ゼロ
予備の測定器は、二台とも動かなかった。
正確には、ルカが握った時だけ動かなかった。
試験官が自分で触れれば、一本目は三目盛り、二本目は二目盛り上がる。補助員が握っても反応する。ルカの掌へ戻した途端、感知液は底へ沈んだままになる。
「三台同時に同じ壊れ方はしません」
補助員が言った。
「高感度測定へ回す。実技は保留」
試験官はルカの受験票へ赤い札を留めた。
周囲の視線が、蝋燭から札へ移った。
失敗した受験生ならほかにもいる。詠唱を間違えた者、炎を大きくしすぎた者、緊張で杖を落とした者。その誰とも違い、ルカの試験台では何も起きていない。
魔法実技棟を出ると、フィオナが廊下の壁にもたれていた。
「遅い。蝋燭一本に、ずいぶん丁寧だね」
ルカの受験票へついた赤札を見て、姿勢を起こす。
「何かあった?」
「測定器が三台、動かなかった」
「三台も壊したの?」
「俺が触った時だけだ」
「そっちの方が器用じゃない?」
冗談を言ったあとも、フィオナの目は赤札に残っていた。
係員が廊下の先から呼ぶ。
「受験番号三八二。第一測定棟へ案内します」
「一緒に行っていいですか」
フィオナが尋ねる。
「受験生の付き添いは認めていません。セイルさんは自分の次の試験へ」
「もう終わってます」
「では宿舎で待ってください」
フィオナは不満そうに口を曲げたが、それ以上は押さなかった。
「あとで結果、教えて」
「分かった」
第一測定棟は、正門から見えた訓練塔よりずっと小さかった。白い壁に細長い窓。廊下には薬品と機械油の匂いが混じっている。
三番室の前で、ルカは救助帯を外した。
古い革が腰から離れると、服が一枚足りないように感じる。係員は楔や留め金を一つずつ確かめ、番号札と引き換えに箱へ収めた。
「金属品は測定後に返却します」
部屋の中央には、円卓ほどの測定器があった。
両手を置く黒い板。その周囲を六本の細い管が囲み、赤、青、緑、黄、白、紫の液体が満たされている。奥の記録板では、針がすべてゼロを指していた。
器具を調整していた男が顔を上げる。
四十を過ぎた頃だろう。短く刈った黒髪に白いものが混じり、外套の留め具まで左右が揃っている。
「受験番号」
「三八二、ルカ・フェルドです」
「マレク・オルド。魔力制御担当だ。過去の測定値は」
「町の診療所で何度か。全部、ゼロでした」
マレクの手が止まった。
「低い、ではなく?」
「数値が出ませんでした」
「最後に測ったのは」
「去年の冬です」
「その時、体調不良は」
「ありません」
マレクは実技棟から届いた三枚の検査票を並べた。
「測定値が低い者は珍しくない。体内へほとんど蓄えられなくても、日常用の灯りを動かせる者はいる。完全なゼロは話が違う。機器の不良、魔脈の閉塞、申告の誤りを順番に除く」
疑っているというより、作業の手順を告げる声だった。
ルカは黒い板へ両手を置いた。
冷たい。
「合図で普段どおり息を吸え。何かを起こそうとするな」
マレクが測定器の側面へ鍵を差した。六本の管へ下から光が走る。
普通なら、体内の魔力に近い属性の管が反応する。量だけでなく、流れの速さや偏りも記録板へ刻まれ、扱える術式と安全な出力を決める。
「始める」
ルカは息を吸った。
肺が膨らむ。指先へ力が入る。
針は動かなかった。
赤い管も青い管も、外から与えられた光を通すだけで、液面は変わらない。
十を数えた頃、マレクが鍵を戻した。
「手を離せ」
補助員が記録板を外す。針が紙へ残したのは、開始から終了まで一本の水平線だった。
「感度を十倍へ。生体検査も同時に行う」
今度は寝台へ横になり、胸と手首へ薄い金属板を貼られた。
心臓の音が紙へ刻まれる。呼吸、体温、血流。治癒術を受けた時と同じ淡い光が皮膚を走った。
体には異常がない。
身長も体重も、脈拍も、十六歳の人間として正常な範囲に収まっている。
魔力に関わる線だけが、どこにも現れなかった。
三度目には、別棟から運ばれた旧式の針測定器が使われた。魔導部品の少ない型で、感知した魔力をばねの動きへ変える。
