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8話 ホームレスと悲しい記憶


「奈美子、休憩行ける?」

「うん、ちょうど終わったとこ」


 午前中の業務は何事もなく終わり、今日は珍しく時間通りに休憩に入れそうだ。

 私は休憩室の冷蔵庫に入れていたお弁当の袋を持って歩実のもとに行く。


「何? 今日は持ってきたの?」

「うん、お弁当」

 何気なく返事をすると、歩実はポカンと口を開けて固まった。


「お、お弁当って……まさか、川崎さんが?」

「う、うん。何か、初給料のお礼にって」

 大袈裟に狼狽える歩実に正直に話すと、彼女の拳がプルプルと震い出す。


「……う、羨ましー!」

「ちょっと、近いってば」

 急に情けない顔を近づけてくる歩実の体を、私はぐいっと押し退ける。

「ね、早く食堂行こ! そんで早く中身を見せろい!」


 歩実は慌ただしく私の背中を押す。

 元気がいいと言うか、底抜けに明るいと言うか。いつまでも子供のような彼女に呆れながら、私は促されるままに歩き出した。 


 その後、私は歩実の爛々とした目に見つめられながら、食堂でお弁当箱を取り出す。

 出てきたのは、二段タイプの可愛らしいサイズのもの。いや、それよりも、私の目はあるものに釘付けだった。


「こ、小次郎だ!」


 突然大きな声を出したものだから、歩実は不審な目で私を見つめる。

「ちょっと、どうしたのよ急に」

「小次郎だよ、熊の小次郎! このお弁当箱のデザイン!」

「そ、そう……良かったじゃん?」

 興奮気味に鼻息を荒くしていたら、歩実は明らかに引いた笑顔で目をそらした。


 しかし、これは興奮せずにはいられない。

 子供の頃からの推しキャラ、熊の小次郎は、海苔みたいな太い眉毛とつぶらな瞳が特徴の熊さんだ。

 腹巻きを身に付けたオジサンスタイルだが、その渋さが逆に可愛らしい。

 今ではグッズも少なくなったけれど、未だ根強い人気があるのだ。


「まさか、お弁当箱が出ていたなんて……全く興味のないジャンルだから、今まで気付かなかったよぉ」

 和風の小次郎にアンバランスなお洒落な背景。その絶妙にギャップのあるデザインの蓋を、私はうっとりしながら眺めた。

 すると、すっかり小次郎に心を奪われていた私を、歩実は慌てたようすで呼び止める。


「ストップ、ストーップ! そんなワケわかんないキャラより、お弁当の中身! ね、早く開けてよー」

「ワケわかんないとは何よう! とびきり可愛らしいでしょうが」

「あーもう、面倒くさい……ハイハイ、可愛いのはわかったから。ほら、早いとこ開けちゃって」


 全く、歩実にはこの良さがわからないらしい。

 私は哀れみの目を向けながら、促されるままお弁当箱を開けた。

 下の段の中身は、小さな俵がたの海苔巻きおにぎりが4つ。上の段には、卵焼きに唐揚げ、野菜の和え物に、ウインナーはタコの形に切られたものが入っていた。

 彩りにプチトマトも入って、見た目にも嬉しくなるようなお弁当だった。


「わぁ、凄い……」

 無意識にそんな言葉がこぼれて、食べるのが勿体無いような気持ちさえした。


「すっご……川崎さんって、ほんとに器用というかマメだよねぇ」

「うん、そだね」


 アルバイトとはいえ仕事も始めても、彼は家事をそつなくこなしている。

 それに加えてお弁当まで作ろうだなんて、私にはとても真似できそうにない。


「こういうとこ、素直に尊敬するよ」

 見ているだけで自然と笑みが溢れて、私は大きな口におにぎりを放り込んだ。

 

