小さな火玉と勇気
寄せては返す波の音だけが、耳に静かに届く。
「ここって、姉さんといつも来ていた所だよね?」
暫く海を眺めていた菜々海がぽつりと呟いた。
「福さん、あの日も姉さんはここに来ようとしてたんだと思うよ」
「どうだろうな…」
僕は潮風を深く吸い込みながら言葉を探す。
「僕はここで待っていたけれど、空も来ようとしていたのかな?」
七年前の今日。彼女が21歳の誕生日を迎えた翌日。空は事故で帰らぬ人となった。
あの笑顔も、声も…僕に届く事は二度と無い。あの日、もう一度だけ空と話をしたくて、もしかしたら空も同じ思いでここに来るのではないか。そう信じて僕はここにいた。
でも空は来なかった。来れなかった。
潮風が少し冷たくなったような気がして、僕は静かに目を閉じた。空を初めて誘った日のことを思い出して、まだ胸が軋むのを感じた…
夏休みもあっという間に過ぎて、もう8月も終わりに近づいていた。
同じバイトの菜々海とは頻繁に顔を合わせていたけれど、姉の綾瀬空にはまるで逢えないままだった。
菜々海に姉の事を聞くのはどうにも気恥ずかしい。僕の気持ちが透けて見えてしまうのは困る。
綾瀬さんに逢いたい。
だから花火大会の今日、クラスの集まりを企画したなんて、口が裂けても言えない…
綾瀬さんは来ているだろうか?僕は胸の奥がざわつくのを抑えられずに集合場所に向かった。気持ちだけが先走る。
浴衣姿の女子が何人もいて、華やいだ雰囲気が辺りを包んでいる。みんな浮き足だっているみたいだったけれど、見事に男子と女子が分かれてグループが出来ていた。
「お待たせー!」
わざと大きな声を出して場の空気を変える。さりげなく綾瀬さんを探す。
いた…
女子のグループの中にいる綾瀬さんを見つけた。淡い水色に彩りが鮮やかな金魚の模様。普段とは違う姿に僕の胸は高鳴った。
真っ先に話しかけたかったのに、綾瀬さんの浴衣姿が妙に色っぽくて眩しくて、声をかけられなかった。綾瀬さんも僕に声をかけて来る様子は無かった。
その距離感が僕の胸の奥をチクリと刺した。
打ち上げ花火も終わって、少しずつ人波が薄れてお開きの雰囲気。けど、まだ帰る訳にはいかない。
「スイカ割りのペア組むよ。くじ引きね」
『今年一番のラッキーを今ここで!』そう祈りながらくじを引くと奇跡が起きた。僕のペアは綾瀬さんに決まった。
嫌がっているんじゃないか?と不安になって綾瀬さんの方を向くと、黙って僕の隣に立っていた。神様って本当にいるのかな?と感謝した。
スイカ割りも終わって、お開きになった。人波はばらけ、夜風が余韻をなぞる。僕は綾瀬さんと二人で歩いていた。
当たり障りのない会話だったけど、少しだけ綾瀬さんは笑ってくれた。それだけで胸が一杯になる。
一緒に線香花火をする。
次の日曜日に出かける約束をする。
それが僕の今日の計画だった。
なかなか本題に入れないまま、もうすぐ綾瀬さんの家に着いてしまう。僕は何度もポケットの中の線香花火を握りしめながら、心臓の音を抑えようと深呼吸をする。
次の公園が最後のチャンスだ。
僕は今まで生きてきた中で一番の勇気を振り絞って綾瀬さんに聞いた。
「綾瀬さん、まだ時間大丈夫?」
バクバクした音が聞こえるんじゃないかと思う位、僕の心臓は大きく跳ねていた。
「綾瀬さん、線香花火好きって言ってたじゃん? 一緒にやりたいなって思って」
耳がさっき食べたスイカのように真っ赤だったと思う。全身が熱を纏っていた。
綾瀬さんがほんの一瞬だけはにかんだ。その表情に救われる…それと同時に、どうしようもなく怖くなった。断られたら全部が粉々に壊れてしまう。
ほんの少し…それでも、僕には永遠のように感じる間を待って、綾瀬さんは静かに頷いた。
胸の奥で僕は思い切りガッツポーズをした。
二人で小さな花火を見つめる。その姿に心臓の音が重なって響く。仄かな明かりに照らされた綾瀬さんの横顔は、いつもと違って見えた。心のフィルターに焼き付ける。
ついさっき、今迄生きて来た中の一番の勇気を使ったけれど、記録更新。
「綾瀬さん…今度の日曜って、空いてる?」
「ひっ、暇だけど……なんで?」
綾瀬さんの声が裏返っていた。驚かせてしまったかな?
「行きたい所があるんだけど、一緒にどうかな?と…」
上手く言葉が出てこなくて、途切れ途切れだったけれど、気持ちは全部乗せた。綾瀬さんはまた、静かに頷いてくれた。
線香花火の光は小さかったけれど、その瞬間だけは二人を大きく包んでくれる位大きく見えた。
最後の線香花火の火玉がポトリと落ちる。
二人の顔を照らしていた灯りがふっと消え、夏の暗闇に溶けていった…




