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19話 消えた忠犬


『お姉ちゃん、何で嘘つくの?』

『べ、別に……嘘なんか言ってない』

『ゲーム! 二人で出来るやつ買ってくれるって、お父さん言ってたのに』


 弟の(たける)は、新作のテレビゲームを持って不満そうに頬を膨らませる。


『気が変わったの。健、それ欲しがってたじゃん』

『そうだけど……でもお姉ちゃん、前も我慢して』

『そんな事ないよ。私もぬいぐるみ買ってもらったし』

 手のひらサイズの熊のぬいぐるみを見せると、健はふっと目を逸らす。


『……めっちゃ小さいじゃん』

『でも可愛いでしょ? ねぇ、帰ったらそれやってるの見せてよ』

『うん! じゃあさ、交代でやろ!?』


 おどけて言うと、健は顔を輝かせて跳びはねた。

 まだ小学校に上がる前の平穏な日々。

 健もこの時は、まだ元気そうに見えていた。


 今はもういない彼のあどけない姿。

 それが夢だとわかっても、この幸せな世界から抜け出したくはない。

 そう思っていた時、ふと夢は途切れ、私は薄暗い部屋で目を覚ました。


 物音のしない寝室で、ぼうっと天井を見上げる。

 頭はだんだんハッキリとして、私は昨日の出来事を思い出した。


「……私、陽介の話も聞こうとしないで」


 昨夜、自分の思い込みで、彼の話を遮るように拒絶した。

 陽介は黙っていたけど、本当は何か事情があったんじゃ。

 けど私は、それを知るのが怖かった。

 裏切られることを、勝手に恐れて。


 両手で顔を覆っても、思考はぐるぐる堂々巡り。

 気持ちを無理矢理押し込めて、私はようやく布団から抜け出た。


 (とりあえず、謝ろう。向こうは今日からお正月休みだし、わだかまりを抱えたまま一緒にいるのは辛い)


 陽介が本当はどう思っているのかわからないけれど、あんな態度をとってしまったことは謝りたい。

 リビングに出ると、部屋は妙に静かだ。


 (……まだ寝てるのかな?)


 時刻は9時を回っていたが、休みの日だから別に特別遅くもない。

 けどいつもの彼なら、休み関係なく朝食を作っているはず。


「あんな言い方したんだから、当然か」


 私は陽介の部屋の前で深呼吸をし、ゆっくりと扉をノックする。


「あの……昨日は、ごめんなさい。つい、言いすぎてしまって」

 俯いたまま声をかけるも、部屋の中から返事はない。

 怒っているのか、私と話したくないのか。

 シンと静かなままの空間で、私はまた声をかける。


「お、怒るのもわかりますけど……返事くらいしてくれてもいいんじゃ」

 思わず顔を上げても、部屋からは物音ひとつしない。

 不思議に思って、私はゆっくりとドアを開ける。


「えっ……何で」


 目の前にあったのは、スッキリと片付いた誰もいない部屋。

 陽介が使っていた来客用の布団は綺麗に畳まれ、スーツも、いつものスウェットもない。

 まるでもぬけの殻になった部屋の前で、私は力なくへたり込んだ。


「……いなく、なっちゃった」


 無意識に呟くと、頬を生ぬるい水滴が伝う。

 それは自分の意思とは関係なく、止めどなく、パタパタと床に溢れていった。


 ◇


 その日の午後。

 夜勤だった私は、いつものように引き継ぎを聞いていた。

 普段通り振る舞おうと静かに聞いていたのだが、時々歩実や、他の職員の視線が刺さる。


「……ねぇ、何かあったの?」


 引き継ぎが終わると、歩実は私の腕を引いて声をかける。

 私は歩実の目を見れず、顔を背けたまま返事をした。


「別になんにも」

「いや、そんなパンパンに目腫らして……何でもなくないでしょーよ」

 歩実は軽く息をついて、呆れているような顔をする。


「……昨日、ちょっとケンカしちゃって」

「ケンカって、川崎さんと?」

 私は黙ったまま頷いた。


「それで今日、謝ろうと思ったんだけど……もう、いなくなってて」

 思い出すとまた涙が滲んで、俯いたまま鼻をすする。


「あーあ、もう泣かないの。仕事中でしょ? 我慢しなさい」

「うん……ごめん」

 口ではキツく言いつつも、歩実は私の背中に手を当てたままだった。


「とにかく! 今日は仕事に集中しよ? 明日、話聞くからさ」

「ありがと」

 彼女の笑顔を見て、私は小さく返事をする。

 歩実の明るい態度には、本当にいつも助けられてばかりだ。 


 ◇


 それから、仕事は幸いにも無事に終わった。

 気分は憂鬱だったけれど、逆に仕事をしているほうが余計な事を考えずに済んだのかもしれない。

 

