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15/22

15話 誰かに作る料理


 次の日。

 定時を過ぎた頃、陽介からメッセージが届いた。


『帰るの、少し遅くなりそうです』


 今まではバイトと違って、就職したんだから当然こういうこともあるのはわかっていた。

 にしてもこんなすぐに残業が始まるとは、営業の仕事も忙しいんだな。

 仕方のないことだけど、やっぱり少し寂しい。


「……あ、そうだ」


 ぼんやりとスマホを見つめた後、ふと思い立ってキッチンへ向かう。

 冷蔵庫を開けると、ギュウギュウとまではいかないが、様々な食材が入っていた。

 

 (料理はいつも陽介の担当だけど……付き合いだしたら、ずっと頼りっぱなしって訳にもいかないよね)


 食材を眺めながら、何となく思い巡らす。

 けれど、普段ほとんど料理をしない人代表のような私だ。当然全くと言っていいほど頭に浮かんでこない。

 

「ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ……カレー? でも、今からじゃ煮込んだり時間かかるのかな? 野菜炒め、は何か普通だし……まぁ、普通でいいんだけど」


 すっかり料理の迷宮に迷い込んでしまった私は、悩んだ末に缶ビールを手に取る。

 

「よし。とりあえず飲みながら考えよう」


 別に逃げた訳じゃない。そこにビールがあったから、仕方なくだ。

 適当に言い訳を考えながら、私は夜勤明けのテンションで慣れない料理に取りかかった。


 ――――


「ただいま」


 夜の9時を回った頃、陽介はようやく帰ってきた。

 小さくため息を漏らしながら、ジャケットとマフラーを脱いでいく。

 寒かったのか、鼻の頭が赤くなっている。


「おかえりなさい。遅かったですね」

「すみません、思ったより遅れちゃって。すぐご飯作りますね」


 慌てて手を洗いキッチンに向かう陽介に、私は少し照れ臭くも声をかけた。

「……あの、ご飯なら大丈夫ですよ。作ってあるから」

「え? 奈美子さんが!?」

 陽介はピタリと動きを止めて目を見開く。

「そ、そんな驚かなくても……まぁ、川崎さんみたいに上手くないですけど」


 あんまり驚くものだから、私もつい不貞腐れて嫌みに返してしまう。

 すると、陽介はわたわたと身振り手振りでフォローし始める。


「すみません! そう言う意味じゃなくて、その……嬉しいです! 凄く」

 その必死な姿を見ると、へそを曲げたのが馬鹿らしくなって、私はつい吹き出してしまった。


「ぷっ、ふふふ……もういいですよ。でも、先にお風呂入ったらどうです? 外寒かったんじゃ」

「大丈夫です! そんなことより、早く奈美子さんの手料理を食べないと!」

「う……そこまで期待されるとプレッシャーが」


 キラキラした目で顔を近づける陽介に、ついいたたまれず身を引いてしまう。

 素直に喜びを示す彼は、思わず犬の尻尾と耳の幻覚が見えそうな程可愛らしかった。

 そして電子レンジで温め直している間も、彼はソワソワと私のそばを離れず出来上がるのを待っている。

 

「あの、座って待ってていいですよ?」

「えぇ〜、だって楽しみで」


 子供みたいな彼の姿に、ほんわかと胸が暖かくなった。

 そんな時、陽介はふと流し台の方に目をやり口を開く。


「ところで気になってたんですが……ビールの空き缶多くないですか?」

「え!? あ、あはは……今日は何だか、進みが良くって」

「うーん、怪しいですね」

「別に、5本くらい何とも」


 言い訳の途中で、タイミングよくレンジが止まる。

 料理をつまみ食いしながら飲んでいたことは、陽介には内緒だ。


「あ、あぁ! 出来ましたよ! ほら、座って座って」

「ちょっと、そんな押さないで下さいよー」


 私は陽介を無理矢理ソファーに座らせ、温めた大盛りナポリタンを机に並べる。

「わ〜、めっちゃ旨そう! 食べていいですか?」

「ふふ、どうぞ」

「じゃあ、いただきます!」


 陽介は丁寧に手を合わせると、よほどお腹が減っていたのか大口を開けて食べ始めた。

「んん! おいふぃでふ!」

「もう、落ち着いて食べないと。変なとこ入っちゃいますよ?」


 私の言葉はフリのようになってしまい、陽介は案の定ノドがつっかえて胸を叩く。

「わっ、お水お水」

 急いでコップの水を渡し、陽介はそれを一気に流し込む。


「……はぁーーー、生き返りました」


 既視感のある光景に、心は妙に懐かしい思いに溢れてくる。

 それは、ホームレスだった彼を助けたあの時と同じだった。

 

