007 中間報告
アガレスの手には、魔王さまに報告を上げる前の事前資料としての報告書が次々と上がってきていた。
それは、もちろん、魔王さまが勇者育成計画と称するあの計画に対してのものである。その中でも、魔王さまが詳細資料をお求めになられた“日本”という地域の資料だ。
総務府の長官の立場にあるアガレスには、すべき仕事が山ほどあるが、他の何よりも優先されるのが、魔王さま関連の仕事だ。彼の経験上、魔王さまが直に差配した案件では、後始末を含めて何故か仕事量が増大する不思議があった。
しかし、今回に限っては、その情報の収集先が始まりの世界になる。そこには、アルバスの直接の配下である上位魔たちしか立ち入ることが出来ないので致し方ないと言う側面もある。
事前資料には、地球に関しての物理的な特性(惑星の大きさや運動、大気組成)、自然環境(水陸分布や気候環境)、生物分布などに関する記載がある。
アガレスはその地域での行動に支障が生じると言うようなことはまず無いであろうと考えていた。生物が生息し、進化を果たしているという段階でそれほど大きな差異があろうとは思えないからである。
しかし、重大な点が2点。
摩素が大気中にほとんど存在しないこと。
これによって居住に適さないという判断にはならないものの、我らの行動に制限がかかることは否めない。
支配種族(この惑星の場合は源人族)が、居住に適した地域のほぼ全域に進出を完了しているということ。
我々がこの土地で活動拠点を得るためには、あまり好ましくない土地を選択するか、もしくは、選択したその土地を占有している者を排除する必要がある。
エレメンタル姉妹は、既にあの失神勇者を召喚したシナヘゲモニ公国に行き、その資料の接収と、企画した人、物などの廃棄を終了したと言う。
精霊である彼女たちは尋問などの手間はとらない。自然災害、つまり、竜巻、洪水、火災などが人や街を襲った。そして、風聞が流れる。悪事を働いた者に天罰が下ったのだと。さすれば、源人は責任の所在を確かめ始める。もしくは、当事者が逃れるために余計な動きをせざるを得なくなる。そして、嘘や誤魔化しが露見していく。
さらに他国でも同様な事例がないかの追加調査に取り掛かっている。
掌典職(祭祀を行う者)であり、魔術に長けたパイモンは、その資料を参考にするまでもなく、異世界への門の理論構築を終えたようだ。後は繋ぐ先との調整を加えるだけだとか。それについては別段、驚きに値することではない。現にアガレスの部下が冥界を通り、その地球や日本に行き、調査活動をしているのだから。
とは言ってみたが、それは冥界をゆりかごとする我ら魔人族だからこそ可能な話しである。魔人族とて、下位魔程度であるならば、冥界に足を踏み入れると同時に分解されて元の自分を保てなくなるだろう。それは魔人や獣人とて同じこと、死という事象そのものである。かの地に渡るたびに我らが付き添いせねばならぬと言うのも面倒な話だ。
それに効率が求められるならば、それもまた有難い。毎回、接続先の設定をしないで済むようになる上に、冥界に取り残される危険が回避できる。
すでに、魔王さまがその門の名称を“地獄門”と呼ぶことにしたようだし、私も早々に本件での成果を魔王さまに提示せねばなるまい。
しかし、源人族の数が70億を越える……か、下等な生き物は繁殖力が高い傾向にあるものだが、よくもまあ増えたものよ。
これだけの数だと敵対行動をとられた場合、わずらわしく感じるに相違ない。
あまり、考えても致し方ないか、まずは魔王さまにここまでの報告をした後に、ご意見を伺うとしようか。
◇◇◇
「……と言うことでございます。で、今後の方針でございますが、どのように致しましょうか」
アガレスからの中間報告を、口頭にて魔王さまが受け取る。
「ほう、それだけの数がいれば、勇者の素質を持つ者の数も相当なものよな」
「対象地域の日本の生息数は1億と2千ほどとのことでございます」
それを聞いて、魔王さまの期待は高まるばかりである。
