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20話 なかなおり


 俺のばあちゃんは、今年で81を迎える。

 父さんは母さんよりかなり年上で、2人とも俺が5歳の時に事故で死んだ。

 それは本当に突然で、当時は実感も何もない。


 ひとり残された俺は、当時63歳だったばあちゃんたちに引き取られた。

 じいちゃんとばあちゃんは優しくて、時々怒られたこともあったけど、俺にとっては両親のようで大切な存在。

 昔は元気だった2人も、80歳を越えてから段々目に見えて老いを感じるようになった。


 実家にはたまにしか帰れないけれど、俺に出来ることなら何でもしてあげたい。


(こんなこと考えてたら……また奈美子さんに、計画性が無いって呆れられちゃうかもな)


 年越しそばの食器を洗いながら、ふと思い出し笑いが溢れた。

 今ごろ、奈美子さんはどうしてるだろう。

 確か今日は夜勤明けで、いつもなら、ちょうど目を覚ましてる頃だ。

 奈美子さん、俺のことまだ怒ってるかな。


 彼女のことを想うと、自然と鼻の奥がツンとした。

 俺は、また大事なものを手放してしまうんだろうか。

 初めて出来た、俺の大切な人。

 こんな気持ちは、今までにない。たぶん、これからもずっと。


「陽介ー、こっちで一緒にテレビ見ん?」


 居間からばあちゃんの声がして、俺は急いで袖で目を擦り返事をした。


「これ片付けたら行くよ」


 洗い物を済ませて居間に行くと、ばあちゃんとじいちゃんが炬燵でテレビを見ていた。


「何見てるの?」

「TASUKE。年末になったらいっつもやっとるね。さっきから水に落ちてばっかりでつまらんけど」

 ばあちゃんは座ってみかんを剥きながら退屈そうに話す。

 じいちゃんに至っては、テレビの実況を子守唄にこくこくと頭を揺らしていた。


「結構難しそうだもんね。最近全然制覇する人いないよ。歌番組の方が面白いんじゃない?」

「若いもんの歌はわからん。それにしても、最近の子はちと軟弱なんちゃうか? なぁじいちゃん」

「んん〜……ワシの、若い頃はなぁ……」


 ボソリと呟くじいちゃんの言葉をいくら待っても続きは出てこない。 


「寝とんかいな!」

「ふがっ……ん? どうした?」

「もうええ、寝とき」


 ばあちゃんに叱られて、じいちゃんは再び眠りについた。


「あ、あはは……俺も、みかん食べよっかな」

「ええよ。腐るほどあるから食べ」

 ばあちゃんは炬燵の上にあったみかんに手を伸ばし、俺にひとつ分けてくれる。


「ありがとう。そう言えば、腰の調子だいぶ良さそうだね」

「うん、昼間よりマシよ。コルセットつけたら動きやすうなったし、トイレでお尻も綺麗に拭けた」

「良かったじゃん、トイレが一番の困りポイントだったもんね」

「やな。陽介の買ってきた薬と湿布が効いたんや。ほんまおおきに」

「へへ、それはどうも」


 面と向かって言われると恥ずかしくて、俺は照れ隠しにみかんを一切れ頬張った。


「あ、そう言えば陽介、さっきお前の鞄の中でブーブーなんか鳴っとったよ?」

「えっ」


 ばあちゃんの言葉に、俺は慌てて炬燵を出る。

 部屋の隅にあった仕事用鞄の底を探りスマホを取り出すと、画面にはメッセージ通知が何件も届いていた。  


 (奈美子さん!)


