開いた退路
横穴を曲がった先から、鉄を叩く音がした。
一度。
少し間を置いて、もう一度。
「人がいる!」
フィオナが壁へ耳を寄せる。
「前から。近い!」
横穴は低く、膝をついて進むしかない。冷却水が脛まで流れ、砕けた石が水底へ転がっている。
ルカは一番後ろを振り返った。
崩れた冷却路の隙間から、バルグランの爪が出たり消えたりしている。太い石を一枚ずつ引き剥がしていた。
「止まらず行け。俺が後ろを見る」
「その身体で?」
フィオナの声が低くなる。
「見るだけならできる」
「本当に見るだけね。押さえるとか、殴るとか、なし」
先頭のダリオが水底をレンチで探り、石のない場所を示す。年配の施設員と若い施設員が防熱布を前後から持ち、脚を固定した仲間を運んだ。額を負傷した一人は、残り少ない交換空気筒の面をずれないよう押さえている。
十歩先の曲がり角には、鉄格子がはまっていた。
向こう側から白い光が差す。
「第八班! 返事をしろ!」
ローウェンの声だった。
「七人いる! 施設員三人、一人は両脚を負傷!」
ルカが答えると、鉄格子の向こうで複数の声が動いた。
「全員生存。施設員一名は歩行不能!」
「聞こえた。格子から二歩下がれ!」
下がれる幅はない。七人は曲がり角の手前へ詰まり、負傷者だけを水の浅い壁際へ寄せた。
鉄格子の四隅が白く光る。ローウェンの防護光が石壁へ入り、横穴の天井を押さえた。
続いて、格子の留め金が一つずつ曲がる。
「ボルク先生だ」
ダリオは留め金を見ず、外れる音だけで名を当てた。
「上側二本を先に抜いてる。天井の荷重を格子へ落とさないためだ」
最後の留め金が外れた。鉄格子が外側へ倒れ、土と冷たい外気の匂いが横穴へ入る。
向こうは排水点検口から続く細い保守坑だった。セラと第一班の生徒二人が入口に膝をつき、その後ろに左足首を固定した生徒が横たわっている。
四人とも生きていた。
「点検口を抜けてすぐ先生たちと合流した」
セラが格子越しに言う。
「冷却路が崩れた振動を追って、この排水管を外側から掘ってもらった。間に合ってよかったとは、まだ言わない」
「ルカ、顔を見せて」
セラの声に安堵する暇はなかった。
「先に施設員だ」
「分かってる。だから、運んでいる間に見せて」
若い施設員が防熱布の前を持ったまま格子跡を越える。第一班の二人が外側から受け取り、水平を保って引いた。
固定した両脚が格子跡の縁へ当たりそうになる。ダリオが防熱布の後ろを半歩持ち上げ、外側の二人が身体ごと斜めに回した。添えた外板を曲げず、負傷者の肩から先に保守坑へ通す。
交換空気筒の針は最後の目盛りに触れていた。
外側でセラが面を押さえ、負傷者の呼吸を数え始めた。
セラはその動きから目を離さず、空いた手でルカの顎を上げた。
「深く吸って」
ルカは途中までしか吸えなかった。
「もう一度」
「同じだ」
「肩は?」
腕を上げようとしたところで止められる。
「上げなくていい。脇を締めて。そのまま動かさない」
セラは制服の上から胸の横へ指を当てた。触れた場所によって痛みが変わる。
「肋骨を傷めてる。内側まで折れていたら、咳に血が混じる。出た?」
「まだ」
「次は『動ける』で済ませないで」
声量は小さい。ルカは目を逸らさず頷いた。
セラは首に巻いていた薄い布を外し、ルカの腕を胸の前で吊った。結び目を背へ回し、肩が揺れない長さまで詰める。
「応急固定。走ればずれる」
「走らない」
「今の状況で、それは信用してない」
外側で防熱布が地面へ置かれる。
「止血を替える。空気筒は外すまでそのまま!」
セラは負傷者の方へ移った。
ボルクが鉄格子の跡へ太い支柱を二本入れる。ダリオも外へ出ようとしたが、保守坑全体が大きく揺れた。
支柱の片方が沈む。
ローウェンの防護光に細い亀裂が走る。外側の救助員二人が支柱へ体重を掛け、開口部の上から落ちる土を背で受けた。
「九十秒だ!」
ボルクが怒鳴った。
「この穴を開けておけるのは九十秒! 歩ける者から出ろ!」
「怪物は冷却路の向こうです」
カシアンが亀裂の入った杖を見せる。
「炎を吸収し、内部に複数の炉があります。冷却路は全壊しました」
「説明は地上で聞く。今は出ろ」
ローウェンが外側から手を伸ばす。
額を負傷した施設員が格子跡を越え、年配の施設員も続いた。これで救出した三人は全員、教師側へ渡った。
フィオナが外へ出る位置につく。ダリオが次、その後ろにカシアン。ルカは最後尾に残った。
バルグランが石を砕く音が近づいている。
あと七十秒。
全員が通れる。
水底から、別の音がした。
短く三回。
間を置いて、もう三回。
ルカは後ろを向いた。
「今の、聞こえた?」
フィオナが外へ出しかけた姿勢で止まる。
「下から。水管を伝ってる」
年配の施設員が格子の向こうから這い戻ってきた。
「もう一度鳴るか、黙って聞け!」
全員が動きを止める。
バルグランの爪が石を削る音に混じり、短い打音が三回続いた。
「下部吸気室の手動打音器だ」
施設員の顔から血の気が引く。
「班長が主炉の遮断輪を閉じに行った。俺たちは南管、あの人は下へ……通信が切れてから戻っていない」
「人数は?」
「一人だ」
ローウェンが穴の外から言う。
「位置だけ伝えろ。後は教師と救助隊が引き継ぐ」
「下部吸気室は、この排水路の分岐を左へ。旧収容炉の下を通って六十歩ほどだ」
ダリオが壁を見る。
「その分岐は崩れてないのか」
「打音が水管を通ってる。管がつながっているなら、道も一部は残ってる」
「推測で戻るな」
ローウェンの声が強くなる。
「ルカ、君から出ろ。負傷者を渡し終えた。次は生徒の退避だ」
正しい命令だった。
教師側は支柱を押さえ、セラは二人の負傷者を診ている。第一班の二人は搬送を手伝い、保守坑の奥では地上へ運ぶための声が飛び交っていた。
ここを出れば、ルカも治療を受けられる。
打音が止まった。
「あと五十秒!」
ボルクが支柱の根元へ楔を打つ。
ルカは格子跡まで進んだ。ローウェンの腕が届く距離だった。
その向こうにセラがいる。フィオナも、ダリオも、カシアンも出られる。
ルカは鉤縄を腰へ結び直した。傷んだ救助帯には掛けず、縄だけを二重に回す。
「ルカ?」
フィオナが呼ぶ。
「三人を地上まで頼む」
「何を言ってるの」
「俺は下へ行く」
ローウェンの腕が伸びる。
ルカは一歩だけ後ろへ下がった。
「命令だ。出ろ!」
「先生たちは、この穴を支えないと全員が出られない。救助隊が入れる頃には、信号が止まってるかもしれない」
「その負傷で六十歩は無理だ!」
「だから一人で行きます。誰にも来てくれとは言いません」
長く話すと脇腹が痛んだ。
ルカは返事を待たず、横穴の分岐へ身体を向けた。
暗い水路の先で、短い打音が鳴った。