「それで現地拠点でございますが、転移などの方法もありますが、やはり、摩素の存在がないということで、利便性を考えれば、活動する場所に近いほうがよろしいかと思われます。日本の一部を接収すると言うことでよろしいでしょうか」
アガレスは、あっさりと日本占領計画を持ち出す。
「う~む。危機に追いやって、生存本能を高めさせるか。それも悪くない。……が、もう少し、様子を見たい。仮の拠点を近場の海上にでも設けるとしよう」
後少しのところで、日本人総奴隷化から話は逸れた。
◆
闇夜に、蝙蝠の羽根を拡げ、爬虫類の尻尾を踊らせる人影が浮かんでいた。
魔人のアガレスである。
その眼下には、波打つ海面以外は何もない。例え陽の光があったとしても、遥か彼方を望んで、陸地の影は見られなかったであろう。
わざわざ、夜の時間帯を選んだ訳ではなかったが、報告には高高度からの視線を感じるとの報告もあったのでそれで良しとする。
「さすがの私でも、摩素のない地で、この作業は難しいですからね」
独りごちて、懐から宝珠を取り出す。摩宝珠である。
摩宝珠とは、吸湿性である摩結晶に特殊な措置を加えた後に加圧し真球となし、聖なる泉の碧落にて、魔の森の濃い瘴気を吸収し続けた鉱石。
それは見る角度によってさまざまな色彩を見せた。
源人族もそのような宝物が泉の底にいくつも沈められているとは思いもしないであろう。
これから行う作業、実はアガレスの得意中の得意だったりする。
上に向けた左手の平に摩宝珠をのせ、それに〈言葉〉と〈意志〉の力をこめて落とした。着水した海面が渦を巻く。
その事象はアガレスが浮かぶ宙空の下の海面のさらに下の下から始まる。
その場所は大陸棚ではない。その海域のなかでは比較的水深の浅い海底山脈のような場所であったとしても、そこは数千メートル下の海底である。
着底した摩宝珠がその意志を受けて、光り輝き始めた。
アガレスが言葉を紡ぐ。右手が上へ上へとすくい上げる動作をする。そして、海底がゆっくりと隆起し始めた。
海面が震えるような事象を現す。
しかし、海底が自然界では有り得ない速さで隆起しているにしては、つり合いの取れない現象である。
海面が盛り上がる。剣のような急峻な岩場が姿を現した。
摩宝珠の表面にひびが入り、光が急速に失われていく。
「どうやらここまでのようですね。細かい調整はまた行うとしましょう」
新たに生まれたこの島はまるで、“天使長ミカエルの翼のなごり”と名付けられた彼の島のようである。
周囲は垂直を思わせるほどの傾斜の急な斜面であり、その姿は人の侵入を拒絶するかのような姿であった。
「一応、結界を張っておきますかね」
誰ともなく呟くと、その島の頂にもう一つの摩宝珠を埋め込み、不可視と方向感覚を狂わせる結界が張られた。
そして、一人の魔人は虚空にその身を消し去った。
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その波は、発生地点から千数百メートルも離れた南南東の島を音もなく襲った。
環礁であり、わずかな面積しか持たないその島は標高も6mほどであり、その島の表面は海水で洗い流された。島を覆うような見上げる高さの津波ではなく、その地表を這うような波であったため、その島の200人ほどの住人に死者が出なかったのは幸いであった。しかし、その島には港湾施設はなく、唯一の外界との連絡手段である空港施設が浸水し使用不可になったため、早急に対応が必要である。
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その日、日本の夜のニュースの最中に東日本の太平洋沿岸に50~80cmの、近畿及び四国の太平洋沿岸に10~30cmの津波警報が発表された。場所によっては100cmを越える可能性も考慮されて、津波注意報ではなく津波警報としての発表がなされた。
テレビ画面に流れる緊急速報に、あの震災が思い起こされ、日本中が不安な夜を過ごした。
筆者注)彼の島→スケリグ・アイランズ(アイルランド):シュケリッグ・ヴィヒル




