使えない優等生
残り時間を聞いた直後、ルカは一問目を飛ばした。
六属性それぞれの基礎術式を書かせる問題だ。配点は高い。けれど、正確に六つ書けば時間を使う。
先に災害判断の設問を開く。
石造倉庫で火災。北側に水路、南側に住宅。西風。内部には油脂を扱う作業員三名が残されている可能性がある。
消火に使う属性を答えよ。
問いの下には、大きな解答欄が一つしかない。
水、とだけ書けば早い。
ルカは倉庫の見取り図を見た。北側の水路から水を引けば、西風が蒸気を住宅側へ押す。油へ直接水を当てれば、燃えた油が床を走る。まず南側を閉鎖し、作業員の位置を確認しなければならない。
属性名ではなく、手順を書いた。
避難路を東へ確保。風術による排煙は内部の火勢を確認してから。油脂火災には土で堰を作り、泡沫剤を使用。水術は外壁冷却へ回す。
そこで一刻の四分の一を失った。
二問目は坑道崩落。三問目は治癒魔法を使う前の骨折固定。ルカは、ガレスに間違えるたび工具の柄で机を叩かれた順番をそのまま書いた。
最後に一問目へ戻る。
火、水、風、地、光、影。
基礎術式の形は覚えている。自分では一つも動かせなくても、線の順番までなら書ける。
終了の鐘と同時に、最後の句点を打った。
試験官が紙を回収していく。
フィオナは二列前で机へ額をつけていた。
「筆記で魔力を使うとは聞いてない……」
「使ってないだろ」
「頭にも残量はあるの」
言い返す声は小さいが、列車の時ほど消耗してはいないらしい。
午前の答案は昼休みの間に採点され、午後の会場割りと一緒に掲示された。
魔法理論、九十一。
災害知識、九十六。
ルカの受験番号は、どちらも上から十番以内にあった。
フィオナが隣から数字を覗く。
「遅れてきた人に負けてる」
「災害知識だけだろ」
「そこは遠慮して、偶然って言うところじゃない?」
「偶然じゃない」
「言うね」
彼女は口を尖らせながら、自分の七十八点へ小さく丸をつけた。合格点を越えているのを確かめると、すぐ午後の会場案内へ視線を移す。
ルカの次は西訓練場だった。
訓練場には、瓦礫を模した障害物が五十歩ほど続いていた。傾いた床、狭い通路、三段の石段。その先の白線まで成人一人分の訓練人形を運び、負傷させずに寝かせる。
魔法による身体強化は禁止。
速さだけでは点にならない。人形の頭を壁へぶつければ減点。引きずって革を破れば、実際の負傷者なら傷を増やしたとみなされる。
前の受験生が開始の鐘と同時に人形を担いだ。
二十歩までは速かった。傾斜板へ乗ったところで足を滑らせ、人形の後頭部が壁へ当たる。鈍い音がして、試験官の記録板へ赤線が引かれた。
「速ければいいわけじゃないんだな」
隣から低い声がした。
短い赤褐色の髪をした、がっしりした少年が走路を見ていた。顔より先に、傾斜板の継ぎ目と人形の縫い目へ目を向けている。
「でも制限時間はある」
ルカが答える。
「崩れた場所にもな」
少年はそれだけ言った。
受験番号三八二が呼ばれた。
ルカは白線の前へ進み、人形の横へ膝をつく。開始の鐘が鳴った。
脇へ腕を入れた瞬間、砂の偏りが分かった。右の胴が重い。腰だけで起こせば、人形の頭が遅れて振られる。
一度横へ向け、片腕を胸の前へ回す。背後から両脇へ腕を入れ、手首を掴んだ。
脚で立つ。
踵が土へ沈んだ。
傾斜板の前で、人形をわずかに右へ寄せた。板を踏む。右は浅く沈み、左からは鈍い音がした。
左を避ける。
後ろから走ってきた受験生に抜かれた。石段でさらに一人。
急ぐな。
分かっていても、午前の九十一と九十六が頭に残る。使えるところで点を取らなければ、魔法実技で全部落ちる。
狭い通路の前で人形を背負い直し、片手を壁へ触れた。肩を横へ向け、革の頭部を支えながら抜ける。
最後の石段で腿が震えた。
短く呼吸を足し、白線の内側へ人形を下ろす。頭、背、腰の順に土へつけた。
「四分十二秒。接触なし。搬送姿勢、良」
試験官が記録板へ数字を書いた。
「身体能力、八十六」
首位には届かなかったが、最低基準の六十は越えた。
ルカが走路を出ると、先ほどの赤褐色の髪の少年が入れ替わりに前へ出た。
「ダリオ・ベルク」
開始前に人形へ触れ、すぐ試験官を見た。
「中身が片寄ってる」
「現場の負傷者も、担ぎやすい姿勢で待ってはいない」
「それはそうだ」
ダリオは人形を担いだ。
ダリオは条件を確認しただけらしい。
ルカは給水台へ向かいながら振り返った。ダリオの運び方は速いが、石段の前ではきちんと足を止めていた。
三つの得点が受験票へ並んだ。
九十一。九十六。八十六。
午後最後の会場は、火属性用の第二実技棟だった。
属性を申告していないルカがそこへ回されたのは、志望調査へ炎術と書いたからだ。棟内には、石の試験台が十台並んでいる。各台の中央に短い蝋燭が一本。その手前には、補助用の練習杖が置かれていた。
課題は着火。
発生させる炎は指先ほどでよい。蝋燭へ火が移れば合格。火力より、術式を正しく組んで止められるかが評価される。
町の子供が、冬のストーブへ火を入れる時に使う術だった。
ルカは何度も練習した。
一度も成功していない。
隣の台で、まだ十二、三歳に見える受験生が詠唱を始めた。杖先に橙色の火が灯り、蝋燭の芯へ移る。少し大きすぎた炎を、試験官が減点した。
「受験番号三八二。始めてください」
ルカは練習杖を握った。
柄に刻まれた術式を確認する。魔力を集め、熱へ変え、杖先へ送り、空気中の可燃条件を整える。午前の答案なら、線を閉じる順番まで書ける。
息を吸う。
教本どおり、腹の下へ意識を置く。
詠唱を始めた。
言葉は間違えない。手の角度も、杖先と芯の距離も合っている。
体の内側から、送るものだけが見つからなかった。
詠唱が終わる。
蝋燭の芯は黒いままだった。
試験官が記録板から顔を上げる。
「もう一度」
ルカは杖を置き、別の一本を取った。
同じ術式。同じ詠唱。
何も起きない。
後ろの列から、小さな話し声がした。
午前上位の受験生だと、掲示で番号を覚えられている。身体試験も高得点。それなのに、着火一つできない。
三本目の杖でも、赤石は冷えたままだった。
「術式は理解していますか」
「はい」
「詠唱の意味を、最初から説明してください」
ルカは一節ずつ、魔力がどの線を通り、どの段階で熱へ変わるかを答えた。
試験官の質問が途中で止まる。
説明は合っていた。
「手を出してください」
試験官が携帯式の測定器をルカの掌へ載せた。透明な目盛り管の中には、感知液が満たされている。
合図に合わせて握る。
液面は動かなかった。
試験官は器具の底を指で叩いた。自分の手で握り直すと、目盛りがすぐに二つ上がる。
ルカへ戻す。
また、動かない。
「この器具だけの問題かもしれません」
試験官が補助員を呼んだ。
「予備を二台。それと高感度測定の空きを確認してください」
蝋燭には、最後まで火がつかなかった。
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