朴念仁
夜の賑わいが落ち着いて、店の空気も少し緩む。締め番のスタッフと入れ替えでユウとまことはそろそろ上がりの時間だ。
「おはようございます。オプオプもおはよー」
大きめのバックを肩に掛けななみが出勤して来た。大人の女性らしく仄かに良い香りがする。
「ななみさん、お疲れさまです!今日の賄いは卵かけご飯ですよ!」
ユウは元気一杯。いつもそうだ。
「まこと君、ユウちゃんおはよう。ユウちゃんは今日もやたら元気ね」
「あは♪やたらって何ですか?それよりあたし、今日告られたんですよ。どうしたら良いと思いますか?」
ななみは昔からの知り合いで、昼間はOL。暮らしに困っている訳では無いらしいが、週に3日ほどこの店を手伝ってくれている。明け透けに笑う時もあれば、時々ふっと距離を詰めてくる。そんな人だ。
「ユウちゃんかわいいから。羨ましいなぁ。とりあえず付き合ってみれば?」
ななみが無責任に答える。
「羨ましくないですよ。あたしは店長の賄い食べれる方が羨ましい。ちんくちりんだからダメって」
「ちんちくりん。な」
僕が訂正する。
「ほら、大人の女性の意見も聞いておきな。勉強になるぞ」
「付き合ってみないと分からない事って沢山あるから。見たくもないところも見えちゃうし…」
ななみの顔がほんの少しだけ曇った。
「えー、おなら出来ないとかそうゆうのですか?」
卵かけご飯を頬張りながらユウが的外れな事を言っている。
「店長、わたし今日賄いいらないのでお弁当良いですか?」
「了解。おかずは何でも良いかな?」
僕とななみのやり取りを聞いてユウが口を挟む。
「えーお弁当ズルい!ズルい!!ズルい!!!あたしもお弁当欲しい。食べたい!」
ワガママを言う声は半分冗談で半分本気。
けれど、あまり甘やかし過ぎるのも良くないと思った。
「運動会の時作ってやるよ。特製Y'sマートのお惣菜弁当。Y'sマートのお惣菜美味しいぞ」
「もういいですよ。お疲れさまです!」
冗談めかしたつもりが、ユウは本気で拗ねたように席を立ってしまった。椅子がわずかに揺れ、ドアの鈴が「チリン」と響いた。
「もう、店長今のはまずいですよ。ユウちゃんかわいそう」
ななみが少し鋭い目を向けてきた。
「まこと、フォロー頼む。賄いの洗い物はやっておくから」
「かしこまー。お疲れッス」
まことが急いで店を出ていく。
ふと見ると、ユウの茶碗には半分残ったたまごかけご飯。あの子はいつも、ご飯は必ず全部食べるのに。
「…福さん、やっちゃったね」
ななみがテーブルを片付けながら僕に言った。二人きりになると昔の呼び方に戻る。
「ななちゃん。オレ調子に乗っちゃったよね?」
「そうだね…本当に相変わらずだよね。乙女心舐めすぎだよ。色々と」
軽口のつもりが、あの子の心を引っかいてしまったのかも知れない。
「で、どう思うの?」
「甘えてるだけでしょ?まぁ、僕もちょっと悪ふざけが過ぎたかも?だけど」
「やっぱり鈍いね。わたしの時もそうだったし」
ななみは笑顔だったが、その笑みはからかうだけの物じゃなかった。
「あの子、絶対に福さんの事好きだよ。ライクじゃ無くてラブ寄り。若い子の純情、舐めちゃダメだよ」
「いやいや、それは無いでしょ?僕そんな気は無いし。一回りも離れているんだよ?対象外でしょ?」
「でも10歳下はオーケーなんだよね?まこと君に聞いちゃった」
「茶化さないで。…ユウのお姉さんが綺麗だったって話しだよ」
口に出した瞬間、少しだけ胸の奥が軋む。
「すみれさんでしょ?モデルの。Smileって結構有名だよ?」
ななみが目を細める。
「福さん昔、娘が出来たらそんな名前付けるって言ってたじゃん。つむぎ先生と同じって」
スマイルって書いてすみれって…初恋の人のトレードマーク。可愛い響きが気に入って真似してたやつ。
「モデルの名前と一緒なんて…ちょっと僕のセンス良くない?」
冗談めかしてみたけれど、鼓動が揺れているのがわかる。
小学校2年の時、教育実習生で僕のクラスにやって来たつむぎさん。今でも覚えている。
つむぎさんはとても優しいお姉さんだった。初めて出会う大人の女の人に胸の奥が熱くなるのを感じた。
いつもトレーナーを逆さまに着ていてからかわれていたけれど、頑なに直さずに「流行りなんだよ?」と笑っていた。
男の子にも女の子にも大人気で、あっという間の2週間が過ぎた。
そんなつむぎさんがテストの採点の時に入れていた自分の似顔絵。そこに必ずSmileって書いてあった。
「先生、この英語なんて書いてあるの?」
「スマイルだよ。笑顔って意味。ローマ字読みをもじってすみれちゃん。ローマ字って分かるかな?」
「先生ドジだからいつも皆に笑われてるんだ」
なんてからかっても、つむぎさんはいつも笑顔だった。僕も無邪気なただの男の子だった。
教育実習の最後の日、僕は道端で沢山の花を摘んでつむぎさんに渡した。今思うと雑草ばかりだったかも知れない。迷惑だっただろうな。
つむぎさんはクラスの皆、一人一人に手紙を書いてくれた。僕の手紙にはこう書いてあった。
『君はすごく明るくて良い子、いつも先生と仲良くしてくれてありがとう。その元気と優しさは、クラスの友達を結ぶ力になるよ。』
意味は全部は分からなかったけれど嬉しかった。そしてもう会えないと思ったら涙が止まらなかった。
きっとあれが僕の初恋だった。
「小さな恋の物語だよね」
僕の話を聞いていたななみが茶化す。
「あー、もうこんな時間。明日も仕事でしょ?お疲れさま」
僕はななみに翌日のお弁当を渡した。
「いつもありがとう。感想はまた明日」
「お疲れさま。オプオプもまた明日ね」
ななみはそう言って軽く手を振り、店を後にした。




