遅刻した受験生
「受験票を、門の下から入れてください」
鉄格子の向こうにいた係員は、横木を外さなかった。
ルカは息を整えるより先にしゃがみ、受験票を石畳へ滑らせた。紙は門の隙間を抜け、係員の靴へ当たった。
フィオナも隣から自分の票を差し出す。
二枚とも、王都駅で押された遅延証明がまだ湿っていた。
係員は印を確かめ、門脇の小窓から試験会場の時計を見た。
「受付は第二鐘で終了しています。第三鐘以降の入場は認められません」
「列車の事故です」
フィオナが鉄格子を掴んだ。
「駅から報告が来てるはず。遅延の印もある」
「遅延は確認できます。ただし、事故に関わったため遅れたのか、止まった列車に乗り合わせただけなのかは、この印では判断できません」
言い方は冷たくない。
だからこそ、押し返す隙間がなかった。
同じ列車の乗客全員を、遅れたというだけで受験させることはできない。乗り継ぎへ余裕を持った者も、前日から王都へ入った者もいる。決められた時刻までに来た受験生から見れば、それも試験のうちだった。
ルカは門の向こうを見た。
正面棟へ続く石畳に、もう受験生はいない。開いた窓の奥で、試験官らしい男が大きな砂時計を返していた。
「事故報告には、俺たちの名前が載っています。車掌さんが書いた」
「学院へ届けば確認します」
「いつ届きますか」
「分かりません」
正しい答えだった。
現場の報告に、受験生二人の都合は届かない。事故現場では今も、車掌が乗客の名と怪我を一人ずつ照合しているはずだ。
「だったら、ここで待つ」
ルカは門から一歩下がった。
フィオナが横を向く。
「いいの?」
「報告が来る前に帰ったら、来ても確認されない」
「そこじゃなくて。もっと怒るとか、入れてくれって頼むとか」
「この人に決める権限がないなら、困らせるだけだ」
係員が門の向こうで、ほんの少し眉を動かした。
フィオナは鉄格子から手を離した。
「そういうところ、変に真面目だね」
「変は余計だ」
「褒めたのに」
「どこを」
「今考えてる」
二人は門脇の石壁へ寄った。
走っている間は気づかなかったが、右の靴へ水が入っている。列車内で膝をついたせいか、ズボンにも煤が擦りついていた。フィオナの髪は結び目から半分ほど抜け、飛行眼鏡の片側に細い傷が増えている。
試験会場へ来たというより、修理場から追い出された二人に見えた。
フィオナが濡れた前髪を指で持ち上げ、息だけの短い詠唱を始めた。髪の先がわずかに揺れたところで、風は消える。
「乾かない」
「列車で使いすぎたんだろ」
「分かってる。でも受験票へ水滴を落とすよりはいいかなって」
ルカは鞄から残りの丸パンを出した。列車で一つ渡し、自分は食べそびれていた。半分に割ると、塩漬け肉の多い方をフィオナが先に取る。
「遠慮は」
「さっき聞いた。空腹よりはまし」
自分の言葉を返され、ルカは残った方を食べた。
試験を受けられなければ、夕方の列車で町へ戻れる。ガレスは何も言わず戸を開けるだろう。向かいのパン屋には、事故で遅れたと説明すればいい。
説明できる相手ばかり考えていることに気づき、パンが急に飲み込みにくくなった。
門の内側から足音が近づいた。
銅褐色の髪を整えた少年が、係員へ一枚の紙を渡す。外套の襟も袖口も乱れていない。受験生の識別札はルカたちと同じだが、胸元には赤い火属性の標章が留められていた。
「第三試験室、一名欠席。開始手続きを完了しました」
「ご苦労さまです、ローデル君」
試験官の補助を任された受験生らしい。
少年――カシアンは、門の外にいる二人へ目を向けた。先に見たのは泥のついた靴、その次が閉じた門、最後が受験票だった。
「遅刻者ですか」
「鉄道事故の報告待ちです」
係員が答える。
カシアンの視線が、フィオナの乱れた髪とルカの古い救助帯を通った。
「事故で交通が止まったとしても、集合時刻は全員に同じです。救難現場では、到着の遅れが担当区域の空白になります」
フィオナが壁から背を離した。
「事情も知らないのに、よくそこまで言えるね」
「知らないから、現在確認できる事実を言っています」
「私たちが何をして遅れたかも、事実の一つでしょ」
「報告が届けばそうなる。今は自己申告です」
言葉の角度まで揃っていた。
カシアンの声に笑いは混じっていなかった。確認の取れた事実だけで判断する。その線を崩す気はないらしい。
ルカは腹が立つ前に、ガレスなら同じことを言うか考えた。
たぶん、言う。
もう少し口数は少ないだろうが。
「報告を待つ」
ルカはカシアンへ言った。
「届かなかったら?」
「その時は受けられない」
「君はそれでいいのか」
「よくはない。でも、事故の時に乗客を置いてくればよかったとは思わない」
カシアンの眉間へ、ごく浅く線が入った。
フィオナがルカを見る。
さっきまでカシアンへ向いていた苛立ちが少し薄れ、その代わりに何かを測るような目になっている。
門衛詰所の中で、短い鐘が鳴った。
金属の小さな音が二度、三度と続き、壁の内側を走る伝達索が震える。
係員が小窓へ向かった。円筒形の受信器から、細長い紙が押し出されている。有線式の魔導通信だ。
紙面を追っていた係員の手が止まった。
「王都鉄道局、第七水路橋手前で車軸損傷。負傷者二名、いずれも軽傷」
続けて、二人の名前が読まれた。
「避難誘導協力者、ルカ・フェルド。フィオナ・セイル。車掌および乗客六名の証言あり」
フィオナが両手を腰へ当てた。
「現在確認できる事実になった?」
カシアンは通信紙を確認した。
「なった」
言い訳も、言葉の飾りもなかった。
係員が門の横木を外す。
「公共事故への対応による遅刻として、受験を認めます。ただし第一試験はすでに始まっています。終了時刻の延長はありません」
鉄格子が開いた。
ルカは受験票を受け取り、門をくぐった。救助帯の金具が、走った時のまま少し脇腹へ食い込んでいる。
直している時間はない。
カシアンが石畳の先を指した。
「正面棟二階。三番試験室。走れば三分です」
「案内してくれるんだ」
フィオナが言う。
「遅刻が正式に認められた以上、会場へ着かせるのは別の話だ」
「やっぱり変な人」
「君に言われる理由はない」
フィオナは笑った。
列車の中で見せた、苦しさをごまかす笑いとは違う。
ルカが正面棟へ走り出すと、すぐ隣へ並んだ。
「ねえ、ルカ」
「何だ」
「試験より助ける方を選んで、本当に帰ることになっても後悔しなかった?」
靴の中で水が鳴る。後悔しないと言い切れば、たぶん嘘になる。
「帰りの列車では、かなり後悔したと思う」
「するんだ」
「するだろ。でも、戻っても同じことをする」
フィオナは一歩だけ先へ出た。
「うん。やっぱり面白い」
「何が」
「今は試験。話はあと」
正面棟の扉を開けると、紙をめくる音が廊下まで聞こえた。
三番試験室の前で、試験官が時計を見る。
「残り、一刻と四分です。席へ」
机の上には、まだ白い解答用紙が待っていた。
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