配置図にない道
「待って。熱も動いた」
先頭にいたルカが、開いた扉を越えずに止まった。
ローウェンが隣へ来る。
「どこだ」
「壁の下。北へ行った。もう、この近くにはない」
マレクが扉の左右へ銀輪を向けた。輪は暗いままだった。石床へ長い温度棒を当て、中央路の奥まで位置をずらしていく。
「反応なし」
「感じた長さは?」
「三秒くらい。扉が開くのと同時だった」
ローウェンは実習用の救難鈴を止めなかった。第一班と第八班を入口の外へ並ばせ、先にマレクを中央路へ入れる。
マレクは十歩進んだ。床、壁、天井の順に銀輪を向け、戻ってくる。
「術式も温度も変化なし。換気は正常だ」
「よし。俺が二班の後ろにつく。異変があれば、その場で実習を切る」
ローウェンが入口の砂時計を返した。
二班が動き出す。
北区画に置かれた模擬遭難者を一体ずつ探し、入口まで運ぶ。早さだけでなく、負傷表示に合う処置と帰路の安全も見られる。第八班は中央路、第一班は東路から入った。
ルカは走らなかった。壁の番号を一つずつ確かめながら、胸に残る熱を探す。入口を離れて二つ目の角まで、熱は戻らない。
「風は?」
「前から来てる。弱いけど、止まってない」
フィオナの前髪がわずかに揺れていた。
「床は古い。右端を踏むな」
ダリオが測定針で石の継ぎ目を追う。右側だけ、針先が細かく跳ねた。床下に使われていない管が残っているらしい。
四人は左へ寄った。ローウェンが十歩ほど後ろをついてくる。
救難鈴は、北の貯炭室から聞こえた。
東の壁にある細い通気穴から、橙色の光が三度漏れた。続いて、第一班の誰かが「確保」と叫ぶ。向こうも遭難者を見つけたらしい。
「あっちはもう搬送に入るね」
フィオナが足を速めかけ、すぐ戻した。床の右端には、ダリオが警告した古い管が通っている。
「急ぐなら左だ」
「分かってる」
四人は列を崩さず、貯炭室へ向かった。
扉は半分開き、傾いた棚へ当たっている。フィオナが隙間から風を通す。
「中に一体。奥の壁際。天井から音はなし」
ダリオは扉の下へ屈んだ。
「蝶番は持つ。棚を三センチ戻せば、人が通れる」
「右手は使わないで」
セラが先に言った。
「分かってる」
ダリオは短いレンチを棚の脚へ噛ませた。ルカが肩を扉へ入れ、棚を押す。包帯を巻いた手は壁に添えるだけにした。
「今」
棚が動く。フィオナが折れた木片を足で押し出し、通れる幅を空けた。
人形は横向きに倒れ、胸の札が黄色へ変わりかけていた。右脚に骨折を示す赤線がある。
「呼吸表示は保ってる。脚を固定して運ぶ」
セラが添え板を当てる間、ルカは人形の背へ搬送布を通した。ダリオが結び目を確かめる。貯炭室には入口と反対側にも扉があり、配置図では中央路の出口側へつながっていた。フィオナが帰りの風を見に、その扉まで進む。
「中央路、まだ使える」
四人で人形を持ち上げ、奥の扉から帰路へ入った。
入口の砂時計が落ち切る前に戻れば、第一班と救出時間を比べられる。ルカは人形の足側を持ち、来た道を引き返した。
一つ目の角を抜ける。
中央路がなくなっていた。
配置図では白い階段まで続く幅広い通路を、灰黒い壁が塞いでいる。床から天井まで石が積まれ、左右にも人が抜けられる隙間はない。
四人は人形を下ろした。ローウェンが後ろから追いつく。
「道を間違えた?」
フィオナが来た方を見る。
「角は一つしか曲がってない」
ルカも壁番号を確かめた。右に北三、左に北四。地図では、その間を中央路が白い階段まで伸びている。
胸の奥に、弱い熱が戻った。
壁の向こうだ。
「先生。あの熱も、この先にいる」
「近づくな」
ローウェンは連絡用の笛を二度吹いた。硬い音が通路を往復する。東側から返事の笛は聞こえない。
「第一班にも知らせる。壁は壊すな。戻るか、外から別の道を探すかは自分たちで決めろ」
ローウェンが来た道を戻っていく。
ダリオは壁の前へしゃがんだ。触れずに目を細め、石の端から端まで見ている。
「壊すなって言われた」
セラが声を落とす。
「壊さない。見るだけだ」
ダリオが床を指した。
「この壁、下まで届いてない」
石と床の間に、爪の厚さほどの黒い線がある。古い壁なら溜まるはずの埃がなく、奥から薄い空気が漏れていた。
フィオナが糸を一本垂らす。糸は壁へ吸いついた。
「向こうに道がある」
ダリオは左端の石を短いレンチでこすった。表面の煤が剥がれ、下から白い漆喰が出る。
「新しい」
「工事した壁?」
「違う」
今度は石の角を示す。細い擦り傷が斜めに何本も走っている。
「同じ大きさに切ってない。合わない石を鉄棒で押し込んで、上から煤を塗ってる。急いで隠しただけだ」
ルカは地図を開いた。壁の向こうは中央路。その左には、冷却用の細い管路が並んでいる。
「戻れば、東路から出口へ行ける」
セラが人形の胸札を見た。黄色が少し濃くなっている。
「このまま待つ時間も、戻る時間も増える。人形はまだ悪化してない」
「競技なら戻るべきだ」
ダリオは壁の傷から目を離さなかった。
「でも、これを作った奴は中央路を塞ぎたかった。第一班が向こうにいる」
入口へ戻れば、模擬遭難者は時間内に運べるかもしれない。壁を調べれば、その時間を失う。
ルカは人形の顔を見た。布を詰めた訓練用の顔だ。その向こうから、第一班の返事は来ない。
「人形をここに置く。セラが見る。俺たちは壁の端だけ調べる」
「何分?」
「二分。抜け道がなければ戻る」
セラはルカの包帯を見た。
「壁を動かさない。傷が開いたら、二分を待たずに戻す」
「分かった」
フィオナはすでに右端へ移っていた。壁へ風を当てず、頬を近づけている。
「こっちは空気が出てこない。左は?」
ルカとダリオが左端へ回る。壁際には、石炭の空箱が三つ積まれていた。ダリオが一番上を降ろし、ルカも残りをずらす。
最後の箱の後ろに、人一人が横を向けば通れる隙間があった。
壁は左端だけ、元からある柱へ届いていない。隙間の先へ細い鉄床が伸び、その下は暗く落ち込んでいる。手すりもない。地図に描かれた冷却管路の保守用らしい。
煤の薄い鉄床には、新しい靴底の跡が奥へ続いていた。
「作業路だ」
ダリオが測定針を入れる。足元の鉄板に反応が出た。
「幅は五十センチ。途中で右へ曲がる。床板の継ぎ目が多い」
フィオナが隙間へ耳を向けた。
「向こうで声がする」
ルカにも、鉄を踏む音が聞こえた。
「カシアン!」
呼ぶと、壁の奥から声が返った。
「ルカか。中央路が塞がれている。こちらも地図にない通路を――」
言葉の途中で、金属が曲がった。
「下がれ!」
カシアンの声。
薄暗い作業路の曲がり角から、第一班の生徒が一人、身体を横にして現れた。右足の下で鉄板が外れる。
生徒の腰が落ちた。両手が床の縁をこすり、そのまま暗闇へ消える。
下から、訓練用ではない叫び声が響いた。




