11話 彼女と対等に
「陽ちゃん、なんか今日ため息ばっかりじゃない?」
「ふぇ? そうですかぁ?」
休憩中、先輩の山田さんに声をかけられ思わず間抜けな声が出た。
ちなみに、いつの間にか山田さんは俺の事を陽ちゃんと呼んでいる。
「そうよぉ。ボケーっと口開けて……私が女子トイレ掃除してる間、ずっと同じ格好で便座擦ってたし」
「す、すみません」
「まぁ、いつも丁寧だしたまには良いけどさ。何かあったら、いつでも相談に乗るわよ?」
山田さんは特に怒るわけでもなく、明るく笑っている。
俺は何となく、お母さんがいたらこんな感じなのかもと、ぼんやりと考えた。
「……ごめんなさい。午後はしっかりやります」
「うん、頑張んなよー」
いつまでも気にしていても仕方無い。
仕事に支障が無いように頑張らなければ。
――――
休憩後。
自販機のゴミの回収に回っていると、ちょうど1人の男性社員が缶コーヒーを開けていた。
「お疲れさまです」
「あぁ、お疲れさん」
声を掛けて作業をしていると、なぜか視線を感じる。
チラリと見ると、その社員は俺の方を見定めるように観察していた。
何となく気まずさを感じて、あえて気にしないようにゴミ袋を縛る。
「うーん……君さ、若いよね?」
「え? あ、まぁ……23、ですが」
「俺の4個下か! 何で掃除のバイトしてんの?」
「えっと……なかなか、仕事が見つからなくて」
突然グイグイと話しかけられて、気付くと自販機を背に追い詰められていた。
「今まで仕事は?」
「こ、高卒で働いてたんですけど、リストラにあって……」
「はは〜ん」
「え?」
社員は意味ありげな笑みを浮かべ、ゴソゴソとポケットから名刺を取り出す。
「俺、田村誠。営業部で働いてるんだ」
「はぁ……あ、俺は川崎陽介って言います」
名刺をくれた意図はわからなかったけれど、とりあえず自分も名前を名乗った。
「川崎くんね……実はさ、今人手が足りなくて募集中なんだよ。君みたいに若くて体力ありそうな子なら、営業にも向いてると思うよー」
「えっ、それって、採用してくれるって事ですか!?」
願ってもない事に思わず身を乗り出してしまう。
「それは上が判断するから何とも……けど、チャンスはあるよ? 気が向いたら、名刺の裏のアドレスに連絡してよ。俺から人事部の知り合いに言っといたげる」
高鳴る胸を押さえ、もう一度名刺を見て俺はふと疑問に思う。
「凄く嬉しいですけど……どうしてそこまで」
すると、田村さんは肩を竦めて笑う。
「今の営業部、歳上ばっかなんだよ。話の合う年頃の後輩がいたらいいなーって。それだけ」
そう言うと、田村さんは軽く手を振り背を向ける。
「じゃ、そろそろ仕事に戻るわ」
俺はその背中を、慌てて呼び止める。
「あの! 返事は、今しても良いんですか?」
田村さんは目を丸くして振り返り、ニヤリと笑う。
「……ふふ、返事が早くていいね。話、上に通しとく。折り返し連絡するから、後でメールちょうだい」
「はい! ありがとうございます!」
俺は頭が膝に付きそうなくらい、深く頭を下げた。
やっと、ちゃんとした仕事に就ける。
面接を受けないことには、どうなるかわからないけれど。
心臓は勝手に高鳴り、手が震えてくる。
「やっと……奈美子さんに恩返しが出来る」
早く自立して、これまでお世話になった分を返したい。
それで、ひとりの男として引け目なく、奈美子さんに向き合うんだ。
「って、あの様子だと……嫌われている可能性も、大いにあるわけだけど」
高揚していた気分は、朝の奈美子さんの様子を思い出してまたシュンとしぼんでしまった。
――――
奈美子さんがいない部屋は、いつも寂しい。
2人の時はテレビの音や会話が出来るから、こんな気持ちにはならない。
居候の身で、好き勝手に部屋を使うほど図太くはないし。
いつも明日の料理の献立を考えて作り置きを作ったり、掃除をしたり。
それが終わったら、ただ部屋で考え事をして過ごす。
大抵、俺の頭の中は奈美子さんの事でいっぱいだけど。
いつもは胸が温かくなるようなひと時も、今日は憂鬱で、つい暗い思考に走ってしまう。
「会えるのは……明日の夜か」
長いな。けれど、どんな顔をして話せばいいんだろう。
でも、面接の話をしたら、きっと奈美子さんも喜んでくれるはず。
「そうだ、メールしなきゃ」
エコバックに入ったままだった田村さんの名刺を探し、俺は慌ててメールを送った。
ようやく開けた道に、胸を弾ませて。
――――
翌日の休憩中、早速田村さんからメールがあった。
『面接の件だけど、OKだよ。
川崎くんのバイトも、ちょうど今月で終わりらしいね。
都合が良かったら、来週の金曜日はどうかな?