 夜中に何度かスマホを見たけれど、やっぱり陽介からの連絡は無い。

 自分から送ろうと文字を打ってみても、送信画面に触れることがどうしても出来なかった。

 彼に、拒絶されるのが怖くて。


「さてと……奈美子、どこで話す? ラーメン屋は、そんな感じじゃないし……カフェでも寄る?」

 ロッカーをパタンと閉め、歩実はスマホを見ながら店を探している。


「……私の部屋でいいよ。たぶん、彼いないから」

 ロッカーの小さな鏡を見ると、目元の腫れはもうない。

 何気なく返事をすると、歩実は複雑な表情を浮かべていた。

 

「そっか……じゃあ、コンビニで酒とツマミを買おう! 今日はとことん付き合うよー!」

「ふふ、飲みたいだけじゃないの?」

「バレたか……って違うし! あくまでアンタの話を聞くのが目的だから!」

「はいはい」

 彼女のいつもの調子に、私も釣られて普通でいられる。

 

 もしかしたら、家に陽介が帰っているかもしれない。

 そんな思いは、まだ私の心のどこかにあった。


 ――――


 〈ピンポーン〉


 インターホンを押しても、何も返事は無い。


「やっぱり、いない?」

「うん……でも、わかってたから。入って?」

 笑って返すと、歩実は心配そうな顔で私を見る。

 強がって誤魔化しているのはバレバレみたい。

 

「お邪魔します」  

 歩実は大きなコンビニの袋を手に、静かな様子で部屋に入った。


 ――――


「えっ、それが原因で?」

「うん。アパートの間取りを見たら、もうそうとしか考えられなくて……でも、陽介は何も言い返さなかったし。現に、いなくなったわけだし」

「それは、奈美子とケンカになったからじゃない? あの人が奈美子から離れようとするなんて思えないけど」

 何本もビール缶を机に並べ、歩実は難しい顔で腕を組む。

 そしてスルメを1本くわえると、こっちに身を乗り出して話を切り出した。


「やっぱりさ、新しい部屋探すつもりだったんじゃない?」

「はぁ……やっぱりそうだよね」

 わかっていたことも、人に言われると尚更気持ちが落ち込んでしまう。

 私は何気なく、机の缶チューハイを手に取る。


「いや、あんた勘違いしてるでしょ?」

「えっ」

 歩実の言葉に、私は缶に口を付けたまま固まる。


「だから! 出て行こうとしたんじゃなくて、あんたと住む部屋を探してたってこと」

「えっ、そんな……何で? ここでいいじゃない」

 訳がわからなくて、私は間抜けな声を上げた。

 

「確かに1LDKで2人住めないことは無いけどさぁ……ぶっちゃけここ、ちょっと狭いよ?」 

「そ、そうなの!? でも、陽介は何も」

「あんたが落ち込んで、変な詰め方したんじゃない? 言いたくても言い出せない空気、みたいな。そういうので縮こまる人だっているよ?」 


 歩実に指摘され、私は自分の態度を改めて思い返した。

 確かに、最初から決めつけていた節もある。


 (でも、まさか歩実にこんな事を言われるなんて……)


 曇りの無い瞳でこちらを見つめる歩実。

 デリカシーとは無縁そうな彼女に冷静な指摘をされて、私は自分の落ち度に気付くと共に、何故か少しだけ悔しさを感じた。


「……歩実って、意外と人の気持ちとか考えるタイプなんだ」

 ボソリと呟くと、歩実はブッと酒を吹き出した。

「はぁ!? 当たり前でしょ! 私以上に気遣える女なんて、そうそういないんだからね?」


 自信満々に胸を張る彼女をじっと見つめたけれど、やっぱりそんな風には見えなかった。


「じゃあ……全部私の勘違いだった、ってこと」

「わかんないけど、私はそう思うよ」


 歩実の言葉に、さっきまでどん底だった気持ちがふわりと軽くなっていく。

 私はソファーに置いたスマホを手に、彼とのチャット画面を見つめた。

 自分の勘違いだとしたら、早く謝らなくちゃ。

 

 (けど、もし違っていたら……)


