4話 戸惑うホームレス
「ただいまー」
いつものように誰もいない部屋に声をかける。
当然返事などないけれど、いつもと違った香りが部屋の中に漂っている。私は軽くため息を吐き、買ってきたケーキをテーブルに置いて手洗いを済ませた。
「はぁ、疲れた」
ケーキを冷蔵庫にしまってからソファーのいつもの場所に座り込むと、なんだか久しぶりに一人の時間を過ごせた気がした。
カウンターキッチンへ目をやると、洗い終わったコップやらが乾かしてある。そしてどう見ても、あきらかにキッチン周りが綺麗に整理整頓されていた。
昨日来たばかりの部屋でこんなにもキッチンを使いこなすとは、本当に感心する家事スキルの高さだ。
ぼんやりと考え事をしていると、私はいつの間にか居眠りをしていたらしい。
次に目を覚ましたのは、部屋のインターホンが鳴り響いている時だった。
<ピンポーン、ピンポーン……ピポピポピポーン>
「ふぇ!? な、何!?」
慌ててインターホンの画面を見ると、今にも泣き出しそうな顔の若い男が立っていた。
私はようやく状況を思い出して、バタバタと玄関に向かい急いでドアを開ける。
「うぅ……奈美子さん、寝てたんでしょ」
「ね、寝てないですよ? そ、そろそろ夕飯でも作ろうかなーなんて思って、手が離せなかったんですよ!」
「ヨダレのあと、ついてます」
「えぇ!? ウソ?」
慌てて自分の頬を撫でていると、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
顔を上げると、さっきまでの恨めしげな顔はどこかへ行き、困ったように笑う陽介の笑顔があった。
「ふふん、嘘です。ついてませんよ。それより……」
陽介はなぜかモジモジとして玄関から動こうとしない。
「ん? どうしたんですか?」
不審に思って尋ねると、陽介はゴホンと咳払いをして姿勢を正した。
「た、ただいま!」
子供のように挨拶をする姿に、私は思わず目を丸くして固まった。
「……あ、あのぉ」
「へ?」
申し訳なさそうにこっちを見つめる陽介に、ハッと我に返る。
「お、おかえりなさい」
辿々しく返すと、陽介は嬉しそうに笑っていた。
陽介の喜ぶ姿を見ていると、なんだかむず痒くて恥ずかしい。
ただの居候なのに、どうして陽介はこんな些細なことに喜んでいるのだろう。
独特のリズムの鼻唄を歌いながら部屋に入る陽介の背中を見て、私はふとそんなことを考えていた。
「そういえば、仕事は見つかりそうですか?」
そう言うと、陽介はピタリと動きを止めた。
「……う、もしかして、ダメでしたか?」
くるりと暗い顔で振り返った陽介は「それが……」と小さな声で呟く。
「見つかりました!」
直後に出された明るい声に、私はガクッと肩を落とした。
「なんだ……ビックリさせないでくださいよ」
「えへ、すみません。オフィスの清掃アルバイトなんですけど、履歴書なしの簡単な面接だけみたいなので、そこに行くことに」
陽介は頬を掻き、照れながら話す。
真面目そうな性格だし、きっと面接もうまく行くだろう。
「良かったですね! でも……こんなにすんなり働き口が見つかるのに、どうして行き倒れみたいになっちゃったんです?」
「あぁ……それはですねぇ」
陽介は恥ずかしそうに目を伏せて、ボソボソと理由を話し始めた。
「えぇ!? 仕送りに使い込んでたんですか!?」
どうやら、彼は自分の給料を祖父母の家に仕送りし、更には頻繁に旅行や食事に連れて行ってあげていたらしい。
「だ、だって! 高校まで面倒見てくれたし、そのお返しに……お給料出て嬉しかったから、たくさん美味しいもの食べさせたいって、舞い上がっちゃって」
私が大袈裟に驚いたもんだから、陽介は叱られた子供みたいにしょんぼりと言い訳を始める。
「ま、まぁ、良いことですよ? でも、貯金も残らないほどはちょっと……」
「ですよね……節約料理とかでギリ生活できてたから、貯金の事なんて全然。リストラされて、スマホ代なんかもすぐに払えなくなって、仕事もなかなか見つからず」
しっかりしているように見えたが、話を聞くとどこか抜けている彼の感覚に、正直開いた口が塞がらなかった。
「ちゃんとした仕事が見つかったら、今度はちゃんと貯金もしなきゃですよ?」
「はぁい」
陽介はすっかり元気がなくなってしまった。
考えなしだけど、両親のいない分を支えてくれた祖父母に感謝する気持ちはわかる。優しい性格なんだろうけど、悪い人に騙されないか心配だ。
「お人好しなんでしょうけど、悪い人に騙されないで下さいね」
冗談ぽく口にすると、陽介は不満そうな顔でこちらを見つめる。
「……それ、奈美子さんの方が心配ですけど」
「へ?」
そう言われてふと考える。確かに、今の状況を思うと人の事を言えない。
「こ、これは、人助けですよ」
口ごもりながら返すと、陽介はまた笑顔になった。
「あ、俺そろそろ晩御飯の用意しますね! 昨日の挽き肉の残りで、ハンバーグでもいいですか?」
