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18話 隔てた心の扉


「川崎くん、遠慮しないでどんどん飲みなよ?」

「あ、はい」


 今年の営業の仕事は今日で終わりだ。

 とは言え、まだ入社して1ヶ月しか経ってないんだけど。

 

 仕事終わりの忘年会。

 先輩に囲まれ、俺はそわそわと落ち着かない気持ちだった。


「朝倉さん、あんま無理矢理勧めちゃダメっすよ? 川崎くん嫌がってるし」

「え、そうなの? てっきり新人だから遠慮してるのかと」

 田村さんに叱られた朝倉さんは、驚いた顔で頭に手をやる。

 朝倉さんの方がだいぶ先輩だけど、田村さんは結構遠慮がない。


「あ、大丈夫です! お酒飲むの好きなんで」

 フォローするつもりで言うと、朝倉さんは嬉しそうに俺の肩に腕を回した。

 

「だよねぇ〜? ほら、次は何頼む? 日本酒いっちゃう?」 

「日本酒ですか!? あまり飲まないですけど、少しなら」

「よっしゃ! ねぇ兄ちゃん、日本酒2合お願ーい!」

 ちょうど注文を受けに来た店員さんに、朝倉さんは自分の席から大声で注文を通す。


「はぁ……ダメだこりゃ」

「え、えっへへ」

 額に手を当てため息をつく田村さんに、俺はただ乾いた笑いを漏らしていた。

 

 その後、忘年会は遅くまで続き、お開きになったのは終電が近くなってから。

 俺は自転車通勤で終電には関係ないんだけど。

 フラフラのまま急いで駅に向かう人や、諦めてタクシーを呼ぼうとする人、もう一件行こうとする人など様々だ。


「すみません、今日はありがとうございました」

 

 店先で立ち話をする先輩たちに会釈をして、俺は自転車を押して帰ろうとする。

 すると、田村さんが俺を見て小走りで近づいた。


「川崎くん大丈夫? 危ないならチャリ置いてタクシーで送るけど」

「大丈夫ですよ。ちゃんと押して帰りますし」

「そう? 足元気をつけてね。じゃあ、良いお年を」

「ありがとうございます。良いお年を」


 心配そうな顔で笑う先輩に頭を下げ、トロトロと自転車を押していく。


 (奈美子さんのママチャリだもん。置いて帰るなんて出来ないよ)


 普段使ってないからと貸してもらっている自転車。

 今じゃすっかり俺の相棒って感じで愛着がある。


 鼻の奥がツンとするような冷たい空気の中、俺はその相棒と一緒に長い夜道を歩いた。

 歩くのは平気だけど、頭が少しぽやっとする。

 朝倉さんの日本酒が効いているのかもしれないな。


 (遅くなっちゃったけど、奈美子さんもう寝てるかな)


 大切な人の事を思いながら空を見上げると、真ん丸な月が薄い雲に隠れていた。

 最初は冷えていた体も、歩いているとだんだんポカポカと暖かくなってくる。


「へへ、明日からは正月休みかぁ〜。今まで無職だったけど、やっぱ休みがあると嬉しいな」


 (奈美子さんと、どこか出掛けようかな……それとも、一緒にだらだら過ごすのもいいなぁ〜)


 この後の出来事を知る由もなく。

 俺は呑気に妄想しながら、アパートに向かっていた。


 ◇


「ただいま〜。遅くなってすみません」


 部屋に帰ると電気が点いていて、奈美子さんはソファーでスマホを見ている。

「おかえりなさい。寒いし、お風呂入ってきたらどうです?」

「そうですね。じゃあ、いってきます」


 思い過ごしだろうか。奈美子さんが目を見てくれない気がした。


 微かな違和感を感じながらも、冷えた体を湯船で温める。

 溜まったアルコールがぐるぐるとまた回り始めるようで、長湯せず早めに出た。


 頭にタオルを被せたままリビングに出ると、奈美子さんはまだソファーに座ったままだった。

 膝を抱えて顔をうずめたその姿に、微かな違和感は確信に変わる。

 

「奈美子さん……何か、あったんですか?」


 俺の声に、奈美子さんは顔をうずめたまま顔を背けた。

 それから少しの沈黙の後、小さな声がポツリと聞こえ始める。


「ここにいるのが……嫌なんですか?」


「えっ……何で、そんな」

  

 脈絡のない問いかけに、頭の中は真っ白で、言葉が出てこなくなった。 


 すると奈美子さんは、くしゃくしゃに握りしめた紙を机の上に置く。

 それを見た瞬間、俺はハッとした。


「あ、それはですね」

「ここを、出ていくつもりなんでしょ?」

 事情を説明しようとすると、奈美子さんは捲し立てるように涙声で俺を見つめた。


「で、出ていくだなんてそんなっ……俺はただ、いつまでも奈美子さんに迷惑をかけるのが嫌だから、新しい部屋を」

「やっぱりそうじゃないですか。そんな遠回しな事言って、本当は私から離れたいんでしょ?」


 そう言った奈美子さんの目は、俺を信用していない気がした。

 どう言えばわかってもらえるんだろうと、俯いて固まった体を水滴が伝っていく。


「……黙るって事は、図星なんだ」

「違っ」


 寂しそうに呟いた小さな声に顔を上げると、奈美子さんが目の前に立っていた。


「今日は、もう寝ます」

「え……待って」


 引き留めようと手を伸ばしたと同時に、リビングを仕切る引戸は締め切られる。

 鍵も何もない仕切りなのに、なぜか固く、閉ざされた扉のように思えた。


 一体、何が起こったんだろう。

 突然突きつけられた拒絶に、頭はひたすら空回りし続ける。

 机の上の、くしゃくしゃになった間取り図を手にして、俺はただ後悔した。


 こんな筈じゃなかった。

 先に部屋を決めて、少しビックリさせたかっただけなのに。


 結局俺は、大事な人を不安にさせてしまっただけ。


 足はふわふわと、地を踏みしめる感覚もしない。

 まるで生きた心地のしない足取りで、また扉の前に立つ。

 中からは何も音がせず、寝ているのか、泣いているのかもわからない。


「……奈美子さん」


 戸に手を当てたまま呟くと、自分でも驚くほど細い声が出た。

 想像通り、奈美子さんの反応は無い。

 どうすることも出来ないまま、俺はふらふらと自分の部屋に戻った。

  


 

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