12話 就職祝い
「もう、早く行きますよ?」
「えー、ちょっと待って……髪型が」
念入りに姿見で髪を整える陽介に、思わず呆れてため息が出る。
別にいつもと変わらないのに、何をそんなに気にしてるんだか。
「別にいいじゃないですか、いつも通りですよ?」
「うっ……わかりましたよ」
渋々納得したのか、陽介はいつものスウェット姿とエコバックを提げ小走りで出てくる。
私は彼の姿を上からじっくりと見て小さく頷く。
「うん、いつもと同じ」
「む、自慢の一張羅なのに」
「ふふ……でも、これからカッコいいスーツ、買いに行くんでしょ?」
「へへ、その辺は財布と相談ですねー」
話ながらアパートの階段を降りていると、陽介はふと私を見つめて口を開く。
「今日の奈美子さん……ちょっと、いつもと違う」
「えっ、そうですか?」
「スカート、履いてるとこ見たこと無いです」
じっくり見つめられると、妙に気恥ずかしい。
確かに今日はちょっと、いつもより服に気を遣ったけれど。
私は俯いて、改めて自分の服を見下ろす。
ロングスカートに、ゆったり目のセーターとジャケット。
別に変じゃない、よね?
急に心配になって唸っていると、陽介はもじもじと小さな声で呟く。
「そ、その……とても、可愛いと思います」
「ふぇ!? へ、変な事言わないで下さいよ!」
「す、すみませんっ」
照れてつい大声を出すと、陽介はビックリしてシュンと小さくなってしまった。
私たちはその後、大した話もしないまま最寄りの駅に向かう。
電車で20分ほどの場所にある、商業施設の並ぶ繁華街。
平日でそこまで人はいなかったが、それなりに駅前は賑わっていた。
「やっぱ、この辺は混んでますね……さすがにスウェットで来れる場所の限界かも」
「あはは、確かに。スウェットの人は他に見ないですね」
陽介はチラチラと回りを見ながら、苦笑いを浮かべて少し俯いて歩く。
そんなに気にしなくてもいいのに。
私のお古のモッズコートを着てるとは言え、スウェットじゃ寒そうだ。
「寒くないですか? 今日結構冷えてるし」
「全然、暖かいですよ! それにこれ着てたら、自転車で爆走しても寒くないし」
「ぷっ、私のママチャリで爆走しないで。ちょっと、想像しちゃうじゃないですか」
「えへへ、これでも安全運転を心がけてます!」
自信満々に言うもんだから、それがまた可笑しくて私は笑いが止まらなくなった。
ニヤニヤ笑う陽介と歩いていると、すぐに目的のショップに着いた。
「あ、ここじゃないですか」
「ほんとだ。いいスーツあるといいですね」
「はい!」
ショップにはリクルートスーツがずらりと並び、値段も比較的手頃なものが多い。
そして私たちが向かったのは、30%オフの赤い文字が目立つ売り出しコーナー。
特に何か話す訳でもなく、ほぼ阿吽の呼吸だったかもしれない。
「あ、はは……やっぱり、安いものに目が行きますよね」
「当然ですよ! 今の俺にはこれしか目に入りませんし」
苦笑いで見上げると、陽介は意気揚々と品定めを始めていた。
さすが、食費を押さえつつ毎日美味しい食事を作ってくれるだけはある。
一緒に選びながら、私はふと思ったことを口にする。
「そんなに節約家なのに、金欠で行き倒れるなんて不思議ですよね……」
「うっ……言い返す言葉もございません」
陽介が行き倒れた経緯は知っている。
両親を早くに亡くした彼は、祖父母に面倒を見てもらった。
その祖父母への恩返しとして、旅行やプレゼントなど無理して仕送りを続け、結果リストラ後もそれを言い出せずホームレスに。
それで倒れているところを、私が助けた訳だけど。
しっかりしているのか抜けているのか、本当によくわからない。
ただ、人のために自らを犠牲にする、献身的な性格だってのはよくわかる。
でもこれからは、今までのような無理はして欲しくない。
「就職出来たら、もう無理な散財はしちゃ駄目ですよ? 例え、大事な人のためでも」
「……はい。もちろん、約束します」
陽介は服を選ぶ手を止めて、真剣な表情で微笑んでいた。
「ふふ、よろしい……あ、この色なんてどうです?」
私はグレーのスーツを取って陽介にあてがう。
「おぉ、意外といいですねぇ。前は紺色だったから、同じ色にしようと思ってたけど」
「そうなんですか。結構似合ってますよ? 柔らかい感じで、営業にもいいんじゃないですかね。知りませんけど」
