雲
電車に乗って30分くらい。車窓に流れる景色をぼんやり眺めながら、わたしは自分の胸の鼓動が早くなっていくのを感じていた。
福田くんは夏休みにあった色々な出来事を話してくれる。花火大会のこと、アルバイト先であった面白いエピソード、リスザルを飼うのが夢でもう名前も決めていることも。
「名前?オプオプって言うの。ナウシカのテトみたいに肩に乗せて散歩したいんだ」
子供みたいに嬉しそうに笑う福田くんに、釣られてわたしも笑顔になった。
その中でも一番びっくりしたのは運転免許を取ったと言う話だった。春から教習所に通っていて、最近テストに合格したんだそうだ。
「もう少し運転に慣れたら今度は車で来ようよ」
そう言って、屈託のない笑顔をわたしに向けてくる。その笑顔に胸がぎゅってなって、思わず目を逸らした。
窓ガラスに映る自分の頬が、ほんのり赤く染まっているみたいだった。
駅に着くと潮の香りが鼻先をくすぐった。海に浮かぶ雲は少しずつ秋の匂いを告げているけれども、吹き抜ける風はまだ夏の熱を抱えている。
「小学校の遠足以来だよ。綾瀬さんの学校もここだった?まずは水族館に行こう」
福田くんがしっかりエスコートしてくれる。その仕草が頼もしくて大人びて見えた。
こういうの慣れているのかな?ななとも出掛けたりしたのかな?
少しだけ気になる。
福田くんはわたしの右側をわたしの歩幅に合わせて歩く。水族館は子供を連れたファミリーやカップルで賑わっていた。
わたしも久しぶりの水族館というのもあるけれど、福田くんと一緒というだけで気分が上がっていた。お魚もペンギンも、マグロだってカラフルに輝いて見える。
海月の水槽の前に並んでいる時にわたしの肩と福田くんの腕が少し触れた。
ななゴメン…ほんの一瞬そう思っただけなのに、胸の奥にちくりと痛みが走った。
それでもわたしは神経の全部を右肩に集める。ほんのりと感じる福田くんのぬくもりが嬉しくて、白い海月も色鮮やかになる。
簡単に腕を組んだり、手を繋いだり出来たら良いのに、わたしには出来なかった。ななみたいな素直な性格なら、自然と手を繋いだり出来るのかな?
そんな事を考える自分が少し嫌になる。
でも、どうしても勇気が足りなくて…一歩が踏み出せない。それがたまらなく悔しかった。
水族館を後にしてわたし達は少し歩いた。大きな観覧車がゆっくりと回っている。潮の香りと静かな波の音が、わたしの胸の高鳴りをゆっくりと落ち着かせてくれる。
「綾瀬さんはマグロのどんな所が好きなの?」
唐突な質問にちょっと戸惑ったけど、わたしは吹き出してしまった。
「わたしが好きなのは『お寿司のマグロ』だよ?学校で話した時、わたし達お寿司のネタのこと話していたでしょ?福田くん、すしざんまいのポーズしてたじゃん?まぁ、今日本物のマグロを見て好きになったよ」
隣を見るとすしざんまいのポーズの福田くん。思わず吹き出す。
勘違いしたふりをして、水族館に連れて来たの?計算だとしたらとんだ策士だ。
ルパン三世もホームズも舌を巻くだろうな。なんて思わず笑いが溢れた。
「さあ、浜辺にいこーか」
ちょっとだけスラムダンクのセリフっぽく言って、福田くんの背中をポンって叩く。
ちょっと馴れ馴れしいかな?と思ったけれども、腕を組めないわたしの精一杯だった。
「仙道みたい」
福田くんが嬉しそうに笑う。その笑顔を見る度に、ピンクの花びらに包まれる。わたしの胸は重力を無視してふわふわしっぱなしだ。
砂浜に出ると、波の音が足元でざわつき、太陽の光が二人の会話に優しく差し込んでくる。
福田くんはさっそく靴を脱いで、波打ち際で水と戯れている。
「綾瀬さんもおいでよ!」
水平線の先には入道雲と、すじ雲が浮かんでいる。夏と秋が混じり合うこの一瞬がたまらない。
夏の余韻を名残惜しむように揺れている雲達を見ると心がふわっと軽くなる。少しだけ雲に見とれていたけれども、笑顔で答えた。
「今行くー」
わたしも靴を脱いだ。
水はまだ温かくて気持ちが良かった。さざ波が足首をなぞる感触と、足の裏を抜けて行く砂の感触が心地よかった。
「綾瀬さん、海ってやっぱり楽しいよね」
またこの笑顔。たまらないな…
ずっと気になっていた答えが知りたかった。
『葛西臨海公園に来たくて、わたしを誘ったの?わたしと来たくて、葛西臨海公園に誘ったの?』
喉まで出た言葉を飲み込む。まだあわてるような時間じゃない。普通あそこだよね?
観覧車のゴンドラがゆっくりと回るのを横目に見る。わたしの心臓は爆発寸前で、ドキドキした鼓動が耳まで響く。
手、握りたいな…そんな気持ちを胸にぎゅっと押し込めて、ただじっと福田くんを見ていた。
「少し休もうか?」
浜辺で遊んだ後、近くの芝生に腰を下ろした。
福田くんはリュックの中から大きめのタオルと水のボトルを出した。それでこんな大きなリュックか…準備の良さが神がかっている。水で足を洗って、タオルを借りる。
「僕、飲み物買って来るよ。綾瀬さんは休んでいて。何が良い?」
少し離れた所にお化粧室がある。飲み物の自動販売機はさっき通ったレストランの脇まで行かないと無かったかな?だいぶ先だ。
福田くんはさりげなくわたしに時間をくれた。それが何の為なのかは、ちゃんとわかってる。
少し日の傾きかけた空と雲を眺めながら、わたしはお花を摘みに行った。
福田くんの優しさにとろける。
夕暮れの空気が近づいているのを感じながら、もう一度観覧車を見上げた。
小さい頃、一緒に乗って大泣きしたななを思い出して少し切なくなった。




