出逢い
翌日、僕は二人分の弁当を持って家を出た。粗びきウインナーと卵焼き。シャケのおむすび。
そう、まるで幼稚園の遠足弁当みたいな、お世辞にも凝っているとは言えないラインナップ。でも、それが良かった。
「お弁当はシンプルなのが一番だよ」
二人で出かけるとき、いつも彼女はそう言ってこの弁当を作ってくれた。料理が苦手な彼女の、見え透いた言い訳だったのかもしれない。でも、なぜだかやけに美味かった。
僕は海の見える場所が好きで、彼女は雲を見るのが好きだった。だから二人でよくここに来た。それぞれが好きなものを、一緒に眺めていられる場所。
空との出逢いをふと思い出す。
今から10年前--高校3年の頃。
僕は受験勉強なんか放り出して、アルバイトに明け暮れていた。目的があったわけじゃない。なんとなく始めた居酒屋のバイトがただ楽しくて、先輩たちに連れられて遊び歩く日々。
まあ、今思えばただの現実逃避だったんだろう。そんなある5月の午後。少しずつ空気が弾み出す季節。新人のアルバイトが入ってきた。高校1年生の女の子。
綾瀬菜々海。
菜々海は最初からよく笑う娘だった。仕事もあっという間に覚えて、その元気で愛想の良い女の子は店のみんなから好かれた。
ある日の休憩中、店の裏口で漫画を読んでいると、菜々海がひょっこり顔を出した。
「ドラゴンボールクイズ!フリーザの戦闘力は第一形態の時はいくつ?」
唐突な質問にちょっと焦りながらも、真面目に答える。
「53万…」
「当たり!」
妙に馴れ馴れしい。でも嫌な感じはしなかった。
「先輩って西高ですよね?『綾瀬空』って知ってます?うちのお姉ちゃんなんですけど」
「綾瀬さんの妹?似てないね」
菜々海は、三年の春から同じクラスになった同級生の妹だった。世間ってのは、意外と狭いもんだ。
僕は柄にもなく、クラスの副委員長をしていた。貧乏くじを引いたってだけで、特に真面目にやっていたわけじゃない。その相棒が、委員長の綾瀬空だった。
雑務を押し付けられた二人は、放課後の教室に残って、掲示板に学校の行事のプリントを貼り出していた。
僕が高い所に貼る時、綾瀬空が画ビョウを渡してくれる。時々、手のひらに触れる彼女の指先に、ドキッとしてそわそわした。少し気持ちがふわっと弾む。ついこの前のことだ。
「姉がお世話になってます」
菜々海は何か含みのある笑顔で続ける。
「ついでにわたしのお世話もお願いします」
「こちらこそお世話になってます」
少し的外れかな?と思ったけど、他に気の利いた言葉も浮かばず、そう答えるしかなかった。
僕は男兄弟で育ったせいか、女の子が少し苦手だった。妹がいたらこんな感じなのかな、なんて考えていたら、あっという間に休憩時間が終わってしまった。
それから菜々海は、よく僕のそばに来るようになった。
「先輩、ビール瓶重いでしょ?持ちます」
「いいよ。重いし危ないから」
「女の子扱い禁止。おんなじ時給なんだから」
そう言って菜々海は、ケースからビール瓶を1本抜いてクスクスと笑っていた。
「軽くなったでしょ?」
控えめな姉とは大違いだ。
その頃から、学校では綾瀬空と話す機会が増えた。
「アルバイト、大変でしょう?忙しいって妹がいつも言ってるよ。君はいつも助けてくれるし、君の作る賄いは美味しいって。あの娘、家ではいっつも君の話しばかり」
最初は妹の話題ばかりだった。でも、それがきっかけだった。
サボりがちだった学校に、真面目に行くようになった。綾瀬空と話すのが、ただただ楽しかった。ドラマや映画、漫画の話。好きな音楽の話。他にもくだらない話を、取り留めもなく話す日々。
学校に真面目に行く僕を、親と先生は喜んでくれた。友達にはからかわれた。
綾瀬空は僕の中で『少しだけ特別な存在』になっていった。
「ドラゴンボールクイズその13!」
菜々海がいつもの調子で絡んでくる。
「ナメック星人の神様とピッコロですが、彼らの親は誰?」
「カタッツ」
「当たり!すごい、福さん」
少しずつマニアックになってきている。それに、僕の呼び方も変わってる。
「じゃあさ、スラムダンククイズ!」
僕の好きな漫画ばかりだ。
「湘北三井の背番号は?」
「14」
「では誕生日は?」
「5月22日」
「当たり!さすがですね。それ、福さんと同じだよね?」
昨日、綾瀬空とスラムダンクの話をした。三井が一番好きで、自分と誕生日が一緒だって。姉妹で僕をネタにしてるのかな?
「今年はお祝い出来なかったけど、来年はわたしがお祝いしてあげる。どうせお祝いしてくれる人いないでしょ?」
サラリと失礼なことを言う。
「次はイントロクイズ!」
菜々海はノリノリで歌い出した。
「歌ったらイントロクイズじゃねーだろ」
「ちなみに『C調言葉に御用心』でしょ?歌詞ちょっと間違えてるし」
「あはは!そこはご愛嬌で、ヨロシク!」
サザン好きも、綾瀬空と話したことだった。
もう仕事の時間だ。菜々海と一緒だと、すぐに休憩時間が終わってしまう。
僕が菜々海と絡んだ後は、先輩たちの当たりが強くなるから嫌なんだ。まあ、この子がモテるのも分かるけど。
このバイトでも、菜々海を狙っているやつは何人か知ってる。さっさと告っちゃえばいいのに。
バイトを終えて外に出ると、先に上がった菜々海が僕を待っていた。
「お疲れさま。まだ帰らないの?」
「福さん、傘持ってないですよね?」
外はいつの間にか雨が降っていた。
「わたし、傘持ってます。出来る女なんで。駅まで入れてあげても良いですよ?」
僕も折り畳み傘を持っていたのだけれど、なんとなく言いそびれてしまった。けれど、菜々海と相合傘なんて、先輩たちに見られたら…また面倒くさいことになる…
「なな…」
菜々海が傘をさそうとした時、聞き覚えのある声がした。綾瀬空だった。
「急に雨が降ってきたから…なな、傘持ってないかと思って迎えに来たんだけど。傘持ってたんだ…」
綾瀬空は少し気恥ずかしそうで、戸惑っているようだった。
「福田くん、こんばんは」
初めて見た綾瀬空の私服姿に、ドキッとした。名字で呼ばれたのも初めてで、なんだか胸の奥が熱くなった。
「なな、傘持ってたんだ。なら、この傘は福田くん使って」
ますます傘を持っているとは言えなくなった。
駅まで三人で並んで歩く。菜々海が少し不機嫌そうにしている。親や兄弟と一緒の所を友達に見られるのって、ちょっと恥ずかしいもんな。
三人とも、あまり話をしない。菜々海と二人の時も、綾瀬空と二人の時も、止めどなく話せるのに。
雨が傘を叩く音だけがやたらとうるく、3人の沈黙を埋めてくれていた。