「あ、それ! 関西のあるある言い回しだ! でも確かに、印象良さそうですね。俺、試着してきます」
「うん、いってらっしゃい」
試着室に入る陽介を見送って、私は少し肩の力が抜けた。
数日前あんな事を言われてビックリしたけれど、案外いつも通りに振る舞えるものだ。
問題は、いつ返事をするかだけど。そもそも返事を求められているのかさえ微妙だし。
「……よし! 帰ったら話そう……絶対、逃げちゃ駄目よ」
こういうのは決めておかないと、絶対にずるずる先延ばしになってしまうんだから。
私は速く脈打つ心を落ち着かせるため、深呼吸を繰り返した。
「……ど、どうでしょう」
「へ? あ、あぁ……いいですね」
突然試着室のカーテンが開き、思わず変な声が漏れてしまう。
「むぅ、本当に思ってます?」
「本当本当! 凄くいいです!」
急に声を掛けられてビックリしただけで、本当によく似合っている。
モサモサの髪型をしていても、それなりに格好はついて見えた。
「ほ……よかった。値段も安いし、これにしますよ」
「うん、いいと思う」
陽介は嬉しそうにニヤリと笑って、早速会計に向かう。
その間何となく売場を見ていると、ネクタイコーナーに可愛らしい柄のものが沢山あった。
「へぇ、可愛いキャラクター物もあるんだ……」
いくつか見て行く中、ふと目に止まったのは紺色の熊柄のネクタイ。
よく見ないとキャラクター物とはわからないし、営業の仕事にも着けていけるかも。
レジを見るとまだ包装に時間が掛かりそうで、私は急いでそれを別のレジに持っていった。
気を遣いそうだけど、これくらいプレゼントしてもおかしくないよね。
数分後、陽介は大きな紙袋を下げて満足げな笑顔で戻ってくる。
「すみません、時間掛かっちゃって」
「大丈夫ですよ。いいのが見つかって良かったですね」
「はい! これで面接も安心ですよ」
紙袋を掲げて嬉しそうに笑う陽介を見ていると、自分まで嬉しくなった。
これから始まる彼の新しい挑戦。
それに私は、自分が就職した頃のことを思い出した。
「ねぇ、帰ったら面接の練習でもしましょうよ」
「えぇ!? き、緊張しますよ」
「ふふ、練習から緊張してどうするんですか?」
「うっ、そうですけど」
動揺する陽介を見て笑っていると、ふとそのモサモサ頭が目につく。
「あ……その髪型も、どうにかしないとですね」
「そうだ、忘れてた! さっき電車の中で安く切れるとこ探してたんですよ……えっと、ここ!」
「んん? えっと、初回1000円……が今だけ半額!?」
陽介のスマホ画面を見ると、魅惑的な理髪店のクーポンの文字が踊る。
安いのは確かに魅力的だけど、本当に大丈夫か?
「いいでしょ〜! 場所はさっきの駅前らしいんですけど、実はもう予約してるんです」
「早っ! でも、大丈夫ですか? 安すぎて逆に心配というか」
「大丈夫ですよ。短くなって、清潔感がでればそれでいいし」
「うぅ……大変な事にならないことを祈ります」
「あはは、心配性ですねぇ〜」
私が両手を合わせて祈っていると、陽介は呑気な笑い声を上げた。
ちょうど予約の時間にも間に合いそうで、一緒に駅前に向かう。
しかし、目的の場所に着いても、なかなか目当ての理髪店は見つからない。
「あれ? この辺のはずなんだけど……」
陽介はスマホと周囲を交互に見る。
私も同じようにキョロキョロと探すと、ボロボロの幟が目に止まった。
「あ、あそこですよ」
「え?」
陽介の腕を引っ張り、その幟の前に連れていく。
「ここ……大丈夫ですかね」
寂れて字がほとんど読めなくなった看板を見上げ、流石の陽介も不安そうだ。
「あ……な、中は案外、綺麗かも」
「うーん……と、とりあえず入ります」
陽介はゆっくりとドアに手を掛け、私たちは店内に足を踏み入れる。
「らっしゃーせー!」
「ひぃっ」
「ひゃ」
一歩踏み入れた途端に響き渡るラーメン屋のような掛け声に、私たちは小さく悲鳴を上げた。
見るとスキンヘッドにタオルを巻いたおじさんが、活きのいい笑顔を向けている。
「え? ラーメン屋じゃ、ないですよね?」
「はい。店内を見る限りは」
不安げにヒソヒソと話す陽介に、私は店内を見渡して答える。
大きめの椅子に、目の前の鏡とシャワー台。確かに理髪店で間違いなさそうだ。
「ご予約の方ですね!」
「あ、はい。川崎です」
