地下の救助者
隔壁を越えた途端、煙で天井が見えなくなった。
ルカは身を低くする。床まで届く煙は薄い。だが奥へ行くほど、施設員の咳が近くなる。
「フィオナ、空気は」
「右奥から少し来てる。強く流すのは待って。出口が分からないまま押したら、煙まで人にぶつける」
フィオナが床すれすれに風を送る。煤が細い線になって奥へ進み、右の壁へ吸い込まれた。
「排水口がある。そこを開ければ煙を落とせる」
「俺が見る」
ダリオが測定針で床を探りながら進む。カシアンは開けた隔壁の横に立ち、冷却路と青い扉の音を聞いていた。
「バルグランは下側にいる。扉への衝撃は、まだ一定だ」
ルカは声のした方へ呼びかけた。
「救助に来た! 返事をしてくれ!」
「ここだ!」
煙の下から腕が出た。年配の施設員が床を這ってくる。上着の肩が焦げ、咳をするたび身体を丸めた。
ルカはその前へしゃがむ。
「話せる?」
「ああ。俺は歩ける。奥に二人……若いのと、梁の下だ」
「呼吸はできてる。大きな出血は?」
「俺はない。挟まれた奴は脚から血が出てる」
セラに言われた順を頭の中で追う。返事、呼吸、出血。年配の施設員は自分で動ける。
「隔壁の手前まで行って、伏せて待ってくれ。カシアン、頼む」
カシアンは施設員の腕を肩へ回し、入口へ運んだ。ルカは先へ進む。
十歩ほどで、横倒しになった水圧調整器が道を塞いでいた。若い施設員がその陰に座り、額を布で押さえている。意識ははっきりしていた。
「立てるか」
「立てる。でも、あいつを置いてはいけない」
「ここで何が起きた」
「南の蒸気管を閉じに来た。主弁を回した途端、天井の支えが抜けた。俺たちは調整器の陰へ逃げたが、あいつだけ間に合わなかった」
主弁の横には、工具を深く差し込んだ新しい傷があった。侵入者は蒸気管にも手を入れていた。
調整器の奥に、三人目がいた。
天井から落ちた梁が斜めに倒れ、男の両脚を膝下で挟んでいる。梁の端は壁へ食い込み、その上に割れた天井板が重なっていた。男は笛を胸に抱え、浅い呼吸を繰り返している。
フィオナが交換空気筒の面を男の口元へ当てた。残量針は半分を少し下回っている。
「吸える? 一度に大きく吸わなくていいから」
男が二度呼吸すると、肩の上下が少し遅くなった。
「聞こえるか」
「聞こえる。脚は……感覚が鈍い」
ルカはすぐ梁へ手を掛けかけた。
ダリオが靴先で床を鳴らす。
「触るな。そいつが天井を支えてる」
ルカは手を止めた。
梁の上から細かな石粉が落ちている。ここで持ち上げれば、天井板が男の胸へ落ちる。
「どう支える?」
「梁の荷重を先に右へ移す。使える柱がいる」
「修理用のねじ支柱が、調整器の裏に二本ある」
額を押さえていた施設員が言った。
「一本は曲がってる。もう一本なら」
「取ってくれ。走るな。床が割れてる」
ダリオは返事を待たず、梁と床の角度を測り始めた。
フィオナが右壁の丸い排水蓋を見つける。取っ手へ風を集め、詰まっていた煤を内側から吹き飛ばした。蓋が開くと、煙が低い穴へ吸い込まれていく。
「三十秒で上が見える。たぶん」
「たぶんか」
「閉まったままよりはいいでしょ」
声はいつもより速い。額に汗が流れ、呼吸も浅くなっている。それでも風の幅は排水口から外れなかった。
青い扉が強く鳴った。
カシアンが隔壁の外を見る。
「扉の中央が裂けた。次の衝撃で撤退する」
「支柱が来るまで十五秒!」
若い施設員がねじ支柱を抱えて戻った。ダリオは梁の右側へ立て、下端を床の溝へ入れる。