針は底から離れない。
補助員が紙を透かして見る。
「反応なし。装置間の差もありません」
マレクは驚かなかった。検査票の端を揃え、受験票の魔力操作欄へ数字を書いた。
ゼロ。
その下に印刷された必須基準は、二十だった。
「これが現在の測定結果だ」
ルカは紙を見た。
知っていた数字だ。
町の診療所でも同じだった。学院へ来れば突然変わると期待していたつもりはない。
それでも、九十一、九十六、八十六の隣に置かれたゼロは、ほかの点を遠ざけて見せた。
「魔脈が塞がっている可能性は?」
補助員が尋ねる。
「閉塞なら、蓄積か逆流が出る。彼にはそれもない」
「生まれつき、魔力を持たない?」
「検査上はそう判断する」
扉の外で物音がした。
測定を終えた受験生たちが、次の説明を待っているらしい。声を抑えているつもりでも、「本当にゼロ」という部分だけは室内まで届いた。
係員が扉を開けると、その先にカシアンがいた。
手には再検査用の書類を持っている。ルカのためではなく、自分の炎出力が高かったため、追加の安全確認へ来たらしい。
カシアンは机の受験票を見た。
「機器の故障ではなかったのですか」
「違った」
ルカが答える。
マレクは紙を伏せなかった。隠す検査結果でもない。
「人間の魔力は検出されない。操作評価はゼロだ」
廊下の話し声が止まった。
カシアンの視線が、ルカの救助帯を預けた箱へ移る。
「現場用の防護具や通信器には、使用者の魔力を必要とする型があります」
「承知している」
マレクが言った。
「なら、魔法災害の実習へ出せば、班員がその不足を補うことになる。救助する側が新しい要救助者になれば、被害が増えます」
カシアンの声は平らで、視線は魔力操作欄のゼロに留まっていた。試験順位へ触れる気配もない。
ルカは、町外れの倉庫火災を思い出した。救助線の内側へ戻ろうとした自分を止めた救助士も、同じことを言った。
正しいから、腹の奥へ残る。
「ローデル君」
マレクの声が少し硬くなった。
「安全上の意見は記録する。ただし、受験資格と合否の判断権は試験委員会にある。君の役目は、自分の再検査を受けることだ」
「分かっています」
カシアンは一歩退いたまま口を閉じた。指摘された線を、その位置で受け止めた。
その後ろから、淡い金髪が覗く。
「付き添いは駄目って言われたので、通りすがり」
フィオナだった。
「宿舎は反対方向だ」
ルカが言う。
「迷ったの。広い学院だから」
誰も信じなかった。
フィオナは受験票のゼロを横から見る。
「低いんじゃなくて、本当にないんだ」
「そうらしい」
「列車で風を使わなかったのも、温存じゃなくて?」
「使えないからだ」
フィオナは、かわいそうとも大丈夫とも言わなかった。
代わりに救助帯の箱へ目を向ける。
「じゃあ、あの楔は?」
「使える」
「鉤縄」
「使える」
「充填済みの道具は」
「機械式で起動できる型なら。自分で補充はできない」
「なるほど」
フィオナはそれ以上を聞かなかった。
カシアンがルカを見る。
「そこまで分かっていて、なぜ受験した」
出発の日、ガレスにも似たことを尋ねられた。
ルカは机に並んだ検査票を見た。どの紙にも、水平な線が一本引かれている。
「使えないものを、使えると言い張るためじゃない」
腰に救助帯がないせいで、言葉だけが少し頼りなく感じた。
「使えるもので、どこまで人を助けられるか確かめに来た」
カシアンはすぐに返さなかった。
やがて、乱れのない受験票を内ポケットへ収める。
「必須基準は、その答えとは別にある」
「分かってる」
マレクがルカの受験票へ検印を押した。
「本日の試験は終了だ。合否は明朝、正門前に掲示する」
係員から救助帯が返された。
革を腰へ巻き直し、留め金を一段緩める。ガレスに言われたとおり、痛くない位置へ合わせた。
九十一。九十六。八十六。
そして、ゼロ。
どの数字も、明日の掲示では同じ一枚に載る。
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