 マイナスな自分の思考が、僅かな不安を膨らませていく。

 私は手を止め、またスマホをソファーに置いた。


「送らないの?」

 歩実の声に、私は黙ったまま缶チューハイを口にする。

 彼女は短くため息を吐くと、優しい口調で話を続けた。


「奈美子。ここでじっとしてたら、本当に大切なもの、見失っちゃうよ?」

「……歩実」

「私が見る限り、あんたら超お似合いだったけどね。こんな誤解で離れちゃうなんて、もったいないよ」

 言い終わると、歩実は残りのビールを一気に飲み干した。

 そして、ドンと勢いよく空き缶をテーブルに置くと、明るく笑って立ち上がる。


「じゃあ、話しもまとまったし、もう帰るわ」

「え、帰っちゃうの?」

「ふふ、そんなに寂しい?」

 揶揄うように言われ、思わず頬が熱くなった。


「別に、そんなんじゃ」

「大丈夫。素直に話せば、川崎さんは答えてくれるって」

「そう、かな」

 私は俯いて返事をする。

 歩実の言葉は力強くて、少し希望が持てるような気がした。


「そうそう。だから、あとは自分で何とかなさいよ」

「うん……ありがと、歩実」

「ふふ、素直でよろしい。じゃ、頑張ってね奈美子」 

  

 そう言って、歩実は颯爽と帰っていった。

 大量のビールの空き缶と、ツマミの残骸を残して。 

 

 残ったゴミを片付けながら、私は自分の気持ちを奮い立たせる。

「……うん、やっぱりちゃんと謝らないと」


 私はゴミ袋を床に放るように置き、スマホを手に勢いのままにメッセージを打ち込んでいった。 


 ◇


 薄く雪が積もった田舎道。

 最後にここを通ったのはいつだっけ?

 前の会社をクビになってから、帰る資金も無かったからなぁ。

 

 ぼんやりと考えながら、俺は買い物袋を手にトボトボと歩いていた。


「……ただいま」


 ガラガラと鍵の開いたままの引戸を開けると、奥の部屋からばあちゃんが這ったまま顔を覗かせる。


「すまんな陽介。頼んだもんあったか?」

「うん、あったよ。湿布と、痛み止め……あと、貼るカイロとコルセット」

 俺はばあちゃんのいる居間で、買ったものを広げていく。


「おーおー、ほんま助かったわ。まさか、こんな年末に動けんようになるとは思わんでね」

 ばあちゃんは座ったまま、顔をしかめて腰を擦る。

「仕方ないよ、もう歳だもん」

「ほんま情けないわ。じいちゃんも目が悪くなって、免許返納してもうたし。もうお手上げじゃー思ってたんや」

 

 ばあちゃんは話しながら、俺に湿布を貼れと言わんばかりに袋を手渡してくる。

 一昨日、奈美子さんに拒絶された夜、突然ばあちゃんから電話があった。

 ギックリ腰で動けなくなったから、帰ってきてくれないかって。


 普段は滅多に連絡してこないばあちゃんだから、余程余裕が無かったんだろう。

 もちろん、俺は次の日の早朝から実家に帰った。

 すれ違ったまま出ていくのは気が引けたけど、少しだけ安心している自分もいた。

 拒絶された、奈美子さんと顔を合わせるのが辛かったから。


 黙って湿布を貼りながら愚痴を聞いていたら、ばあちゃんは突然俺に話を振る。

「それはそうと。陽介、お前彼女とかおらんの?」

「ふぇ!? な、なんで?」

「いや、せっかくの年末に、こんなおばあの世話させて悪いな思ってな」

「別に……何もないし大丈夫だよ」

「そうか?」


 誤魔化して答えると、ばあちゃんはそれ以上何も言わなかった。


 何も言わずに出てきたことに罪悪感はある。

 けれどあのままじゃ、何て言っても言い訳にしか受け取られなさそうで。

 俺は、逃げてしまったんだ。


「はぁー、じんわり効いてきたわ」

 炬燵に潜り、ばあちゃんはしみじみと声を漏らす。


「よかった。早く楽になるといいね」

「なぁ陽介」

「ん?」

「いい人がおるなら、ばあちゃんに早う紹介せぇよ?」

「……ばあちゃん」


 見透かしたように笑うばあちゃんに、俺は苦笑いを返す。

 そして、鞄の中で震えているスマホに気付かず、ただ彼女の、寂しそうな顔が頭から離れなかった。   

    


 

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