勝つための役割
四本の空欄は、放課後になっても埋まらなかった。
授業を終えた生徒たちが寮や食堂へ向かい、第三教室には第八班だけが残っている。
机の中央には、初回救助訓練の要項と役割提出用紙。その横に、ダリオが教本の余白へ描いた四角があった。
崩落家屋のつもりらしい。
四角の中には柱が六本。入口が二つ。救助人形は位置不明なので、まだ描かれていない。
「正面から入る」
ダリオが短い方の辺を鉛筆で叩いた。
「構造を確認して、危ない柱だけ支える。道具を増やすと運ぶ時間を食う。支柱二本、短柄槌、測定針。これで足りる」
「正面が塞がってたら?」
フィオナは反対側の窓を開けた。入ってきた風が用紙の角を持ち上げ、セラが指で押さえる。
「だから私が先に見る。隙間へ風を通せば、部屋のつながりくらい分かる。入口で測ってる間に奥まで行けるでしょ」
「風が抜けた先に床がある保証はない」
「あんたが確認する前に、道を見つけるって言ってるの」
「見つけた道が使えなければ無駄だ」
「一つずつ柱を触るより速い」
ダリオの鉛筆が止まった。
「速く落ちた床へ行ってどうする」
「遅く着いたら、人形の点数が下がるんだけど」
訓練要項には、救助人形の状態も採点するとある。人形の胸部に時間で色の変わる札が仕込まれ、発見と処置が遅いほど減点される。
ルカは二人の間に手を入れ、教本を自分の方へ少し引いた。
「フィオナが入口から風を通す。その間にダリオが、正面の柱を見る。使える道が二つあれば、短くて安全な方を選べる」
「安全かどうか、誰が決めるの」
セラの指は用紙の角を押さえたままだった。
「構造だけで決めないで。人形がどんな姿勢で倒れてるか分からない。下敷きなら先に固定が要る。引きずれば損傷扱いになる」
「見つけてから決めればいい」
フィオナが言う。
「見つけてから迷う時間を減らしたい。搬送前に呼吸、出血、骨折を確認する。班員が負傷した時も同じ」
「人形は呼吸しないでしょ」
「胸の札を見る。本番で確認を飛ばす癖をつけないための訓練だから」
フィオナが窓から手を離した。風が止まり、用紙の角が机へ戻る。
「全部やってたら二十分を超える」
「超えない手順まで決めて、作戦でしょ」
「だから先に場所を見つける」
「だから先に道を固める」
ダリオまで重なった。
速度、構造、安全。要項は三つとも点にする。一つを選べば、残り二つを落とす。
ルカは要項を最初から見直した。
搬出時間。人形の損傷。二次災害の防止。器具の使用。班員の安全。
勝つには、どれか一つだけを満点にしても足りない。
「同時にできるところを増やそう」
「何を」
ダリオが聞く。
「最初の三十秒。フィオナが二つの入口へ風を通す。ダリオは正面だけ測る。セラは、その間に防護範囲と撤退条件を決める」
「三十秒で?」
セラの眉がわずかに動いた。
「全部じゃなくていい。天井が落ちたら撤退、誰かの防護札が割れたら一度止まる。先に止まる条件だけ決める」
「二つじゃ足りない」
「増やしていい。ただ、入る前に全員が覚えられる数で」
セラはすぐには答えなかった。訓練要項の裏へ、項目を書き始める。
天井材の落下。床の亀裂。防護札の破損。班員の出血。呼びかけへの反応低下。
五つ目で筆を止めた。
「ここまでは要る」
「覚える」
「全員」
「分かった」
セラはルカを見たが、昨日のように言い直せとは言わなかった。
フィオナが身を乗り出し、四角の二つの入口へ矢印を描く。
「風が両方抜けたら?」
「ダリオが正面を使えると言えば正面。駄目ならもう一つ」
「どちらも使えたら」
「人形に近い方」
「風だけで距離までは正確に分からない」
「音は?」
ルカが聞くと、フィオナの鉛筆が止まった。
「人形の札は、時間で色が変わるだけ?」
四人で要項を確かめる。
欄外に小さく、救助要請音を一定間隔で発すると書かれていた。
「聞ける」
フィオナは即答した。