 名前を見た時、心臓がはね上がった。

 迷いなく画面をタップすると、彼女からの言葉と、可愛らしい熊のスタンプが連なっていた。


『こないだは、一方的に言いすぎてしまってごめんなさい』

『自分でも、気持ちが押さえられなくて。あなたの言葉を待てなかった』

『もう、勝手な思い込みはしないから。だからもう一度、ちゃんと話がしたいです』


『今、どこにいるんですか?』

『きっと、怒ってるんですよね。本当に、ごめんなさい』

『許してくれなくてもいいから、お願いだから、声だけでも聞かせほしいです』


「どうした? 仕事の連絡か?」


 ばあちゃんの声に、俺は黙ったまま首を横に振る。

 声を出すと、泣いているのがバレてしまいそうだから。


「電話してき。大事な用なんやろ?」

「へ?」

「TASUKEの続き、ばあちゃんが見といたるから。ほら、早う行ってき」

「……うん」


 チラリとばあちゃんの方を見ると、もうテレビ画面に釘付けになている。

 俺はスマホを握りしめて、玄関の方へ向かった。


 ――――


「ええなぁ、若いって。じいちゃんも昔はカッコ良かったのに……今は炬燵で鼻水垂れて寝てるもんなぁ」

「……寝てへんで」

「起きてたんかいな! 紛らわしいなぁ」

「歳いったらなぁ、皆鼻水垂れて寝るようになるんや」

「何言うてんのよ、アホ」  


 ――――


 冷えた玄関に腰掛け、俺はメッセージ画面を見つめる。

 時刻は夜の8時半。

 気持ちは固まっても、いざ連絡をしようとしたら不安と緊張で手が止まってしまう。

 冷たい足を擦りながら、俺は何度も深呼吸を繰り返した。

 そして、勇気を出して通話画面を押そうとした時、突然の着信にスマホが震える。


「わぁ!?」


 スマホを落っことしそうになりながら、俺は恐る恐る、ゆっくりと通話画面を押した。


「……も、もしもし」


 動揺から、勝手に声が上ずってしまう。

 心臓が飛び出そうになりながら、俺は彼女の言葉を待った。

 けれどなぜか、奈美子さんの声は聞こえてこない。

 

「奈美子さん? き、聞こえてます?」


 不安になって電話口で狼狽えていると、小さな声が聞こえてくる。


「……んで」

「え?」

「何でいなくなっちゃったんですか!? 部屋だって、何にも無くなってるし……私に、何にも言わないで」

「ごめんなさい! ば、ばあちゃんがギックリ腰になっちゃって。その、すみません……俺も、動揺してたのもあって。何も言わずに、出てっちゃって」

 彼女の涙混じりの声に驚き、俺はただ必死に謝った。

 すると、奈美子さんは震える息をゆっくりと吐く。


「……すみません。私、また勝手に怒って」

 シュンと寂しそうな彼女の声に、俺は電話なのにあたふたと手を動かした。

 

「き、気にしないでください! 俺が、悪いので」 

「違いますよ、私の方が悪くて」

「いやいや俺ですよ」

「いや、そもそも私があんな問い詰め方して」

「いーえ違いますぅ! 俺が相談も無しに勝手に部屋探ししてたのが悪いんです!」

 なかなか譲らない奈美子さんに、つい子供のようにむきになり語気が強くなる。


「ぷっ……ふふふ」

「えっ……奈美子さん?」

「ふふ、ごめんなさい。何かおかしくて」

「へへへ、すみません」

 恥ずかしくて、俺は頭を掻きながら笑った。


 (そうだ。あの事を奈美子さんに伝えないと!)


 少しの沈黙の後、俺は思いきって口を開く。


「「あのっ」」


 俺の言葉とほぼ同時に、奈美子さんも声を上げた。


「あ、ごめんなさい。な、なんですか?」

「いや……陽介から、先に」

「そ、そうですか? じゃあ」


 奈美子さんに促されて、俺は深く息をしてから話を切り出す。


「あの、部屋探しの件なんですが」

「……はい」

「奈美子さんと、一緒に住むつもりで探してたんです。その……いつまでも、奈美子さんのお世話になりっぱなしだから。俺は、あなたと対等な関係になりたくて」

 正直な想いを伝えると、しばらくして奈美子さんの小さく微笑む声が聞こえた。


「……やっぱり、そうだったんだ」

 奈美子さんは電話の向こうで、小さく囁くように何か呟いた。

「え、何て?」

「ううん、何でもありません。というか、まだそんな事を気にしてたんですか?」

 少しムッとしたように、奈美子さんはおどけて話す。


「だ、だって、部屋も何もかもお世話になりっぱなしで……せっかく仕事が見つかったのに、このままなんて」

 しどろもどろに話すと、クスクスと明るい笑い声が聞こえだす。

 

