6話 疑われるホームレス
「501号室の南さん、昨晩ご自身で点滴抜去されてます。帰宅願望もあり落ち着きがなくて、不穏時の内服薬与薬後は朝まで落ち着かれています」
いつもと変わらない、朝の引き継ぎ。
私含め数人の看護師がナースステーションに集まり、真面目に報告を聞いている。眠そうにあくびをかます、ただ一人を除いて。
「……お疲れさまでした。佐崎さんの担当でしたね、後で先生に報告お願いします」
夜勤の報告を聞いていた主任は、あくびの犯人、佐崎歩実に話を振る。
「……へ? あ、すみませんっ、誰の事でしたか?」
当の歩実はすっとんきょうな声を出し、苦笑いを浮かべて聞き返す。
「はぁ……南さんです。佐崎さんの担当でしょ? 後でしっかり確認してください。あと、お酒も程々に……」
「すみませぇん」
主任は冷たい眼差しで歩実を睨む。まぁ、ごもっともな意見だけど。
主任の迫力に押されてか二日酔いのせいかわからないけど、歩実の顔は真っ青だった。
シュンとする歩実の背中を、私は皆にわからないようにチョンとつついた。
「また飲んでたの?」
報告が続く中、小声で耳打つと、歩実も私の方に顔を傾けてボソボソと話す。
「うん……今日が日勤だから、昼間だけ……のはずが結局夜中まで」
「もぉ〜、いい歳なんだから、そろそろ控えなよ」
歩実は情けない顔で「はぁい」と小さく返事をする。
歩実は私の同僚で、看護学校時代からの親友でもある。
適当な性格だけど、仕事は何だかんだ真面目にやってる。けれど、昔から酒癖だけは悪くて、休みの日は大抵どこかの飲み屋に出没しては飲み歩いているのだ。
私も時々は一緒に飲むけれど、彼女のペースにはなかなか付いていけない。
私と同じ32歳で、今のところ元気そうだけど、そろそろ体調を気にして欲しいものだ。
◇
「奈美子〜、休憩行こ」
「ちょっと待って、記録キリのいいとこまでやるから……」
「了解。お弁当先に選んどくねー」
「ありがと、何でもいいから」
数分後、記録を終わらせて食堂に行くと、歩実が席から元気に手を振る。
「……ごめんね、遅れて」
「全然大丈夫。それより見て、人気のチキン南蛮弁当ゲット出来た!」
「うわ、ホントだ! ありがとう、早く食べよ」
動き回って腹ペコ状態で食べるチキン南蛮は最高で、私たちはあっという間に平らげてしまった。
どうやら歩実も、二日酔いは完全に治ったみたいだ。
「はー、お腹いっぱい!」
「ふぅ……歩実、二日酔い治って良かったね」
「あれぐらい、どーって事ないよ!」
自信満々に言う歩実を、私は半ば呆れた目で見つめた。しかし、この元気さと底無しの明るさは見習うべき所もある。
「てか奈美子、昨日飲み屋で知り合った男から飲み会やろって連絡来たんだけど、どうよ? 今月末に一緒の夜勤あるし、一緒に行かない?」
「あー……飲み会ねぇ」
飲み会の誘いに、私は曖昧な返事をする。
「だめ? あ、もしかして……既にいい人いたりする!?」
「いや、別にいい人って訳じゃないけどっ……」
言葉に詰まると、歩実はすかさずその隙を突いてくる。
「けど? 何よ……やっぱり何かあるんだぁ!」
「ちょっ、うるさいって」
口を塞いでも歩実の興奮は収まらず、私は観念して陽介の事を説明した。
「えーーー!? 何それーー!」
「だからうるさいって!」
歩実の大声に回りの職員たちの視線が集まる。
居たたまれない場の空気に、私は引きつった笑いでヘコヘコと頭を下げた。
「……だから、ただの居候で、住むところが無いって言うから仕方なく」
「いやいやありえないって、そんな漫画みたいな話……奈美子、あんた何か騙されてるんじゃないの?」
何度説明しても信じられないといった表情の歩実。
正直その気持ちはよくわかる。私自身、何度今の状況が飲み込めなかったことか。
それでも、彼との不思議な生活ももうすぐひと月が経つ。そして現状、騙されたことは一つもなく、むしろ以前より健康的な生活を送っているのだ。
「私もそう思ったけど、今のところ何もないし……それに川崎さん、家事もしてくれるしむしろ助かっちゃって」
苦笑いを浮かべている私を見て、歩実は頭を抱えてため息を吐いた。
「……呆れた。私が言うのもなんだけど、あんた危機感無さすぎ……はっ! もしかして、下着も洗濯してもらってるんじゃ」
「せ、洗濯は私がやってます! 流石にそこまでは頼まないよ!」
そうは言ったものの、実は初日、いつの間にか洗濯機を回していた彼に気付かず、干す直前に慌てて止めに入ったのは歩実には内緒だ。
「ふぅん、ならいいけど……そうだ! 今日帰りに奈美子ん家行ってさ、川崎さんが安全な人か私が確かめてあげる」
「えぇ!? 何でそうなるのよ!」
「いいじゃない別に。それとも、何かやましいことでもある訳?」
そう言って歩実は嫌みったらしい顔で笑う。
一度言い出すと聞かない性格なのを知っているので、私は反論の言葉を飲み込んで諦めた。
「……はぁ、わかったわよ」
「やったー! あ、帰りにお酒とおつまみ買ってくわ」
「また飲むの?」
ウキウキしている歩実を冷ややかに見つめ、ポケットからスマホを取り出す。
(……一応、川崎さんに連絡しとこうか)
そう思ってチャットアプリを開くも、すぐに頭の中にハテナが浮かぶ。
(いや連絡先も知らないわ!)
