部の分析官を伴って報告を行う。
国家の安全保障にまでは発展しないと考えられているのか、国家情報長官自らによる情報提供ではないようだ。
尚、光学とは赤外線などを、SARとは電波などを使用して、宇宙から地上の画像データを入手する方式だ。
「高高度からの空撮、及び、海中からの接近も出来ませんでした。当該海域への侵入がかないません」
分析官の報告に、国防情報局の武官も頷く。彼は統合参謀本部の偵察作戦支援を担当する幕僚でもある
急速な海洋進出行動を強める白華公民共和国に対して、東シナ海や南シナ海で哨戒活動をしていたポセイドン(哨戒機P-8の愛称)を当該海域に廻しての作戦行動である。そこから本件の優先度が伺えた。
報告されているのは、南鳥島の東南東約1,400kmに位置するアメリア合州国の環礁ウェーク島の津波被害の調査過程で知れた謎の海域についてである。
「機器が、Spatial-D(空間識失調)を起こすらしいですよ」
官邸事務局を取り仕切る首席補佐官が自身の皮肉に笑う。
「まるで、バミューダのようだな」
「いやいや、魔女が煙でも焚いたんですよ」
「海上でかね」
それに大統領が応えた。二人はバリー、デニーと呼び合う個人的な友人でもある。
バミューダトライアングルは、過去のオカルトではないらしい。2015年には貨物船が消息不明になり、一か月後に乗員のみが不明で発見された。2017年には小型機が不明となり、現在まで原因不明のままだ。未だ科学的に何も立証されていない。
南向きの大きな3枚の縦窓を背に年代物の肘掛け椅子に身を委ねるのは、超大国アメリアの大統領だ。
報告を受けている場所は、映画や実写などで見たことがあるだろう、あの執務室である。
太眉の狙撃手に暗殺されそうな室内配置はどうかと思うが、東西北の三方には5枚のドアがあり、それを背にするのも好ましくない。前室を設ければ良かったのにと思うばかりである。尤も、西のドアは個人的な部屋に通じているので、それを背にするのは有りだ。古くの大統領たちはそうしていた。だが、今は映像などの“映え”も気にしなければならないのかも知れない。
「当該海域を試験航海中だったバージニア級(原子力潜水艦)の報告では、海図にはなかった卓状山地を確認したとのことでしたが……」
それは当該海域に地殻変動があったであろうことの証左となる。
ウェーク島の津波被害は、海底が隆起したことが原因で意見は一致しており、現在は情報不明区域に調査対象が変化していた。
「分からないと言うのは、やはり、気になるな。他に方法はないのかね」
「無人機での侵入も試みましたが、結果は変わりませんでした」
探究心――知識を求めたり、原因の解明に当たったりなどを追及する姿勢は非常に大事だ。
「電子機器が正常に機能しないことの原因が分かるまでは、いかんともし難いです」
「それだよ。なにか人為的なものを感じざるを得ないだろう」
大統領は、超大国アメリアが情報技術的に後手を踏んでいると言うのは受け入れがたいことだと、分析官たちに滲ませる。
「周囲からの観察を続けるのが現状では最善と存じます」
艦艇であれ航空機であれ、電子制御のない機体など、壊れた棺桶以下の存在にしかならない。
「気球を飛ばしてみるとか」
電子機器が使えないならば、目視に頼るしかない。首席補佐官が頭を捻る。
「……海の上で、ですか?」
いつもの冗談か本気か判別がつかず、分析官が肩をすくめた。
「ピュアグライダーなんかはどうだ。今は安定して飛ばせるんだろ?」
首席補佐官は諦めない。
「確かに、ソアリングの訓練を課してはいますが……」
動力がなくとも、上昇気流を捉える技術のあるパイロットならば、高く長く飛行することが可能だろう。(それらをsoaring飛行と呼ぶ)
幕僚も困り顔だ。今は軍人にも命をかけろと言える時代ではない。
意見の出なくなった執務室で首席補佐官と大統領の間で軽口が叩かれる。
「イーサンでも召集しますかね」
「スタントなしで、かい?」
当局は関知しないと言うのも魅力的だ。
そんな二人に場が和む。
そう、まだ何も支障は出ていない。深刻さをまとう必要は一切ない。
creaky
鍵が閉まっていたはずの西側のバラ園の扉が開くまでは……。