「では、こちらにお掛けくださいな。あ、お連れさんはこっちにどうぞー。おい太郎! 早くしねぇーか」
主人は私たちを案内すると、奥に向かって誰かを呼ぶ。
すると、控えめな態度の若い青年がひょっこりと顔を出す。
「い、いらっしゃいませ。僕が担当させて頂きまひゅっ……すみません」
「あ……お願いします」
主人とは対照的に、その太郎という青年は小さな声で挨拶を噛んだ。
ふと鏡に写る陽介の顔を見ると、何かを諦めたような、安らかな笑顔を浮かべている。
「全くお前は、声がちいせぇーんだよ。もっと腹から声出せっていつも言ってるだろ!」
「ご、ごめん父ちゃん」
「すみませんねぇ、こいつ接客がまるでダメで。あ、腕はそこそこなんで安心してくださいよ?」
「はい……(そこそこか)」
主人は太郎さんを厳しくも見守るように、後ろで腕組みをして立っていた。
「きょ、今日はどんな感じに?」
「えっと、今度面接があるので、とりあえず短くさっぱりと」
「面接が……わかりました。では、爽やかに、清潔感が出るようにしましょうか」
「お願いします」
太郎さんはその後、丁寧な動きでカットを始める。
確かに会話は無いけれど、技術はあるみたい。
諦めていたような陽介の顔も、段々明るくなってきた気がする。
私も安心して、本棚の漫画に手を伸ばす。
(何か、昭和のお店って感じ……あ、この漫画懐かしいかも)
つい懐かしくて読みふけっていると、ドライヤーの音がして顔を上げる。
どうやらもうすぐ出来上がりらしい。
あのモサモサ髪が見られなくなるのはちょっと寂しいけれど、どんな風に変身するのか楽しみだ。
私は漫画をしまって、そわそわと出来上がりを待つ。
「ふぅ、お疲れさまでした」
「おぉ……ありがとうございます! 凄い、いい感じですよ!」
「ふふ、良かったです」
カットを終えて、陽介は満面の笑みで振り返る。
「奈美子さん! どうですか?」
彼の姿を見て、私はしばらく目を丸くしたまま固まっていた。
「あ、あれ? 奈美子さーん?」
「はっ……すみません! 凄く、いい感じです」
「へへ、よかった」
陽介は恥ずかしそうに、頬をポリポリと掻く。
長かった前髪は、優しげな目元がしっかりと見えるくらい短く。
全体的に短くさっぱりと軽く、ところどころ癖毛はあるけれど、それも雰囲気が出ていい感じだ。
別人のような彼の姿に、思わず頬がカッと熱を持ってくる。
「太郎! いいじゃねーか!」
「あ、ありがと、父ちゃん」
主人は嬉しそうに太郎さんの背中をバシバシと強く叩く。
太郎さん、めっちゃ揺れてるけど嬉しそう。
「あの、また来てもいいですか?」
「え!? も、もちろんです……でも、次は通常料金になりますが」
「あ……頑張ります」
陽介は500円玉を渡して、少しひきつった顔で笑っていた。
――――
日が落ちる前、私たちは電車でアパートに帰ることに。
電車に揺られて少しウトウトしてると、陽介の優しい声がする。
「着いたら起こしますから、寝てていいですよ」
隣から見上げると、目を細めて微笑む彼の表情がよく見える。
私は無意識に、彼の短くなった前髪に触れた。
「な、奈美子さん?」
「目、よく見えるようになった……面接も、きっと上手く行きますよ」
「……はい」
陽介の目は少し潤んで赤い。
いつも明るくて、優しくて……すぐに誰かのために涙する。
やっぱり私は、そんな彼のことが好き。大好きだ。
「これ、私からのプレゼントです」
「えっ、これ……」
バッグから出したネクタイの箱を陽介に渡すと、彼はひどく驚いたように目を見開く。
「開けてみていいですよ」
声をかけると、陽介はゆっくりと箱を開ける。
「あっ、ネクタイだ!」
「就職祝いです。キャラ物だから、面接にはどうかわかりませんが」
「そんなっ、めっちゃ嬉しいです! でも俺……奈美子さんには迷惑ばっかかけてるのに、こんな」
陽介は喜び、泣き出しそうに顔を歪める。
「いいんですよ……これは、私の気持ち」
「……奈美子さんの?」
「うん。川崎さん……大好きですよ」
「えっ」
ポカポカしたシートが、更に眠気を誘ってくる。
気持ちを伝えた達成感からか、私は大きなあくびを溢して、安心して目を閉じた。
「ちょっと……え、寝るんですか!?」
遠くの方に陽介の情けない声が聞こえる。
それが面白くて、私はすっかり夢の中で笑っていた。