私は自分の間抜けっぷりに心の中でツッコミを入れ、がっくりと肩を落としていた。
◇
その後、午後の業務も忙しなく過ぎ去り、いつも通りの残業も済ませ、ヘトヘトの状態でロッカーを開ける。
昼の事がすっかり頭から抜けていた私は、さっさと着替えて更衣室を出ようとした。
「あ! ちょっと、何先に帰ろうとしてんの?」
すると、同じく業務を終えた歩実が入れ違いに更衣室へ入ってくる。
その瞬間、私はこの後の予定を思い出した。
「はぁ、忘れてた……」
がっくり肩を落とす私をよそに、歩実は凄まじい早さで着替えを始める。
「大事なイベントなんだから、忘れないでよねー。私なんか午後からずっとワクワクしてたんだから」
そう言い終わる頃に、歩実はバンとロッカーの扉を閉める。
「もう着替えたの!?」
「さ、早く早く! レッツゴー!」
歩実に背中を押されながら、私は病院を後にした。
帰り道に立ち寄ったコンビニで、歩実は嬉々として酒やツマミを買い物カゴに放り込む。
「奈美子はビールでいいよねー。あ、川崎さんはお酒飲むのかな?」
「うん、時々ビール飲んでるよ」
「いいねぇ。じゃ、いっぱい買ってこー。あ、ご飯もいるよね……」
「いや、たぶん何か作ってくれてると思う。今日はバイト休みだって言ってたから」
何気なく返事をすると、歩実はジトっとした目で睨んでくる。
「……あんた、まさかいつも川崎さんの手料理食べてるわけ?」
「え? う、うん……別に、私が頼んでる訳じゃいよ? 彼が料理が好きだって言うから」
「はぁ、羨ましすぎるんですけど!? ムカつくから日本酒も買っちゃおー」
「どういう理屈よ……」
コンビニでも騒がしい歩実は、結局ビニール袋2つ分の酒と食料を買い込んだ。
重たい袋を半分ずつ持ち、私たちは息を切らして徒歩10分ほどのアパートに帰宅する。
「もー重たーい! 誰よ、こんなに買ったの」
「……あんたよ。ねぇ、ちょっと鍵探すから持ってて」
「無理ー! 指ちぎれそうなんだもん」
玄関先でゴタゴタ言い合いをしていると、ガチャリと中から鍵の開く音がした。
〈カチャ……〉
「奈美子さん? おかえりな、さい……」
ドアを開けて出迎えた陽介は、隣にいる歩実の姿を見つけると、笑顔のまま固まってしまった。
「すみません……これ、同僚の歩実です。なんか、急に来ることになっちゃって」
自分の部屋な訳だけど、アポ無しの訪問だった事が申し訳なくて、私はペコッと頭を下げた。
「そ、そうなんですね! ど、どうぞ中に……って俺ん家じゃないですが」
陽介は歩実を招き入れるようにドアを開ける。
しかし、歩実はさっきまでの元気な様子ではなく、少し緊張しているような顔で固まっていた。
「歩実? ほら、早く入りなよ」
「え!? あ、うん。お、お邪魔しまーす」
歩実はぎくしゃくと体を動かし洗面所で手洗いを済ませると、静かにテーブルの前に座る。
陽介はちょうど夕食を作っている最中だったようで、テキパキと料理を盛り付けている。私はそんな二人の様子を交互に観察し、様子がおかしい歩実に声をかけた。
「どうしたのよ、急に静かになっちゃって」
声をかけると、歩実は俯いたままフルフルと体を震わせる。
「だって……イケメンじゃなのよー!」
突然大声を出されて、私は思わず耳を塞いだ。
「うわぁ!?」
そしてタイミング悪く料理を運んできた陽介はその大声に驚き、器が乗ったお盆をぐらつかせる。
なんとか落とさずに済んだようで、私と陽介はホッとため息をついた。
「歩実、急に大きな声出さないでよ」
「ごめん、つい」
シュンとする歩実の前に、陽介は肉じゃがや味噌汁を置いていく。
「よかったら、どうぞ。口に合うかわかりませんけど」
控えめに笑いかける陽介を、歩実は何とも言えない物欲しげな表情で見つめる。
