観覧車
お弁当を菜々海と二人で食べた後、僕はしばらく海を眺めていた。
今までも、菜々海の優しさに甘えて落ちて行きそうになる時もあったけれども、今日の菜々海からは空の空気をやけに強く感じる。
沈黙を破るように、空が…いや菜々海が口を開く。
「ユウちゃんにもこのお弁当作ってあげれば?」
菜々海が笑いながら言うから、つられて僕も思わず笑ってしまった。昨日のユウの顔が浮かぶ。
「…初めて笑ったね」
菜々海が少し驚いた顔をして僕を見つめる。
「福さん、あの日以来初めて笑ったよ…」
「そんなことないでしょ?普通に笑ってるよ?」
「んー、そういうんじゃなくて…」
菜々海が視線を落とす。
「こころが笑ってなかったって言うか…そういう感じ?」
菜々海が難しいことを言っている。
「わたしだって、伊達に福さんに恋してなかったよ」
小さな声で続ける。
「好きな人のことはちゃんとわかるよ。それに、わたし本気だったし…わかるよ」
その言葉が胸に刺さる。
「そうなのかな…」
僕は少し遠くの雲を見つめた。
「僕は…好きな人のことが一番分からないけどな…」
結局最後まで空の本当の気持ちはわからなかった気がしていた。わかろうとしていなかったのかもしれない…そんな気がしていた。
昨日の観覧車の中から見えた彩りと、それを静かに見つめる綾瀬さんの横顔が、目の奥に焼き付いていて何度も思い返してしまう。
僕の中の何かが変わっていくのを感じる…
バイト先の居酒屋は定休日だったのだけれども気がつくと足を運んでいた。昨日のあの時間が、まだ胸の奥でざわざわと波を立てている。
「おはようございます」
事務所で伝票の整理をしているマキさんに声をかける。
「おー、福田おかえり」
僕は黙って隣に座る。もちろん体育座り。
事務所の窓から差し込む夕暮れの明かりがマキさんの横顔をオレンジ色に染めていた。ただでさえ綺麗な人なのに、こうして見るとまるで外国のポストカードみたいで少しドキッとする。
「んで、昨日はどうだったんだ?告った?」
マキさんがニヤリと笑う。
「いや、まだ告白なんて早いですよ。でも…あんなに楽しい時間、初めてでした!」
頬が熱くなるのを感じる。
「あ、ごめんなさい。今時間大丈夫ですか?」
「平気。あたしも暇してたし」
「じゃあ、ちょっと聞いてください」
「昨日、マキさんに言われた通りに葛西臨海公園に行ったんですよ…」
僕は昨日の綾瀬さんとの1日を、順を追ってマキさんに話す。
「…で、浜辺で休憩をした後、レストランでご飯を食べて」
言葉にするとあの時間が蘇ってきて胸がじんわりと熱くなる。
「いよいよ観覧車に乗ろうって向かったんですけど、すごく並んでいて…」
マキさんがタバコを取り出し火をつけた。煙がゆらりと上がる。視線は窓の外、でも楽しそうに僕の話を聞いてくれている。
「そしたら、先輩に教えて貰ったやつに間に合わないって焦って」
「ああ、あれな」
マキさんが口の端にタバコを咥えたままふっと微笑む。
「ゴンドラが一番上に来た時にディズニーランドの花火が見えるって奴だよな?よっぽどタイミングが合わないと無理だろ?でも、あれは…なかなか良いよな」
マキさんが僕に目を向ける。マキさんも見た事あるのかな?
「ゴンドラは相乗りだったから、少し落ち着かなかったんですけど…」
僕は言葉を選びながら続ける。
「絶対間に合わないって思ったんです。もう、諦めかけて…」
息を飲み、胸が熱くなる。
「でも、奇跡が起きたんです!」
思わず足を崩してしまう。
「ゴンドラが天辺に来た瞬間、夜空に…ちょうど花火が上がったんです!」
あの瞬間の、綾瀬さんの目が大きく開いて、驚きと喜びが入り交じったような表情を僕は鮮明に思い出す。
花火を見つめる綾瀬さんの横顔。びっくりして口元を僅かに開ける仕草…その全てが、僕の気持ちを弾ませた。
あの瞬間、僕のなかで始まりの予感が確信に変わった。
「スゲーな。彼女も運命感じたんじゃね?ディスティニーって奴だろ?ディズニーだけに」
つまらないけど、僕は思わず笑ってしまう。でも突っ込みは厳禁。
「福田、ちょっと付き合え」
タバコを揉み消しながらマキさんは身支度を整える。
「どこに行くんですか?」
僕は立ち上がりながら素朴な疑問を投げる。
「飯」
夕暮れの街をマキさんと並んで歩く。隣に立つだけで、なんだか少しそわそわする。
肩を並べて歩く距離感に、昨日とは違うほんの少し大人の世界に触れた気がした。生ぬるい風が頬を掠めて胸の奥が疼いた。
人々の歩く足音や、遠くに聞こえる自動車のクラクションが雑踏に紛れていく。すれ違うカップルがチラリとマキさんを見ているのが分かる。
こんなに綺麗な人と並んで歩くなんて…
夕陽に染まる街並みがいつもより鮮やかで、そして少しだけ近くに見えた。
歩きながら昨日の話を続けた。
「…で、帰り際に綾瀬さんが言ったんです。『今日は凄く楽しかった。福田くん、頼もし過ぎてびっくりしちゃったよ』って」
「それから『今度は車で江ノ島に行こうよ』って誘ったら『サザン聴きながらドライブだね』って。これどう思います?脈ありですか?」
「上々なんじゃね?ただな、色々間違えると…誰も笑えなくなるけどな」
その後はお店の話や先輩の話。とりとめの無い話題が続いた。そんな話をしながら20分くらい歩いた所でマキさんは立ち止まった。
「福田、ここで良いか?あたし酒も飲むけど」
マキさんが連れて来たのは白いコンクリートの打ちっぱなしの壁に、大きな窓。程よく観葉植物で彩られたすごくおしゃれなカフェだった。
アルバイトの先輩達が連れて行ってくれるどんな店よりもカッコいい。
場違いかな?と戸惑う僕を尻目に、マキさんは躊躇いも見せずに店のドアを開けた。「チリン」と鈴の音がする。
「いらっしゃいませ。今晩は」
渋い男の人がカウンター越しに声をかけてくれた。店内も凄くおしゃれだ。僕は少し気圧されながらもマキさんの隣に立って聞く…
「ここでも体育座りした方が良いですか?」
マキさんは爆笑していた…