「風を細く通せば、返ってくる音で遠いか近いかは分かる。壁の材質までは無理だけど」
「なら、正面の構造と音の距離を合わせる」
ダリオが、二本の矢印のうち一本を消した。
「最短じゃない。使える中で短い方だ」
「同じようなこと言ってない?」
「違う」
「どこが」
「最初から短い道を選ぶか、崩れない道の中から短いものを選ぶかだ」
フィオナは口を開き、それから閉じた。
「……分かった。そこは違う」
三人の鉛筆が、ようやく同じ四角の上で動き始めた。
ルカは別の紙へ手順を書いた。
三十秒の外部確認。進入口の決定。全員で進入。救助人形を発見したらセラが状態を確認し、その間にダリオが搬出路を補強する。フィオナは空気と音を追い、二体目の位置を探す。
「一体目は誰が運ぶ?」
「俺が」
ルカは答えた。
「一人で?」
セラが手元ではなく、ルカの肩と腰を見た。
「身体試験では運べた」
「あの人形は最初から担げる形だった。崩落現場では、姿勢を変えるだけで損傷が増える。二人で持って」
「じゃあ、ダリオと運ぶ」
「俺が手を離せる構造ならな」
「フィオナ」
「風を止めたら、二体目を探せない。あと、あんたの防護は誰が張るの」
三人が口にしたのは、それぞれの役目に必要な条件だった。並べ終えると、ルカの案は塞がっていた。
ルカは救助帯の留め金へ触れた。使える。鉤縄も、楔も、呼吸具も使える。人を背負って走る訓練なら、村で何度もした。
けれど、崩れる柱を止めるのはダリオだ。空気の道を作るのはフィオナ。負傷を見分け、防護を張るのはセラ。
ルカができることは、その後にある。
魔力ゼロは、試験で自分一人が落ちるだけの数字だった。
今は、三人の手を一つずつ塞ぐ数字になっている。
「ルカ?」
フィオナの呼ぶ声に、留め金から手を離した。
「二人で運ぶ。見つけた時に、手を空けられる人と組む」
「最初から決めないのか」
「決めた人が柱を支えてたら、交代する時間がかかる。俺が声を出す。その時に動ける人を呼ぶ」
ダリオが図面を見る。
「判断が増える」
「その代わり、作業を止めない」
「誰が、どの道を使うか決めるの」
セラが尋ねた。
ルカは三人の書き込みを見た。
風の矢印。柱の印。撤退条件。
「俺が聞いて決める」
「自分の意見は?」
「床と出口を見る。運べる幅があるか、戻れるか。それと合わせる」
ダリオが腕を組んだ。
「災害判断九十六だったな」
「点数だけなら」
「今は点数で決めるしかない。失敗したら次は替える」
「それでいい」
「撤退だけは、誰か一人の判断に任せない」
セラが言った。
「治療が要ると判断したら止める。班員でも、人形でも」
「分かった。止めた理由を聞いて、道を変える」
フィオナが鉛筆を回した。
「じゃあ私は、三十秒で風と音。遅れたら四十秒まで。五十秒はなし」
「その十秒刻みは何だ」
「気持ち」
「作戦に入れるな」
「でも四十秒までは待って」
ダリオは返事の代わりに、手順の最初へ「最大四十秒」と書いた。
役割提出用紙が中央へ戻る。
フィオナ――先行確認、換気、音による探索。
ダリオ――構造判断、通路確保、器具運用。
セラ――防護、負傷判定、撤退判断。
最後の線は、ルカが自分で書いた。
ルカ――進路選択、伝達、搬送。
四本の空欄は埋まった。
その右には、使用する術式を書く細い欄がある。
風・音。
地・金属。
光・治療・結界。
ルカは自分の欄へ、斜線を一本引いた。
紙を持ち上げたダリオが、机の脚を一度押す。木片は抜けず、四つの机も動かなかった。
「明日の朝、出す。今夜変えたいことが出たら、それまでに言え」
三人がそれぞれ荷物を片づけ始める。
ルカは最後に鉛筆をしまった。
ダリオが提出用紙を綴じ書類へ挟む。表紙を閉じる寸前まで、ルカの術式欄に引いた斜線が見えていた。
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