最下位班の成功
一週間の補習を終えた翌朝、二体の人形がルカたちの前を通って訓練棟へ運び込まれた。
係員が人形の両端を持ち、開いた入口の向こうへ消えていく。棟の形は前回から組み替えられていた。窓の位置も階段の向きも、壁から突き出した梁の数も変わっている。
「見える所だけで三か所は崩れるな」
ダリオが入口の上枠を見た。右手首の固定布は外れている。
「縁起でもないこと言わないでよ」
「崩すための建物だぞ」
フィオナは反論をやめ、頭の飛行眼鏡を下ろした。傷のある左のレンズ越しに、二階の窓を確かめる。
セラは四人の防護札へ順に触れた。淡い光が一度ずつ返る。
「全員使える。防護範囲は前回と同じ。離れすぎたら切る」
「右手は?」
ルカが訊くと、ダリオは工具鞄を持ち上げた。
「治った。お前の肩は」
「動く」
「治ったとは聞いてない」
セラの声が低くなり、二人とも口を閉じた。
「痛みはない?」
「ない」
「ならいい」
開始位置の白線へ四人で入る。
前回と同じ二十分。人形を二体とも白線外へ運ぶ。損傷させれば時間内でも失敗となる。
ローウェンが片手を上げた。
「始め」
フィオナの風が走った。
正面入口から入り、床を撫で、壁の穴を抜けて戻る。二階の割れた窓からも別の風が入り、棟の内側でぶつかった。
ダリオは入口の前へ膝をつく。測定針を床へ刺し、上枠を小槌で叩いた。
「左の柱が浮いてる。右から入る」
「一体は一階奥。もう一体は二階の窓側」
フィオナが目を閉じたまま答える。
「一階の音が弱い。上に何かかぶさってるかも」
「先に一階へ行く」
ルカは三人を見た。
「ダリオ?」
「右壁沿いなら通る」
「セラ?」
「入れる。二階の床で大きな音がしたら戻る」
「フィオナは二体目を追える?」
「任せて」
「行こう」
四人で入口を越えた。
一階の通路は、倒れた棚で半分塞がれていた。ルカが下段へ手を掛けると、ダリオが棚の脚へ測定針を差し込む。
「引くな。上の梁を支えてる」
見ると、棚の角へ落ちた梁が斜めに載っていた。棚を退ければ梁が通路へ落ちる。
「梁をダリオが固定。フィオナは棚の上を軽くできるか?」
「浮かせるのは無理。右へ倒すなら手伝える」
「セラは奥を見て」
「全員が棚の手前にいる間だけ」
セラが防護光を梁の下へ伸ばす。崩れた時に受け止めるための薄い膜だった。
ダリオの地魔法が梁の端を壁へ縫い止める。フィオナの風が棚を右へ押し、ルカが左脚を持ち上げた。
「倒すぞ」
棚は通路と平行に横倒しになった。梁は壁に残り、天井から砂が少し落ちただけで止まる。
その先に一体目がいた。
人形はうつ伏せで、背中に薄い板が載っている。胸の状態札は黄色く変わりかけていた。
「首を動かさないで」
セラが人形の頭側へ入った。首と背中へ固定具を当て、状態札を確かめる。
「背部損傷。仰向けにはしない。このまま担架へ」
ルカとダリオが左右へ入り、フィオナが板を風で持ち上げた。セラの合図で身体を浮かせ、担架を滑り込ませる。
「誰と運ぶ?」
ダリオが訊いた。
「俺とダリオ。フィオナは帰り道と二体目。セラは頭側を見て」
「分かった」
返事が三つ重なった。
一体目を白線外へ運び出した時、隣の区画から歓声が聞こえた。すでに二体を終えた班がいる。
フィオナはそちらを見なかった。
「二体目が動いた」
「人形が?」
「床ごと。二階の窓側へ傾いてる」
四人は棟へ戻った。
二階へ上がる階段は途中から折れていた。残った三段の上に細い板が渡され、その先へ踊り場が続いている。一人なら越えられる距離だった。
ルカは板へ足を掛けた。
靴底の下で板が沈む。
もう一歩進めば踊り場へ届く。しかし人形を抱えて同じ道を戻る幅はなかった。
ルカは足を戻した。
「ここは使わない」
ダリオが板の下を覗く。
「上へ行くだけなら早いぞ」
「人形を下ろせない。別の道を探す」
「外の窓」
フィオナが上を指した。
「二階の風が抜けてる。窓まで行ければ外から下ろせる」
「二階へどう上がる?」
「私が縄を運ぶ。あの梁に掛ける」
ルカは吹き抜けの上を見た。天井近くに太い梁が渡り、二階の手すりへ続いている。鉤縄が掛かれば登れる。