「いい! 大好物です!」
元気良く返事をすると、陽介は笑いながらキッチンに向かう。
大好物につい興奮してしまったが、我ながら子供っぽすぎたと急に恥ずかしくなった。
◇
陽介は鼻歌まじりに手際よく晩御飯の用意をし、あっという間に手のひらくらいの大きなハンバーグを作ってくれた。
「美味しそう! ソースは、ケチャップなんですね!」
「もしかして、デミグラスソースの方が良かったですか?」
不安そうに聞く陽介に、私は慌てて首を振った。
「全然、むしろ嬉しいですよ! 実家を思い出して懐かしいです」
「良かったぁ……俺も、こっちのが好きなんです。ばあちゃんがよく作ってくれたから」
陽介は少し伏し目がちに、懐かしむように笑っていた。
「ふふ、家庭の味っていいですよね……あの、食べていいですか?」
「も、もちろん! 口に合えばいいですけど……」
「いただきまーす! うまい!」
「早っ!?」
飲み込む前に味の感想を言うと、陽介は目を丸くして驚き笑う。
でも本当に美味しくて、私は次々と口にハンバーグを放り込んだ。
「むぐ……だって、本当に美味しいから」
「ぷっ、良かったー。あ、俺もいただきます!」
陽介は私の姿を見て面白そうに笑うと、両手を合わせてようやく食べ始めた。
弱々しそうに見えるけど食べっぷりがよく、大きな口で次々と平らげていく。こういうところを見ると、やっぱり若い男の子らしいなと思う。
「はぁ、ご馳走さまでした」
食べ終わった後、大満足で手を合わせると、ふと買っておいたケーキの事を思い出した。
「そうだ、ケーキ!」
急に声を出して立ち上がると、陽介は不思議そうに私を見つめる。
「今日帰りに買ったのを忘れてました……って、お腹いっぱいですかね?」
「ケーキ……俺に?」
「は、はい。もしかして、甘いもの苦手、でした?」
陽介があまりにキョトンとした顔で聞くので、甘いものが嫌いだったのかもと今更気になってしまう。
もしかしたら、ちょっと早まって余計なことをしたのかも。
苦笑いで陽介の顔を見ると、なぜだか頬を赤らめて俯いていた。
「ぜ、全然、苦手じゃないですけど……いいんですか?」
上目遣いでモジモジと話す陽介を不思議に思ったが、とりあえず甘いもの嫌いじゃなくて良かった。
「もちろん。あ、コーヒーも入れますね」
キッチンの方へ向かうと、陽介が慌てたように声をかける。
「あ! 俺がやりますよ」
「いいですよ。これくらいやらないと、私何も出来なくなっちゃいます」
ムッとして言い返すと、陽介は渋々その場に座り直した。
ケトルのお湯はすぐに湧いて、もちろんインスタントのコーヒーをスプーンも使わずに適当にカップに入れる。
いつものようにやっていたが、ふと思い立って手を止める。陽介なら、もっと丁寧にやりそうだけど、もしかして私ってガサツだったりする?
何となくそんな風に思って、お湯を注いだ後に無意味にスプーンでかき混ぜてみたりした。
「ブラックでいいですか? 一応砂糖とミルクもありますけど」
「だ、大丈夫です! ありがとうございます」
トレーに乗せたコーヒーとケーキの皿を陽介の前に置く。
陽介は相変わらず赤い顔のまま、恥ずかしそうに礼を言った。
「……どうしたんです? さっきから赤い顔して」
さすがにちょっと気になって、コーヒーを一口啜った後に聞いてみる。
「い、いやぁ……ちょっと、ビックリしちゃって」
「ん? 何がですか?」
私はフルーツタルトを頬張りながら首を傾げた。
「だ、だって! 俺なんかの為に、ケーキまで用意してくれて……奈美子さんは、どうしてそんなに優しいんですか?」
その言葉に思わずケーキが変なところに入ってしまい、私は盛大に咳き込んでしまった。
「わ、大丈夫ですか!?」
「ゴホッ、ゲホッ……べ、別に、私が食べたかっただけですから! ほら、勘違いしてないで、さっさと食べちゃってくださいよ」
「うっ、すみません」
咳き込んだ勢いのままに捲し立ててしまい、陽介はすっかりシュンとなっていた。
ちょっと言いすぎたような気がして、私は落ち着いてから軽くため息をつく。
「はぁ……それ、何か季節限定らしいですよ? たぶん、最近出来た店なんですけど、結構美味しいから入って正解でした」
陽介は私の話に、俯いた顔を上げてこっちを見つめる。
まるでこっちの機嫌を窺うみたいに不安げな顔。それがなんだか子供みたいで可笑しい。
わかりやすい彼の表情に思わず口元が緩み、私は自然と笑っていた。
「私、一人でケーキってあまり買わないし……川崎さんがいなかったら、まだ知らなかったかもしれませんね」
「奈美子さん……」
陽介は私に釣られるように笑い、嬉しそうにケーキを頬張る。
「おいしいです!」
目を細めてあどけなく笑う表情は、素直に可愛らしいと思った。
陽介と過ごすのは、不思議と嫌ではない。端からみればおかしいだろうけれど、始まったばかりの彼との生活は意外と楽しくて、自然体の自分でいれるような気がした。




