消えた退路
落ちた鉄板が、下で二度跳ねた。
「聞こえるか!」
ルカは作業路の入口に膝をついた。暗闇の下から、荒い息が返ってくる。
「いる……足が、挟まった」
声は近い。フィオナが指先に小さな風を集め、通路の下へ流した。床下の粉塵が押しのけられ、三メートルほど下に傾いた鉄棚が見えた。落ちた生徒は、その上で左脚を曲げている。外れた床板が脛の横へ乗っていた。
「頭は打った?」
セラが声を張る。
「分からない。意識はある。足は動かせない」
「首は動かさないで。名前と、今いる場所を言える?」
返事は途切れなかった。意識ははっきりしている。だが、鉄棚の壁側を留める金具が一本抜けていた。生徒が息をするたび、棚全体がわずかに沈む。
曲がり角の向こうからカシアンが現れた。その後ろに第一班の二人が続く。
「縄はあるか」
「一本。俺が下りる」
「右手を使うな」
セラが即座に止めた。
「腰で受ける。結ぶのは左でやる」
ルカは壁前へ残した模擬人形を見た。右脚には添え板が巻かれ、搬送布の端が床へ垂れている。
「あれを使う」
セラは迷わなかった。人形から搬送布を抜き取り、ルカの腰へ回す。人形は添え板を残したまま、石壁の前へ置かれた。
「本物を先にする。人形の札はもう見なくていい」
ダリオは作業路の入口を調べていた。頭上には、錆びた安全扉が半分だけ持ち上げられている。扉の端を、古い留め具が支えていた。その脇に太い支柱が一本通っている。
「縄は柱に回せ。鉄床へ掛けたら一緒に落ちる」
ルカが鉤縄を支柱へ回す。ダリオは結び目を引き、柱の根元へ鉄楔を打ち込んだ。
「柱は持つ。ただし下の棚は長く持たない」
「何分?」
「一分で上げろ」
フィオナが作業路の端に伏せた。
「風を下から返す。揺れたら止めるから」
カシアンは第一班の二人へ向き直る。
「縄を引く。合図はルカに合わせろ。勝手に炎を使うな。空気も床の強さも分からない」
ルカは搬送布を簡易の降下帯にし、暗闇へ足を下ろした。腰で重さを受け、両脚で身体を支える。包帯を巻いた手は縄へ添えるだけにした。
「下ろして」
縄が少しずつ伸びる。
鉄棚へ左足を乗せた瞬間、金具がきしんだ。フィオナの風が下から当たり、落ちてくる煤を横へ払う。ルカは膝をつかず、生徒の肩へ手を置いた。
「ルカだ。今から板を外す。動かないでくれ」
「落ちないか」
「上に七人いる」
生徒が暗い天井を見た。
「八人だ。俺も数えろ」
「そうだな。八人で戻る」
板は脚を押さえているだけで、皮膚を貫いてはいない。ルカは肩を板の下へ入れた。持ち上げようとすると、鉄棚まで傾く。
「ダリオ。棚が動く」
「壁側へ押すな。外側を三センチ上げろ」
上から声が飛ぶ。
「カシアン、縄を張って。フィオナは板の先を右へ」
セラの指示で、縄がルカの腰を引き上げる。身体が軽くなった分だけ、肩を板の下へ差し込めた。フィオナの風が板の端を押す。
「今だ」
板が脚から外れた。ルカはそれを暗闇へ落とさず、棚の奥へ滑らせる。
生徒の左足首は腫れ始めていた。セラが上から言う。
「立たせないで。搬送布を胸と腿へ回して」
ルカは自分の腰から布を外し、生徒へ結び直した。包帯の下が引かれたが、手袋へ血がにじむ感覚はない。
棚がまた沈んだ。
「上げる!」
カシアンの声に合わせ、二班の六人が縄を引いた。最初に生徒の肩が床の高さへ届く。セラと第一班の生徒が腕を取り、狭い鉄床へ引き上げた。
次はルカだった。