「ふふ、じゃあ帰ってきたら、一緒に部屋探し行きましょ。2人の部屋なんだから、しっかり選ばないと」

「……はい!」


 彼女の言葉で、さっきまでの胸のモヤモヤは嘘みたいに晴れていく。

 目尻に滲んだ涙をさっと拭い、俺は玄関に響く大きな声で返事をした。


「あ、でも」

「ん?」

「対等っていうのなら……敬語も、やめた方がいいよね?」

「え、それは」


 突然流れが変わってきて、俺の体はまたもや固まってしまった。


 (敬語をやめるって……その、呼び捨てにするってこと? 確かに、恋人なのにいつまでも敬語ってのも、変かもだけど)


「全然、遠慮しなくてもいいよ? 友達や家族に話す感じでやってみて」

「うっ……そんな、急に言われても」

 (何か、奈美子さん楽しそうじゃない?)


 声色から、何故かワクワクとしたように感じ取れる。

 もしかして、ちょっと揶揄われてない?


「待ってるから、ほら。何か話してみて?」

 奈美子さんの優しい声に、耳たぶがぞわぞわと熱を持ったみたいに暑い。

 俺はゴクリと息を飲み、咳払いの後ゆっくりと口を開く。


「な、奈美子……か、帰ったら、初詣行かない?」


 異常な緊張感のなか伝えると、何故か奈美子さんはシンと静かになった。


「あれ? 奈美子さん? 聞こえました?」

「ぷっ……あっはははは!」


 吹き出して爆笑する奈美子さんに、俺はしばらく目が点になり呆けていた。


「はははは、あー、面白かった」

「酷い! やっぱり揶揄ってたんだぁ」

「違うって、ちょっと恥ずかしくて我慢できなかっただけ」

「そんなー、俺の方が数倍恥ずかしかったんだから……奈美子さんの意地悪」


 むきになって反論すると、今度は優しい笑い声が聞こえる。

「ほら、もう普通に話せてるよ?」

「え……あ、ほんとだ」

「さん付けはそのままだけど、ちょっと、距離が近くなった気がするね」

「……うん」

 

 最初は緊張したけれど、一度口にすると、不思議と遠慮せずに話すことができた。

 それからしばらく、俺と奈美子さんは電話越しに何度も笑いあった。


「私ね、今まで仕事ばかりで、まともに恋愛してこなかったの」


 不意に静かになった後、奈美子さんはゆっくりと話を始める。

 俺はその穏やかな声に、ただ黙って耳を傾けた。


「だから、初めてなの。こんなに人を好きになるの」

「……奈美子さん」

「幸せだなーって思ったり、些細なことで不安になったり。恋愛って、こんな忙しいものだなんて知らなかった」

「うん。俺も、同じ」


 奈美子さんも、俺と同じだったんだ。

 そう気付いた途端、彼女がたまらなく愛おしくて。

 俺は自分の想いも、言葉で伝えなきゃと思った。

  

「奈美子さん」

「なに?」

「俺っ……これからも奈美子さんと、ずっと一緒にいたい! おじいちゃん、おばあちゃんになるまでずっと、ずっと一緒に」

「……うん、私だって、一緒にいたい」


 彼女の答えを聞いて、俺は胸の奥がじんわりと温かくなる。

 そして無意識に、ホッとため息を漏らしていた。 


「ねぇ、これからは、何でも遠慮しないで言ってね? もう、知らない間にいなくならないで」

「……はい。絶対、約束します」


 寂しさを含んだ奈美子さんの声。

 その切実な彼女の気持ちに、俺は目を閉じたまま、まるで誓いのように想いを伝えた。

 




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