「ん〜、おいふぃ!」


「はぁ、ご馳走さま。私も誰かの作ってくれたお弁当たーべよ」

 歩実はいつもの職場のお弁当を開け、少し不貞腐れたように食べ始める。

 少し意地が悪いけれど、私はそんな歩実に自慢するように大袈裟に喜んでみせた。


 ◇


「ただいまー」


 今日は残業も少なく済んで、割りと早めに帰宅できた。

 すっかり言い慣れた言葉と共に玄関を開けると、陽介がリビングからひょっこりと顔を出す。

 

「おかえりなさい」


 そう言うと、陽介はそわそわと何かを期待するような表情で私を見る。

 何となく想像がついて、私は持っていた保冷バッグを少し上げてにんまりと笑った。


「お弁当、ご馳走さまでした。凄く美味しかったですよ」

「えっへへ、良かったです」

 陽介は照れ臭そうに笑いながら頭を掻く。


 手を洗うついでにキッチンでお弁当箱を洗いながら、私はふと気になっていた事を尋ねた。

「そう言えば、どうして知ってたんですか? 熊の小次郎」

 私にとっては推しキャラだけど、万人受けするキャラじゃない。それに、10も年の離れた陽介が知っているには少しばかり古すぎる。

 すると私の問いかけに、陽介はピンと人差し指を立てて得意気に話し始めた。


「初めは特に考えずに選んでたんですけど、たまたま見かけてビビっときたんですよ! カラーボックスの上にあった熊だって。他に飾りも置いてないのに、唯一あったのがかなり個性的なキャラでしたから。何となく頭に残ってたんですよねぇ」


「ふふ、そうだったんですか。ほんと、予想外でビックリしましたよ。めちゃくちゃ嬉しかったですけど」

「気に入ってもらえて良かったです!」


 ソファーにもたれ掛かり、陽介は子供のように歯を見せて笑う。

 その姿を見ていると、不思議と胸が温かく、満たされるような思いがした。


 それと同時に、何故か心が苦しくなって、言い様のない寂しさが襲う。

 それはほとんど無意識で、いつまでたっても忘れることが出来ない私のせい。


 (……もう何年も前の事なのに。どうして、こんなに鮮明に思い出すんだろう)


 ぽっかりと頭に浮かぶのは、無邪気に笑う少年の姿。

 もう、何年も前に亡くなった、私の弟。


「……奈美子さん? どうかしたんですか?」 

「え?」


 出しっぱなしの水が流れる音と陽介の声が耳に届き、私はハッとして顔を上げた。


「なんか、寂しそうな顔……仕事で、何かあったんですか?」 

「べ、別に。ちょっと考え事してただけですよ」


 探るように私の顔を覗き込む陽介に、わかりやすい笑顔を作ってみせる。

 陽介はまだ心配そうな顔をしていたが、私は感情を誤魔化すように、忙しなくお弁当箱を洗い終えた。


「……私、先にお風呂入っていいですか? 今日バタバタして汗かいちゃったんで」

「あ、はい……じゃあ俺、晩御飯の準備しますね」

「ありがとうございます」


 にっこり笑い返し、私はその場から逃げるように浴室に向かった。


 シャワーを頭から流すと、少しだけ気持ちがスッキリする。

 正直、顔が似ているとかそんなんじゃない。でも、時々見せる子供のような表情が、どうしても弟を連想してしまう。


「……絶対変に思われたよね」


 ワシャワシャと髪でシャンプーを泡立てながら、さっきの事を思い返す。

 初めは少し似てるって思っただけなのに、あんな風に頭に浮かぶなんて。

 忘れたいわけじゃない。ただ、思い出す度に辛くなるんだ。


「全然似てないのに……ねぇ、(たける)

  

 シャンプーの泡を流し、ポタポタ落ちる水滴を見つめぽつりと呟く。


『お姉ちゃん……次はいつ来てくれる?』


 顔を上げてぼんやりと鏡を眺めると、寂しそうな健の声が聞こえたような気がした。

 



 

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