「奈美子! ちょっと何なのよこの子、めっちゃイイコなんだけど!」
会って数分で完全に絆されてしまった歩実。これは完全に人の事を言えない気がする。
「あのさ、人の事散々言っといて、自分もじゃない……川崎さんの事、安全か確かめるんじゃなかったの?」
わざと意地悪く言い返すと、歩実はペロッと舌を出して笑って誤魔化した。
一方陽介は気まずそうな笑顔のまま固まっていたので、私は歩実が来ることになった経緯を簡単に説明する。
「えっと、川崎さん……実はですねぇ」
◇
「なるほど……確かに、自分で言うのもなんですが、怪しむのもわかりますよー」
話を聞いた陽介は呑気に笑い、ポリポリと頭を掻く。
「私は大丈夫だって言ったんですよ? けど歩実がしつこくて」
「ちょっと! 人を厚かましいみたいに言わないでよ」
歩実はムスっとして唇を尖らせる。
「きっと、心配だったんですよね? 優しい同僚さんだと思いますよ」
「か、川崎さんっ……」
陽介のフォローに感動したのか、歩実はウルウルと瞳を潤ませる。
「ほら、気持ち悪い顔してないで、早く乾杯しよう?」
私の言葉に、歩実はムスっとした顔でこっちを振り向いた。
「あ、ビール取ってきますね!」
陽介はウキウキとした声色で冷蔵庫へ向かっていく。
突然同僚を連れてきて迷惑じゃないか心配だったけれど、あまり気にしてなさそうで良かった。
歩実も喜んでるし、川崎さんって本当に誰にでも人当たりがいいのね。
それから、川崎さんが持ってきたビールを、私たちは秒で飲み干した。
そして1時間後には、10本くらいの色々なお酒の空き缶がテーブルの上にあった。お互い明日は夜勤だから、いい感じにストッパーが外れているのかもしれない。
「それにしても、歩実さんってお酒強いんですねぇ」
陽介は目の前に並ぶ空き缶を眺めて感心するように言う。
「そう? 確かに、飲んでる時はなかなか酔わないけど」
「ザルなんですよ……でも、ちゃんと二日酔いにはなるんです。昨日も飲み歩いてたみたいで、朝まで響いてたもんね?」
「うっ……悪かったってば。これから仕事前は気を付けます」
ちょっと意地悪で言うと、歩実はシュンとした様子で反省していた。
言い返されると思っていたのに、少し意外だ。
人の命に関わる仕事だし、そこに影響が出たことを、彼女なりに気にしているのかも。
普段軽い感じだけど、こういう所があるから、歩実のことは嫌いになれない。
「よろしい! ザルだからって、調子に乗りすぎないようにしたまえ」
「ははー」
いつもの調子で歩実とふざけていると、陽介はそれを見てクスクスと笑っていた。
「ふふふ、本当に仲が良いんですね」
なんだか少し恥ずかしくなって、私は誤魔化すようにチューハイを一口含む。
「へ……へっくしゅん!」
「ぷっ、あっはは! 何その典型的なくしゃみー」
「う、うるさいなぁ」
突然ムズっとして出たくしゃみに鼻を啜っていると、不意にフワリと膝にブランケットが掛けられる。
いきなりの事で一瞬戸惑っていると、陽介はもじもじと言い訳をするように話し出した。
「あ……最近、夜は結構寒いですからっ、その」
「……ありがとうございます」
その様子に何だかこっちも照れ臭くなって、私もつい口ごもってしまう。
「えー、いいなぁ……川崎さーん、私もさむーい! へっくしゅーん!」
「……もう!」
ニヤニヤとおちょくってくる歩実の顔がムカついて、私は彼女の肩をグーで押し退ける。
陽介はなぜか何も言い返さず、ただ頬を赤くして俯いていた。
そんな彼の様子を見ていると、つい都合の良いように考えてしまいそうになる。ただ、彼が優しいだけなのに。
私は自分の単純さと、以前では考えられなかった思考回路の変化に戸惑っていた。