「ここを回せ。止めると言うまで」
施設員がねじ輪を回す。支柱の頭が伸び、梁の下へ触れた。
「ルカ、鉤縄を梁の低い側へ。柱には掛けるな。奥の水管へ一周させろ」
ルカは鉤を梁の下へ滑らせた。縄を奥の太い水管へ回し、輪を作る。傷口へ力が入らないよう、縄は前腕と肩に掛けた。
「引けばいい?」
「まだだ」
ダリオが支柱の接地面へ短いレンチを当てる。震えた指を握り込み、金属魔法を流した。支柱の下端が床の溝へわずかに食い込む。
「今。五センチで止めろ」
ルカと若い施設員が縄を引く。梁の端が上がる。
一センチ。
二センチ。
挟まれた男が歯を食いしばる。脚の下から暗い血が広がった。
「止める!」
ルカが縄を固定する。上がった幅は、指三本ほどしかない。
「それで足りる。先に身体を引け」
ダリオは梁から目を離さない。
ルカは防熱布を男の腰の下へ押し込んだ。若い施設員が反対側から布を引き、背中まで通す。
「胸は痛む?」
「ない」
「首を動かせる?」
「動く」
「脚は引かない。身体ごと布で動かす」
止血布を膝下へ当てる。梁が外れた後に出血が増えるかもしれない。結び目を作り、すぐ締められる位置に残した。
青い扉が破れた。
低い音とともに、冷却路から熱風が入る。隔壁の向こうで年配の施設員が叫んだ。
「何か入ってきたぞ!」
「撤退開始!」
カシアンの声が通る。
「フィオナ、風を入口へ。ルカ、引き出せ。ダリオ、支柱を捨てる時は言え!」
フィオナが排水口へ送っていた風を反転させる。熱風を隔壁へ押し返し、床近くに呼吸できる空間を残した。
「引く!」
ルカと若い施設員が防熱布を引く。挟まれていた脚が梁の下から出る。
血が止血布へ広がった。
「締めるぞ」
ルカは結び目を絞った。男の声が詰まる。
「声を出してくれ。名前は言える?」
「言える……意識もある」
「そのまま返事を続けて」
折れた管の外板が床に二枚落ちていた。ルカは縁を靴で踏んで曲がりを戻し、男の両脚へ添える。若い施設員が作業帯を外し、外板ごと膝下を固定した。
「足先の感覚は?」
「ある。痛い」
「痛みが変わったらすぐ言って」
フィオナが交換空気筒を防熱布の胸元へ置き、面が外れないよう管を短くまとめた。残った空気は帰り道で使う。
ダリオがねじ支柱から手を離した。
「全員、梁から離れろ!」
四人と施設員が床へ伏せる。支柱が横へ弾け、梁が元の位置へ落ちた。天井板も一枚崩れたが、男の身体はすでに防熱布の上にある。
カシアンが年配の施設員を連れて戻ってきた。
「バルグランは冷却路へ入った。こちらまで四十歩。炎は使っていない」
「この人は歩けない」
「二人で布を持つ。動ける二人は前後につけ」
カシアンと若い施設員が防熱布の端を持つ。年配の施設員は額を負傷した仲間へ肩を貸した。
ダリオの膝が一度折れた。
ルカが支える。
「魔力を使い切ったか」
「少し残ってる。だが、次に梁を止めろと言われても無理だ」
「次は別の方法を探す」
七人で隔壁へ戻る。
フィオナが最後尾から風を送り、煙を排水口へ残した。後ろの暗闇で、太い爪が床を削る音がする。歩く速さではない。一歩ごとに近づいていた。
「隔壁まで十歩」
ルカが声をかける。
「負傷者を先に通す。動ける二人、その次。ダリオ、フィオナ、カシアン、俺の順だ」
「待って」
フィオナの風が止まった。
開けた隔壁の向こうからも、熱が流れ込んでくる。
ルカたちが戻ろうとしていた隔壁の外、冷却路の中央に赤い目が二つ浮かんでいた。
巨大な頭が下がり、二本の角が出口を塞いだ。




