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010 殿上の長との会談(後)

 倉橋は、懐と袖口に余裕のある狩衣を簡素化したような上着を羽織り、下は袴ではなくジーンズである。

「何者かっ!陛下の夢見に侵入しようなど、私が許さぬ。

 形ある霊よ、引き下がるのであれば見逃そう。

 しかし、これよりも先に進もうとするならば、必ず滅してくれるぞ!」

 明らかな侵入者であるにも関わらず、誰何をした上に、立ち去るように求める。どこぞの国のように敷地に入っただけで問答無用にズドンと行かないところが日本らしいと言える。

「ほう、飼い犬同様に、威勢だけはいいらしい。

 しかし、この宮城の主に用がある。案内するか、叩きのめされるか、好みの方を選ぶが良い」

 チビ魔王のお望みは、その表情と話しぶりから明らかに後者である。無造作に一歩、足を踏み出す。

「そのぞんざいな態度っ!警告はした。後悔するぞ!」

 倉橋が袖口から、右手の人差し指と中指の間に一枚の護符を挟んで取り出す。


「行くぞ!阿に吽。急急如律令(早々に退散せよ)

 指先から放たれた護符は紙切れとは思えないほどの鋭さでもって、チビ魔王の眼前に向けて飛ぶ。

「喝っ!」

 その気合と共に護符が爆散する。

 と同時に、阿と吽が上下に分かれて左右から飛び込む。

 しかし、その場にチビ魔王の姿は無く、阿と吽の牙は空を切る。

「なんだと、支獣の攻撃をかわしたというのか」

 可愛く見えても、阿と吽はいわゆる幻獣である。十二支獣のなかでも、滅びと再生を結ぶ支獣=戌である。


 倉橋の横の宙に現れたチビ魔王は、倉橋の横顔に裏拳を放つ。倉橋は一回転しながら吹き飛ばされた。

 膝をつき、手の甲で口元の血を拭う倉橋と、その前でぺしんぺしんと前足で地団駄を踏む犬ころを見て、すでにチビ魔王の期待感は失せている。

「まだまだっ」

 倉橋は護符を放ち、爆散させ、自身は指を拡げて腕を二振り、空を四縦五横に切る。そして、結印。

 “九字の呪”である。

 拳に魔を滅する蒼き焔をまとわせる。

 炎とは現実に燃え盛る火炎、(ほむら)とは感情(こころ)が生み出す火炎。

 それを見て、チビ魔王が目を丸くする。

「ほう、摩を身にまとわずに(こころ)の力のみで想いを形に為すか!これぞ、我が見たかったものはっ!」

 魔王さまのヤル気が復活!