いい返事を期待してるよ』
「何々? 今日は嬉しそうな顔して」
「山田さん……実は」
俺は早速、山田さんにも面接のことを打ち明けた。
「えぇ!? 良かったじゃない! こんな事そうそうあるもんじゃないよ!」
「本当に、今でも信じられません。けど、まだ決まったわけじゃないし、取り敢えず面接を頑張らないと」
「そうだね……あぁ、寂しくなるわぁ。って、もともと短期だったわね」
「あはは、そうですね」
山田さんは自分の事みたいに喜んでくれて、少し寂しそうに笑っている。
本当に、初めて会った気がしないくらい話しやすくて、優しい人だ。
「あ、もし面接が上手く行ったら、ここでまた会えますよね?」
「そうね! その時は、また息子の愚痴でも聞いてもらうわよ」
「はい!」
また明るい笑顔に戻った山田さんに安心して、俺は田村さんに返事を送った。
その時、奈美子さんからのチャットが来ていることに気付いて、ドキリと心臓が脈打つ。
(な、何だろう……もしかして、言いにくい事をチャットで)
息を飲んでメッセージを開くと、想像とは違った内容に力が抜けた。
『仕事お疲れさまです。
歩実とご飯を食べて帰ります。
たぶん、遅くならないと思いますけど』
「はぁ……良かったぁ」
ヘナヘナと机に項垂れていると、山田さんの呆れた声が飛ぶ。
「何だい? 喜んだりため息吐いたり……忙しい子だね」
◇
「ふぅ……いつも通りに」
玄関前で数回深呼吸を繰り返して、俺はようやくドアノブに手を掛ける。
「……ただいま」
部屋の中から返事は無く、テレビの音だけが微かに響く。
奈美子さん、まだ寝ているのかな?
物音をさせないようにそっとリビングに行くと、奈美子さんはまだソファーで眠っていた。
「疲れてるんだな……」
あどけなく眠る顔を覗き込むと、小さな呻き声と共に奈美子さんが瞼を上げる。
「あ、ごめんなさいっ……起こしちゃって」
「……いえ、おかえりなさい」
さっと身を引いた俺に、奈美子さんはふと目を伏せた。
「あの……ご飯作りますね」
「あ、はい」
まだぼんやりしている奈美子さんを置いて、俺はキッチンに逃げ込んだ。
変な態度を取りたくないのに、奈美子さんの顔を見たら、どうしても気まずくなってしまう。
無心になるように野菜を刻んでいると、不意に奈美子さんが声を掛ける。
「今日は、ごめんなさい」
「え?」
「作り置きしてくれてたのに、食べれなくて」
「あ、あぁ……そんなの、全然大丈夫ですよ! それより、ラーメン美味しかったですか?」
「ふふ、はい。久しぶりだし夜勤明けだしで、めちゃくちゃ美味しかったです」
奈美子さんはふわっと微笑んだ。
なんだか、久しぶりに笑顔を見れた気がする。
そうだ……今なら、自然に話せるかも。
「あの」
「あ、あの……」
ほぼ同時に口を開いた俺たちは顔を見合わせ、お互いに気まずく笑う。
「ど、どうぞ……」
「いえ、川崎さんから」
譲合いが終わりそうにないので、俺から話を切り出す。
「き、昨日、会社の社員さんとたまたま話す機会があって、営業部の人材を探してるってことで、面接を受けさせてもらえることになったんですよ」
手を止めてから話すと、奈美子さんは大きな声を上げて驚いた。
「えぇ!? それって、就職が決まったってことですか?」
嬉しそうな声色に、俺もつい心が踊る。
「まだ、受けてみないことにはどうなるか。でもまたとないチャンスで、自分でもビックリしてます」
「川崎さんの人柄なら、絶対に大丈夫ですよ……あ、でも」
奈美子さんは話の途中、俺の姿をじっと見つめる。
「そのモサモサ髪は、どうにかした方がいいですね」
「あっ……ははは、確かに」
目を通り越すくらいの自分の前髪を触り、思わず乾いた笑いが漏れた。
面接で第一印象はかなり大事だ。それに、服はもうスウェットしかないし、安いスーツを買いに行かないとな。
「川崎さん、明日休みですよね? スーツも買わないとだし、一緒に出掛けません?」
「えっ、いいんですか? いや、もちろん自分で買いますけど、その……付いてきてもらって」
「いいに決まってますよ。それにスーツ姿、見てみたいですし」
奈美子さんはそう言って、悪戯っぽく笑う。
「あ、馬子にも衣装って笑う気でしょ?」
「えー? 私、そんなに性格悪くないですよ?」
それから、俺と奈美子さんは意味もなく笑い合った。
何でもない事でも、奈美子さんとなら凄く楽しい。
いつもの空気感が戻って、俺はホッと安堵した。
(そういえば……奈美子さんは何を言おうとしたんだろう)
ふと頭に浮かんだけれど、それからも奈美子さんから何も話は無かった。




