風切羽 マキ
「ななちゃんお弁当食べる?」
沈黙を破るように僕は持っていた包みを広げた。
「姉さん、毎回このお弁当作ってたよね?」
菜々海が懐かしそうに目を細める。
「福さん飽きなかったの?」
海を眺めるように僕と菜々海は並んで座る。海面が太陽の光を受けて眩しい。潮風はまだ熱をおびていて、輪郭の定まらない雲が浮かんでいた。
「いや、美味しかったしさ。実はね、おにぎりの中身が毎回違うのよ。甘鮭だったり、塩鮭だったり。西京焼きの時もあったよ。鮭縛りだと思っていたけれど、一度だけツナマヨの時があったんだ。あれは、空なりに工夫していたのかな?」
おにぎりは鮭が一番!と笑っていた空の顔が浮かぶ。
「あはは、何それ?でもほぼ鮭なんだ?」
菜々海が吹き出す。
「かわいいなぁ…」
その笑い声が、ふいに空と重なって胸がチクリと痛んだ。
声も顔も少しだけ違う。でも笑い方は同じ。空のぬくもりの記憶と、あの頃と同じ夏の終わりの香りが混ざる。胸の奥が少しだけざらついた。
思わず伸ばしそうになる手を止める。菜々海は空じゃない。そう何度も自分に言い聞かせてきたはずなのに…
花火大会の翌日、僕はかなり浮かれていた。
昨日の余韻がまだ胸の奥で燻っている。綾瀬さんの笑顔と線香花火の光が、目をつむると鮮やかに蘇る。火花が落ちるあの瞬間の儚さとぬくもりが、まだ残っていた。
アルバイト中も綾瀬さんのことで頭がいっぱいになっていた。オーダーミスや卓間違いの連発…
まるで、借りてきた体で平均台の上を歩いているみたいだった。
「福田、今日は上がるか?それかひたすら洗い物」
見透かしたようにマキさんが声をかけてきた。突き放すような口調に、僕は我に返った。
「お前、そのままだと取り返しのつかないミスするぞ。…ま、あたしが怒鳴る前に自分で気がついたのは褒めてやるよ」
口では笑いながら、でも目は全然笑っていなかった。
マキさんはここの居酒屋の店長で凄く綺麗な女の人だ。でも、もの凄く口が悪い。けれど、言うことはいつでも的確でスタッフ皆から慕われている。
「洗い物します」
僕は素直に頭を下げて、ひたすらシンクに向かった。4時間後、休憩時間になった。
「…福さん、疲れてるの?昨日はしゃぎ過ぎたんでしょう?」
菜々海がさりげなくエナジードリンクを差し入れてくれた。その缶が少しだけ潰れて、菜々海の目がほんのりと赤く潤んでいたけれども、僕にはそれに気がつく余裕はなかった。
「マキさん厳しいよね。でも福さん、やっぱり今日はちょっとおかしかったよ。わたしも、花火大会のお話とか…聞きたかったのにな…」
菜々海が俯きがちに笑った。
いつもぐいぐい来る菜々海が今日は控えめだ。それが妙に寂しかったけれど、少しだけ救われてる気がした。
休憩から上がるとマキさんが声をかけてくれた。
「切り替え出来たみたいだな。通常業務」
今度はほんの少しだけ目も笑っていた。
今日は菜々海も少しふわふわしている。普段とは違う様子に、僕はなんとなく心がくすぐられるような感覚を覚えたけれど、集中して仕事をこなした。
バイトを上がった後、僕はマキさんに謝るために事務所に訪れた。
「今日はすみませんでした」
そう言うと、マキさんはタバコをふかしながら僕の目を見て、ポツリと言った。
「まぁ、若いうちは色々あんだろ?それより、体育座り」
「え?」
「体育座り。色恋の話をする時は体育座りな」
「お前もその方が話しやすいだろ?あたしも見上げられた方がいいんだ」
何で体育座り?と思いながら素直に従う。ヘンテコなルールだな。と思ったけれど、恐れ多くて口には出来ない。でも、どうして僕が恋愛の相談するって分かったんだろう?
とにもかくにも、昨日の出来事をマキさんに伝える。
「…で花火大会の後で二人で線香花火をしたんです」
言い終えると同時に、全身が熱くなった。
マキさんはニヤリとして、煙をふーっと吐き出した。タバコの匂いが辺りを包む。
「めちゃめちゃアオハルじゃねーか!」
妙に楽しそうだ。
「…で日曜日に綾瀬さんと出かける予定なんですけど」
そこまで話すとマキさんは目を細めて、タバコを灰皿に押し込んだ。少し真面目な顔をしている。
「で、どこに行くつもりなんだ?つーかお前、菜々海と付き合ってるんじゃないの?」
「えっ?菜々海とはそんなんじゃ無いですよ。僕が好きなのは菜々海のお姉さんで…」
マキさんは腕を組んでしばらく考えていたけれど、またタバコに火を付けた。煙をくゆらせながら、難しい顔をして静かに口を開いた。
「お前さ…自分じゃ気がついてねーかも知れないけれど、お前だって他人に影響与えることもあんだよ?」
「お前そっち方面くそ鈍そうだしな。でもな、お前の一挙手一投足が人を喜ばせることもあれば、傷つけることもあんだよ。まぁ、それが恋愛つーもんかも知れねぇけどさ。分かる?」
「…なんとなく。です」
誤魔化す。
「なんとなくじゃまだガキんちょだな」
マキさんの言っていることは難しくて良くわからなかった。もう少し大人になれば分かるんだろうか?
「日曜日はとりあえず、葛西臨海公園辺りが良いんじゃねーか?初デートっぽいし、初々しい」
「え、あ。はい!」
「はいの前に『あ』は付けない。いつも言ってるだろ?バカっぽいって」
「あ。はい」
「また…」
マキさんはふっと視線を逸らしながら窓の外に目をやった。綺麗な顔が少しだけ寂しそうに見えた気がした…
「…なんかタッチみたいだな。双子じゃねーけど、雰囲気が似ているつーか」
「え?」
「なんでもねぇよ。…恋つーもんは、気がついたらそこにあるもんだけどな」
マキさんは煙を吐きながら、もう一度窓の外に目を向ける。
「でも、煙みたいに簡単に消えることもあんだよ。掴める時に掴んでおかないと…」
そう呟くと強引に話を終わらせた。僕は首をかしげつつも、それ以上は追及しなかった。だけどその言葉はマキさんの吐いた煙と一緒に僕に染み込んでいく気がした…
タバコの煙の匂いが、妙に鼻の奥底に残っている。どうしてだろう。胸のなかまで煙に包まれたみたいで妙に引っかかっていた。