 宙に浮かぶチビ魔王は、両手を広げて、哄笑と共に、それを歓迎する。


「舐めてくれるなよ!」

 倉橋が拳を振るう。

 その拳の焔は、拳が突き出される延長線上に伸びて魔王さまに迫る。

 チビ魔王はそれを振り払うかのように腕を振るう。

 拳の焔が消失する。

 倉橋の顔が左右に弾かれる。

 倉橋はそれでも拳を振るう。

 だが、顔を左右に弾かれる結果は変わらない。

 チビ魔王は飛び掛かってきた阿と吽の額を手で押さえると、そのまま、地面に叩きつけた。

「ぐふっ」「きゃん」「わふぅ」

「だが、地力が足らぬ。それで終わりなのか」

 地面に倒れた倉橋の頭を掴み上げ、そのまま宙に持ち上げる。弛緩しているのか、だらりと手足を下げたままだ。チビ魔王の身体も宙に浮いているが……。

 頭を締め付けられているのか、倉橋の口から苦悶の声がもれる。


『……そのくらいにしてもらえないだろうか。

 倉橋くん、もう良いです、下がってください。

 阿に吽、その方を案内して来て下さい』

 お座りするネズミが言葉を発した。ねじり鉢巻きに隅取腹当てを身に付けている。

 子犬大(サイズ)の阿と吽のさらに半分ほどの身形(みなり)でも、支獣の立派な一員だ。

 最初に駆ける者、強運を運ぶ者、死を告げる者=()である。

 だが、この落ち着いた声が、この支獣のものではない事は、一人と二匹の様子からも容易に察せられる。

 チビ魔王が、手を放した。

 倉橋が四つん這いになり、咳き込んでいる。

 阿と吽がためらいがちにその場をくるくると廻っていたが、チビ魔王と目が合うと仕方がないとばかりに先導し始めた。



「ほう、これは自然を縮尺して愛でるという趣向か。悪くない」

 チビ魔王の右側には、池を中心とした回遊式庭園が見渡せた。

 殿上の長がおわす清涼殿は渡り廊下をぐるりと一周した先にある。内庭に降りれば、近道も可能だが、案内とはそういうものではない。

 尚、廊下を進むチビ魔王は土足だが、足跡はつかない。阿と吽の支獣も同様だ。共に霊体なので気にするべくもない。

 チビ魔王は頭の後ろで手を組み、ぺたぺたと歩みを進めるがその速度はゆっくりとしたものである。

 それに対して、阿と吽は足を速めたり、横に回ったり、少しでもその歩みを増すように促す。

 何しろ、殿上の長がこの夜中に起きて待っているのである。待たせてはならない。少しでも早く参上しなければならないのに、この者にはそのような素振りがない。

「わふっ、わふっ」

「そう急かすな。よい夜風ではないか。それに月も……ほう、でかいな」

 ランダブバスの魔王城から見える月よりも数段大きい月に驚きの目を見張る。

 チビ魔王は自らの進度(ペース)を崩すことなく、殿上の長が住まう御殿にたどり着いた。



 御所の中でも、誰にもその歩みを遮られることもなく、殿上の長の前に姿を見せたチビ魔王。

 恐らくは、殿上の長がその道中に起こり得る悶着の可能性を避けるべく下がらせたのであろうと思われる。

「随分と年老いているな。しかし、その気は悪くない」

 会った早々に失礼な物言いである。

「それらは、随分と可愛らしい身振り()のようで」※見振りは身形(みなり)だけでなく、その感情(しぐさ)や言葉遣いまでも含めた言葉である

 言葉に皮肉は込めるが、長椅子に座る老爺は穏やかな口調で返す。そこに気負いは感じられず自然体である。

 隣には老婆が寄り添うように座り、チビ魔王に微笑みかけている。

 阿と吽が老爺と老婆の前に進み、伏せをする。前屈みになり、「ご苦労様」とその頭を優しく撫でる老爺。


 その返答に反発することなく、チビ魔王が目をつむり、一つ息を吐くと、その後ろの空間が波打ち、魔王さまとアクア・スが現れた。

 魔王さまがチビ魔王の頭に手を置くと、チビ魔王の姿は霞むように消えていった。

「何故、アクア・スまで来る」

「先程、身体の番をせよとお命じになられましたゆえ」

 涼しい顔で答えるアクア・スに、魔王さまはしまったという顔をみせる。咳払いをして、これが本当の身形だと言い、断りもせずに老爺たちの対面の長椅子に座った。

 アクア・スは応接机に、どこから出したのか、ティーセットを用意する。温かいハーブティーとお茶請けはマカロンのような焼き菓子である。

 まるで、そこが自分の居場所であるかのように自然にティーカップに手を伸ばし、魔王さまはお茶を口にする。

「夜分に済まないな。どうしても今日、会ってみたくなったのだ」

 もう零時を過ぎているので実際は昨日なのかも知れないが、ここまで自分の進度(ペース)で進めてきた魔王さまが言い訳をするというのは驚きである。

 大げさな言い方かも知れないが、それは相手の進度に合わせたとも言えるからだ。もしくは、どこまでも自然体の相手に合わされたか。

「どちらさまが、どのようなご用件でしょうか」

「言ってなかったか。我は魔王である」

 魔王ということを強調したかったのか、少し気を放ってしまった魔王さま。だが、その気を受けて老婆が苦し気に胸を押さえる。

「はあっ、ちょっと待て。アクア・ス、回復薬!」

 魔王を名乗る者が差し出す薬である。当然、二の足を踏むが、その者の目に悪戯心(いたずらごころ)はあっても悪意を感じなかった殿上の長はそれを受け入れた。

 薬を飲み、表情を和らげた老婆を見て、その場の誰もがほっと一息する。

「我は交渉に来たのだ。ここで死なれては困るぞ」

 老婆に謝罪をし、老爺にも危害を加えることはないと伝え、先に身体を休めるように伝える。老爺にも勧められ、席を立つ老婆にアクア・スを付き添いに立たせた。その後ろを戌の阿が心配そうについている。

「御夫人には申し訳ないことをした。済まない。本題の前に御老体は神の血を受け継ぐ者とか、本当か?」

「さて、どうでしょう。そのように書いた古文書もありますが、私はみなさんと同じ普通の人間であると思っています」

 何度か聞かれたことなのだろうか、苦笑いを浮かべながら、老爺が答えた。

 そこに、アクア・スが戻ってきた。

「御夫人には寝台に入って頂きましたが、夫の君が戻るまでは起きているとのことです。何かあれば、あの犬が知らせてくれるでしょう」

 そう言って、魔王さまの背後に立つ。

「さて、では話しをするとしようか。我はこの国にとある施設を造ろうと思っている。そのためには土地が必要だ。聞けば、そなたらには使えなくなった土地があるようではないか。そこを譲れ。何、用が済めば、そなたたちが使えるようにして返してやろう」

 交渉と言ったし、威圧もしていないが、椅子に深く座り、カップを傾けながらの言葉は明らかに命令だった。

 老爺は椅子に半分腰掛けた状態で重心は前にある。

「どのような施設なのですか」

「心配するようなものではない。娯楽施設だ」

 魔王に娯楽施設と言われても、良い想像をすることは難しい。

 誰にとっての娯楽か、と問う事も出来よう。

「それは難しい話しです。そもそも、私にはそれをどうこうする権限はありません」

「権限がない?そのようには聞いていないが……。御老体がそのように発すれば、民は受け入れるのではないかね」

「私から国民の皆さんに押し付けることはありません。私は国民の皆さんと共に歩む者なのです」

 そうか、何事もなければ、それも……と思っていたが、魔王さまが老爺と目を合わせると、そこには非常に強い意志が感じられた。覇気と言い換えても良い。

(そうか、その目を我に向けるか。ふふふ、悪くない。悪くないぞ、源人よ)

 確かに、勇者が生まれる土壌の国のようだ。

「わかった。この国のもう一人の代表と言われる者の元に赴くとしよう」

 魔王さまが席を立つ。

 部屋から出る前に一つの質問を重ねた。

「御老体、そなたの願いはなにかな」

 その質問に老爺は即答する。

「みなと寄り添い、安寧の世を歩むこと。それが望みであり、私がそうあるべしと願うこと」

 望みとは将来によせる可能性、それを自分の心の内に想うもの。

 願いとは、それを具体的に「こうなって欲しい」「こうしたい」と神仏や人に頼むこと。

「ならば、この先のこの国の行く末を見守るためにも、身体を(いと)うがよい」

 扉を出て、暗い廊下に出た魔王とその配下はその闇に姿を溶け込ませた。


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