5話 同居人はお人好し
鳴り響くアラームの音に目を開け、俺は大きく伸びをしてから枕元のスマホを見る。
「あれ? 俺じゃない……奈美子さんかな」
ちょうど自分も起きる時間だったので、布団を畳みながら様子を窺うも、アラームの音は止まず物音も聞こえてこない。
「奈美子さん、今日は昼勤だって言ってたっけ」
6畳ほどの和室の引戸を開けて外に出ると、リビングのソファーの上で毛布を被って丸まる奈美子さんのシルエットが見えた。
(うーん、起こしていいものか……けど、アラームかけてるって事は仕事なんだろうし)
しばらくその場で腕組みをして悩んだ末、やっぱり起こした方がいいと思ってソファーに近づく。
「な、奈美子さーん、アラーム鳴ってますよー」
腰を屈めて控えめに声をかけるも、そんな事で目を覚ます気配はない。
俺はもう少しそばに寄り、奈美子さんの寝顔を覗く。
「まつ毛長いなぁ……あ、口動かしてる。ふふん、夢の中で何食べてるんだろ」
普段のしっかりした顔とは違い、子供みたいな可愛らしい寝顔。
いつまでも眺めていたいような気持ちになって、無意識に口元が緩む。
すっかり夢中になり正座で覗き込んでいた俺は、徐々に大きくなるアラームの音でハッと我に返った。
(な、何考えてるんだ!? 居候の立場をわきまえないと!)
邪念を振り払うように両頬をバチンと叩き目を開けると、そこには驚いたようにパッチリと目を見開く奈美子さんがいた。
「あ、いや……あの、お、おはようございます」
ひきつった笑いで誤魔化すも、彼女の顔は明らかに不審者を見るようなものに変わっていく。
「……何、してたんですか?」
じとっとした目で睨まれて、俺は慌てて身を引き弁解をする。
「べ、別に何もしてないですよ!? た、ただアラームがずっと鳴ってたので、お、起こさなきゃって」
奈美子さんはまだ疑いの目を向けてまま、枕元にあったスマホを見る。
「わ、やばっ」
奈美子さんはすぐに飛び起きて、バタバタと慌てて洗面所に駆け込んでいった。
(ほっ、助かった……)
俺はホッと胸を撫で下ろし、奈美子さんが顔を洗っている間に急いで朝御飯の用意に取りかかる。
「今日は、目玉焼きとベーコンのトーストと……あ、ヨーグルトも食べなきゃ」
冷蔵庫を開けて、簡単なメニューを考えていく。
自炊はただ自分の生活の為にやっていたけど、奈美子さんとの生活で、誰かのために食事を用意するのが楽しくなった。
そしていつも気が付くと、自然と鼻歌を歌っている自分がいる。
ジューといい音を出すベーコンと卵を眺めていると、きれいに寝癖を整え、薄くメイクをした奈美子さんが伸びをしながら戻ってきた。
素顔でも十分可愛らしいけれど、お化粧をした奈美子さんも大人な感じがして素敵だ。
数日間一緒に暮らして気付いたけど、奈美子さんは仕事の時以外はメイクをしない。だからたまに、綺麗にメイクをした奈美子さんを見ると少しドキッとしてしまう。
「あ、もう少しで朝ごはん出来ますよ」
「ありがとうございます。うーん、いい匂いがするー」
奈美子さんはクンクンと鼻をすすり、誘われるようにフライパンを覗き込んだ。
「そう言えば、時間は大丈夫ですか? ちょっとでも食べる時間があるといいんですが」
「うん、まだ大丈夫です。こんな美味しそうな朝食、食べなきゃ損ですから」
すっかり機嫌が良くなったようで、奈美子さんはウキウキと珈琲の用意をし始める。
こんな簡単な物でも喜んでくれるのは、素直にとても嬉しいものだ。
◇
「あ、そうだ。俺も今日から仕事なんですよね」
食器の洗い物をしながら奈美子さんに声をかける。
「今日からですか! 頑張ってくださいねー……あ!」
「どうかしました?」
カウンターから覗くと、奈美子さんはボックスの引き出しから何かを探していた。
「えーっと……どこだっけ?」
どうしたのか見ていると、急に達成感のある叫びが聞こえる。
「あった!」
「……何探してたんですか?」
手を拭いて奈美子さんのそばに行くと、握った何かを突きつけられた。
「ここの鍵です。帰りは絶対私の方が遅いですし、必要でしょ?」
俺は突然手のひらに乗せられた鍵を見つめ、なぜか言葉を失ってしまった。
「? いらないんですか?」
「えっ!? いや、いります! いただきます、けど」
「変な人ですねぇ……あ、もう行かないと! それじゃあ、仕事頑張ってくださいね」
不審な表情をしていた奈美子さんは、時計を見ると慌ててバッグを持って出て行った。
ポカンと口を開けたまま動けずにいた俺は、握っていた鍵をじっくりと観察するように見る。
「仕方ないとは言え、鍵なんて貰っていいのか?」
こんな大事なもの、知り合って間もない男に渡すなんて。
人が良すぎると言うか、なんと言うか……やっぱり、少し心配になってくる。
しかしそんな思いとは裏腹に、俺の心は舞い上がり、ニマニマと口元は綻ぶのだった。
「ふふん……はっ、ヤバ! 俺ももう行かなきゃ!」
ニヤけていたら、いつの間にか仕事の時間が迫っており、俺はスマホと鍵をポケットに突っ込んで慌てて部屋を出た。
――――
「モノジロウ……株式会社。ここかな」
駐輪スペースにママチャリを停めて、10階くらいあるビルを見上げる。
ママチャリは奈美子さんが貸してくれたものだ。タイヤも少し小さいから、漕ぐのにちょっと苦労したけど、何とか初日から遅刻はせずに済んで良かった。