「ふふ……初めて出会った時と同じだ」

「ん?」

 陽介は頬いっぱいに詰め込んだまま視線を送る。

 

「倒れてた川崎さんを家に上げて、水をあげた時。へへ、あの時も『生き返ったー』って言って……大袈裟な人だなって思った」

 最後の一言で、陽介はガックリと肩を落とした。

   

「大袈裟だなんて……何日も飲まず食わずだったんですよ? それはもう砂漠に染み込んだ水みたいなもんです」

 彼はそう言って何故か胸を張っていた。

「何で自慢げに言うんですか」

「ふっ、あはは! ごめんなさい。でも大袈裟じゃなくて、あの時の奈美子さんは、本当に女神様に見えました」


 陽介は目を細めて優しく微笑む。

 彼は本当に、恥ずかしげもなくこう言うことをさらりと言う。

 それは嘘じゃく、心からの言葉に聞こえた。


 その後、陽介は終始嬉しそうな笑顔で食べ進め、空っぽになった器にカランとフォークを置く。 

「はぁ、お腹いっぱい……凄く美味しかったです」 

 満足そうにお腹を擦る彼を見つめていると、不思議と心が満たされる。

 料理を作るのも悪くないな。

 まぁ、急に毎日は無理かもだけど。


「そんなに喜んでもらえるなら、作りがいがありますね」

「そりゃあ、奈美子さんが作ってくれたら、何だって嬉しいですよ!」

「ふふ、ありがとう……あ、お皿洗ってきますね」

 照れ臭さから逃げるように、綺麗に空になった器を持ってキッチンに向かった。


「あ、俺洗いますよ」

 陽介はそう言って慌てて立ち上がる。

 私は気を遣わせないよう笑って、手を動かしながら声をかけた。

  

「大丈夫。新しい仕事で疲れてるでしょ? 片付けはいいですから、ゆっくりしてて下さい」

「……すみません」

 それでも申し訳なさそうな返事の後、しばらくして背中にふわりと温かな体温を感じた。


「えっ……川崎さん?」


 肩から覆い被さるように抱きつかれ、心臓の音が外に聞こえそうなほど速くなっていく。

 動揺を隠しながら後ろを見ようと首を捻ると、切羽詰まったような声が耳もとに囁く。


「ごめんなさいっ……でも、少しだけ」


 初めて聞くような、熱のこもった声。

 その息が耳たぶに触れると、身震いしそうなくらい胸が締め付けられた。


 突然の出来事に、私は食器を洗う手を止める。

 力無く握ったスポンジからは、ただポタポタと雫の落ちる音だけが不規則に聞こえていた。


 抱き込まれた腕は少しづつ、やんわりと心地いい力が込められる。

 くっついた背中や首もとは、もう暖かいを通り越して熱く火照ってきそうだった。

 私は泡の付いた手のまま、彼の腕に触れる。


「……奈美子さん」


 静かな戸惑いを含んだ声に、私は心を決めて口を開く。


「別に……少しじゃなくたっていいですよ?」


 体を捻ってゆっくり彼の顔を見上げると、大きく開いた瞳が揺れていた。

 きゅっと結ばれた彼の口に、私は少し背伸びをして唇を寄せる。

 触れた陽介の唇は柔らかくて、しょっぱいケチャップの味がした。


「は……奈美子さん、俺……お、お風呂入ってきます!」


 急にパッと腕をほどき、陽介はあたふたと風呂場に駆け込んでいった。

 私は呆気に取られて、しばらく口を開けたままポカンと固まる。


「あいてっ」


 少しして、浴室から何かにぶつかった物音と陽介の声が響く。

 慌てている陽介の姿を想像したら、自然と笑いが込み上げた。


「ほんと、何してるんだか」


 冷静になると、急になんとも言えない恥ずかしさが襲ってくる。

 私は洗い物を続けながら、軽く深呼吸をした。


「嫌じゃ……無かったよね」


 自分から行動を起こすことが、こんなに勇気のいることだなんて。

 ビールを飲んで無かったら、出来なかったかもしれない。


「ん? 何か、酒の力で押しきった的な?」


 ぶつぶつと独り言を呟いて洗い物を済ませた私は、陽介がお風呂から出てくる間に、気付けばもう1本お酒を開けていた。

 



 

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