壁へ足を掛けたところで、下の鉄棚が外れた。金属の塊が暗闇へ落ち、しばらくして重い音が響く。縄が一気に張り、右掌へ痛みが走った。
「離すな!」
「離してない!」
ルカは左肘を床の縁へ掛けた。カシアンが襟をつかみ、ダリオが搬送布ごと引く。身体が鉄床へ転がり上がった。
セラは落下した生徒の横へ座り、瞳と呼吸を確かめた。左足首に固定布を巻く。
「骨折の可能性がある。歩かせない。ほかは?」
「腰を打った。でも、動く」
「動かさなくていい。運ぶから」
ルカが起き上がると、カシアンが包帯を見た。
「傷は」
「開いてない」
「なら運べ。俺たちも持つ」
その時、入口の上で金属が弾けた。
ダリオが振り返る。安全扉を支えていた留め具が、床へ落ちていた。
「全員、扉から離れろ!」
安全扉が落ちた。
轟音が狭い通路を打つ。ルカたちが入ってきた隙間は、厚い鉄板で塞がれた。鉄楔を打った支柱は残ったが、扉そのものには指一本入る隙間もない。
向こう側から何かが扉を叩いた。
「第八班! 応答しろ!」
ローウェンの声だ。扉脇の細い伝声管を通し、ひどくくぐもっている。
「全員生きています! 落下者一名、左脚を負傷。第一班と合流しました!」
ルカが管へ答える。
「扉を上げる。近づくな」
外側で手動輪の回る音がした。安全扉が震え、動きを止めた。
ダリオが扉の下へ測定針を近づける。針は右へ強く倒れた。
「閉鎖爪が二本とも掛かってる。手動輪だけじゃ外れない」
ローウェンへ伝えようとした時、遠くで短い警報が三回鳴った。
続いて、扉の向こうで蒸気が勢いよく噴き出した。
「ローウェン、南の蒸気管が開いた!」
マレクの声が遠くから届く。
「ボルクを回せ! ここは俺が――」
「入口側にも圧が来てる! 二人必要だ!」
言葉が重なった後、ローウェンが伝声管へ戻る。
「聞け。別区画で蒸気漏れが起きた。こちらは対応を分ける。扉を開くまで、その場で待つな。反対側の保守路を探せ」
「地上階段へ戻れますか」
「今の位置からは確認できない。北東に古い点検階段があるはずだ。現地の表示を優先しろ。負傷者を一人にするな」
返事の後、伝声管から足音が遠ざかった。蒸気の噴出音は止まらない。
セラが落下した生徒の固定を終えた。模擬人形へ使っていた搬送布を背中まで通し、二人で支えられる形にする。
「揺らさなければ運べる。先頭は床を調べて」
カシアンは曲がり角の先へ目を向けた。第一班が来た道の奥には、分岐が二つあるという。
「競技は終わりだ。第一班は先行して左の道を調べる」
「待って」
フィオナが通路へ手をかざした。
「左は空気が戻ってくる。奥で塞がってるかもしれない。右は弱いけど流れてる」
第一班の一人が眉をひそめる。
「配置図では左が点検階段だ」
「ここまで来て、まだ図だけを信じるの?」
カシアンはすぐに右の通路を見た。
「ダリオ。床は」
「入口の二枚は持つ。その先は見てからだ」
「では右へ行く。二班を分けない。負傷者の左右に一人ずつ、後ろに二人つけ」
ルカが負傷した生徒の左側へ入り、カシアンが右側を持った。セラは後ろから腰を支える。ダリオとフィオナが先へ出て、第一班の二人がしんがりについた。
鉄扉の向こうには、模擬人形と来た道が残っている。こちら側にいる八人を運び出さなければ、競技の結果に意味はなかった。
「上げるぞ」
ルカとカシアンが同時に腰を落とす。
負傷者を抱えた二班は、配置図にない右の通路へ進んだ。