ここは、オフィス用品の販売などを行っている会社らしい。
まぁ、ただの清掃アルバイトの俺には、どんな会社かまではそこまで関係はなさそうだけど。
受付で挨拶を済ませると、担当者が案内をしてくれた。
スウェット姿と大した荷物も持たずにやってきた俺を、担当者は少し怪しむように見つめる。
「うーん……君、やけに身軽と言うか、ラフな格好だね」
言葉を選びながら、その担当者は苦笑いを浮かべていた。
「すみません……今、少し金欠なもので」
俺もなんと言えばいいのかわからなくて、同じように苦笑いでごまかした。
「そうなの? けどまぁ、真面目に働いてくれれば、ウチは問題ないから。頑張って働いてね、ここ結構時給は良いほうだし」
「は、はい! 頑張ります!」
担当者はフランクな感じの男性社員で、雰囲気も良さそうでホッとした。
久しぶりの仕事だけど、しっかり稼いで、早く奈美子さんにお返しとお礼がしたい。
――――
ユニフォームに着替えてからトイレ掃除をしていると、様子を見に来た先輩が笑顔で声をかける。
「あんた、丁寧で良いわね!」
「……ありがとうございます」
屈めていた腰を伸ばして、俺も先輩に笑顔で返した。
先輩中年くらいの女の人で、ちょうど俺と同い年の息子がいるらしい。
「ウチの息子なんて、自分の部屋もろくに掃除しなくてね。川崎くんとは大違い! 同じ年頃なのに偉いわー」
「あはは、俺も、家ではそんな感じでした。つい甘えちゃうんですよね」
「そうなの? でも、川崎くんみたいな子に甘えられたら悪い気はしないねぇ。きっとお母さんも喜んでるよ」
「あ、俺両親いないので、祖父母が親代わりって感じなんです」
「あら、そうなの……」
何気なく言ったつもりだけど、こういう時どうしても一瞬暗い空気になってしまう。
適当に流せればいいのだろうが、なんとなく嘘はつきたくない。
「ほんとに小さい頃からなので、もう全然慣れっこなんですよ。だから、気にしないでくださいね」
すっかり元気がなくなってしまった先輩に、俺は明るく言葉を返した。
「そう……ふふ、じゃあおばちゃんがここでお母さんになってあげるよ! 遠慮なく頼ってくれていいからね」
「はは、はい! これからよろしくお願いします!」
冗談で返してくた先輩に感謝して、俺はまた自分の仕事に戻る。
正直少し緊張していたけど、久しぶりの職場は良さそうな人たちばかりで気持ちが楽になった。
2ヶ月の短期アルバイトの契約だけど、職場環境がいいのはとても嬉しい。
(いい職場で良かった! もしかしたら、契約も延長してくれたりしないかなぁ……って、初日から気が早いな)
一人笑いを浮かべながら掃除に精を出し、初日はあっという間に時間が過ぎた。
――――
アパートに自転車を停め、カンカンと音のする階段を上がる。
夕方の6時だけど、外はもう真っ暗だ。
奈美子さんは遅くなると言っていたけれど、念のためインターホンを鳴らしてみる。
「……やっぱり、まだ帰ってないか」
俺はポケットから今朝貰った鍵を得意気に取りだす。
「ふふ……ちょっと、緊張するな」
慎重に鍵を回して、そーっとドアを開ける。
「し、失礼しまーす」
誰もいない部屋に声をかけながら入り、真っ暗な部屋に明かりをつけた。
シンと静かな部屋は何となく落ち着かなくて、手洗いを済ませた後、特に意味もなくリビングのテーブルの前に座ってみた。
「奈美子さん、いつ帰ってくるのかなー」
ぼんやりと考えながら、部屋の中を改めて見渡してみる。
通常、女性の部屋がどんなものなのかも知らないが、奈美子さんの部屋は少し殺風景な気がする。
余計なものが無いというか、趣味とか、そういったものが見えてこない。
そんな中、唯一可愛らしいマスコットが一つ、カラーボックスの上に飾られていた。
「クマ、かな? はは、なんか眉毛太い」
大工職人みたいな格好のクマは、太眉の凛々しい顔つきをしている。
ブサカワというか、ちょっと癖のある可愛さがある。
「奈美子さん、このキャラが好きなのかな」
キャラクターものは詳しくないけれど、あまり見たこと無いし、きっとマイナーなんだろうな。
手にとって観察していると、玄関の鍵がガチャガチャと鳴った。
「……あれ」
ドアの外で聞こえてくる声に、思わずクスクスと笑いがこぼれる。
奈美子さん、きっと俺に鍵を渡したこと忘れてる。
俺は物音をさせないようにゆっくりとドアに近づいて、中からゆっくりドアを開けた。
「わっ……そっか、帰ってたんですね」
奈美子さんは驚いて目を丸くした後、力が抜けたように息を吐く。
「えへへ、少し前に」
「そうなんですね。今日は珍しく早くあがれたから、私が先かと思ってましたよー」
玄関で靴を脱ぎながら話す奈美子さんを、俺は少しそわそわとして見つめていた。
「あのっ、奈美子さん!」
「はい……どうしたんです?」
声をかけたものの言葉につっかえる俺を、奈美子さんは怪しむように見る。
「……おかえりなさい!」
やっと言えた言葉に、奈美子さんは少し驚いたよう目を見開く。
そして顔を伏せると、小さく呟くような言葉が返ってきた。
「た、ただいま」
たった一言なのに、俺は胸の中がじんわりと温かくなって、目の前の彼女がどうしようもなく愛しく思えた。