「梁は持つか?」
「今から見る」
ダリオは測定針を壁の根元へ刺した。黄土色の筋が柱を上り、梁の途中で枝分かれする。
「二人分までだ。人形を吊るしたら一人は下へ降りろ」
「防護は?」
「上と下へ同時には届かない」
セラが吹き抜けの幅を見た。
「先に私とルカが上がる。フィオナさんとダリオさんは下で搬送具を作って。人形を窓へ運ぶ時だけフィオナさんが上がって、私と交代」
「それなら切れない」
ルカが鉤縄を外す。フィオナへ渡す前に、残り時間を告げる声が外から飛んだ。
「第八班、あと七分!」
間に合うか。
ルカはその言葉を飲み込んだ。今は三人の答えが要る。
「七分でできる?」
「縄は十秒」
「搬送具は一分」
「人形の固定に二分」
三人の答えを足す。
「やろう」
フィオナが鉤縄を両手で持った。風が縄を押し上げ、梁の上を越える。小鉤が一度弾かれ、二度目で木の裏へ回った。
ルカが引いて確かめる。修理した救助帯の留め鋲は動かない。
先に登り、二階の手すりへ身体を移す。セラも防護光を縄へ沿わせながら続いた。
二体目は窓のすぐ下にいた。右脚が崩れた壁材へ挟まれ、胸の札は橙色まで変わっている。
「脚を引けば壊れる」
セラが壁材の隙間へ指を入れた。
「持ち上げて。指三本分」
ルカは壁材へ肩を入れた。両手を床につき、脚で押す。石を混ぜた板が少し浮く。
「止めて」
その高さで耐える。腕ではなく背中に重さを逃がす。セラが人形の脚を抜き、傷の印が増えていないか調べた。
「下ろして。損傷なし」
ルカが壁材を戻す間に、フィオナが縄を上ってきた。代わりにセラが一階へ降りる。
「窓の外は真下へ風が落ちてる。籠みたいに振られるよ」
「止められる?」
「下の二人が縄を引けば」
フィオナは窓枠の外へ風を流した。下でダリオが組んだ搬送布が、二本の縄に吊られて上がってくる。セラはその下へ防護光を広げていた。
二人で人形を布へ載せ、胸と膝を固定する。
「下ろす!」
ルカが送り縄を緩める。人形が窓の外へ出た途端、風に押されて壁へ寄った。
「右を引け!」
ダリオが下から叫ぶ。
ルカが右の縄を引き、フィオナが風を壁から外へ返す。吊られた人形は壁を離れ、セラの防護光の中央へ下りていった。
足が地面へ着く。
ダリオとセラが固定を外し、白線へ運び始めた。
「先に降りて!」
フィオナが送り縄を握る。
「一緒に行く」
「二人分までって言われたでしょ。ここは私が片づける」
ルカは頷き、鉤縄を使って一階へ降りた。
人形の足側へ入る。
「持つ」
「左だ」
ダリオが右側を取った。セラが頭の揺れを押さえ、三人で白線へ向かう。
背後でフィオナが縄を回収し、走って追いついた。
四人そろって白線を越えた。
人形を下ろす。セラが二体目の状態札を確認し、ローウェンへ見せた。橙色で止まり、損傷を示す黒い線は入っていない。
ローウェンが人形と四人を順に見た。
「二体搬出。全員帰還。合格だ」
歓声を上げる余力は残っていなかった。ルカは膝へ手をつき、息を整えた。周囲では四つの班が先に座り込んでいる。速さだけなら五番目だった。
それでも棟の奥から救助人形の声は聞こえない。
ダリオがルカの鉤縄を拾った。小鉤を確かめ、巻き直して差し出す。
「次も入口はお前が決めろ」
ルカは縄を受け取り損ねかけた。
「いいのか?」
「毎回許可を出す気はない。お前も第八班だ」
ダリオは手を離した。
「ただし外れる時は訊け」
「分かった」
「返事だけで終わらせるなよ」
隣でフィオナが笑う。セラは何も言わず、ルカの肩が上がるかを見ていた。
全班の訓練が終わると、ローウェンが白線前へ一年生を集めた。
「次の実習から属性別の戦闘訓練へ移る。救助を邪魔する魔獣や、暴走した術者を止めるための授業だ。明日は指定された訓練場へ直接集合しろ」
生徒たちの視線が、それぞれの杖や装備へ落ちる。
ルカの手には鉤縄だけがあった。
隣の訓練場で火が上がる。
カシアンが立つ標的の周囲だけを、細い炎が円く走っていた。中央に置かれた布は焦げていない。
ルカは救助帯へ鉤縄を戻し、その炎を見た。




