10話 彼への気持ち
「……ねぇ、どうしたの?」
「な、何が」
夜勤の引き継ぎが終わった後、歩実は私の顔をじっと覗き込む。
「何がって……あんた今日、ボーッとしてるよ? ちゃんと申し送り聞いてたの?」
「……大丈夫よ。別に、何でもないし」
「ふーん。ま、いいけど……ボケッとしてインシデント作るんじゃないわよ」
小さくため息をついて、歩実は私の肩を叩いて仕事に戻った。
そんなに顔に出ていたのかと、思わず自分の頬を触る。
本当に何かあった訳じゃない。ただ昔話を聞いてもらって、それで……
――『いつも優しくて、仕事だって頑張ってる……俺、そんな奈美子さんが好きです』
順を追うように昨晩の事を思い出すと、無意識に頬が熱を持ってくる。
(もう……なんで急に、あんな事言うのよ)
今まで男として見ないようにしていたのに。
あんな風に言われたら、意識しない方が無理がある。
別に答えを求められた訳じゃない。
彼もいつもと変わらない様子だった。でも……
(帰ったら、どんな顔すればいいんだろ)
忘れそうだった感情に混乱し、私の心はいつまでも落ち着かなかった。
ボーッとしていたら、ナースコールの音で現実に引き戻される。
「あ、私行ってきます!」
とりあえず、今は仕事に集中しなきゃ。
歩実にインシデントの心配されるなんて、相当だな。
◇
「はぁ……なんとか終わった」
結局1時間残業するはめになったが、急変を起こさず夜勤は終わった。
ふらふらと病院を出ると、突然スマホの着信音がなる。
鞄の底のスマホを取り出して見ると、歩実からの電話だった。
「お疲れー、仕事終わった?」
「うん、今帰りだけど……何か用?」
「げ、今終わったの!? もう昼前じゃん……ねぇ、今からラーメン行かない? 駅前の豚骨」
「と、豚骨……いいけど。歩実、休みでしょ? こんな時間からラーメンなんて珍しいね」
「ちょっとね。じゃあ、後で店の前で!」
突然の電話はあっという間に切れて、私は回らない頭でポカンと口を開けて固まった。
でも、すっかり頭の中は豚骨ラーメンに支配されている。
(ヤバい……久しぶりだからめっちゃ楽しみ)
陽介と住むまでは、1人でよくラーメン屋に出掛けていた。
体に良くないと知りつつ、夜勤明けの暴食は中毒性があるの。
けれど最近は陽介が食事を用意しているので、すっかり健康的な生活に戻っていたわけだ。
「もう仕事だろうけど、一応連絡しとこ」
いつも作り置きを冷蔵庫に入れてくれているから、私は陽介にメッセージを送った。
悪いとは思うが、もう豚骨の口になっているから仕方無い。
――――
「お、きたきた」
「おはよう……何? 今日暇なの?」
「ぐ、ストレートに聞くわね。まぁ、暇なんだけど……とりあえず入ろ」
「うん」
歩実とはよく出掛けるけれど、こんな当日に呼び出されることは珍しい。
よっぽどやることが無かったのか、ぼんやりとそんな事を思いながら、食券を買って席に着いた。
「……うん! 味が濃くて最高ー!」
「あは、いつ見ても旨そうに啜るよね」
「だって、久しぶりなんだもん」
歩実は面白そうに私の顔を見て笑う。
そしてあっという間に食べ終えた頃、歩実は笑顔のまま話を切り出した。
「奈美子、川崎さんと何かあったの?」
「えっ……な、何かって」
突然図星を突かれ、私はあからさまに動揺して言葉に詰まる。
そんな私をからかうように、歩実はニヤニヤと笑みを浮かべる。
「ほんと、わかりやすいよね。で、どうなの? もしかして、告白でもされちゃった!?」
「ぶっ」
「あらら……当たり?」
見てきたかのように歩実は次々言い当てる。
落ち着くために飲んだお冷やも、呆気なく口から吹き出してしまった。
「ゴホッ……なんで、そんなことわかるの?」
「え? 顔に書いてあるから。さて、詳しく教えてくれるよね?」
歩実はしれっと言ってのけ、すっかり話を聞く体制に入っている。
歩実がこうなったら、もう話を聞くまで帰らせてもらえない。
私は早々に諦めて、事の経緯を打ち明ける。
「実は……」
話終わって顔を上げると、歩実は両手で口元を覆いキラキラと目を輝かせていた。
「……やだぁ! あの子結構度胸あるんだー!」
「ちょっと、声がでかい!」
「ごめんっ! でも意外でさ……川崎さん大人しそうだし、そういうの言わないのかなって思って」
疲れてため息をつき、ふとある疑問が沸いてくる。
「言わないって……川崎さんの気持ちは気付いてたの?」
「え? あんた気付いてなかったの?」
当たり前のように言われ、私は自分の鈍感さが恥ずかしくなった。
「そ、そんな……気付かないよ! だいたい自分が、その……好意を持たれてるなんて。自意識過剰、っていうか」
「はぁ……あんたはそうだよねぇ」
「な、なによそれ」
呆れた顔で見てくる歩実に、私は思わずムッとしてしまう。
「若い男女が一緒に暮らしてるのよ? しかも、行き倒れの自分の助けてくれた恩人。特別な想いが芽生えても不思議じゃないわ。いやむしろ、そうならない方が不思議なくらい」
「別に……そんなつもりで助けたわけじゃ」
「ふふ、わかってるって。でも、お弁当作ったり、毎日ご飯作ったり家事をしたり……好意が無かったら、続けられるもんじゃなくない?」
「それは……」
ただ、あの人は優しいから。
そんな特別な感情があるなんて思わない。
いや、そもそも好きって、その……女として、なの?
別にそういう意味じゃないのかもしれないし。
「……それで、奈美子はどう思ってるの?」
歩実に優しく詰められ、私は答えられなかった。
「私は……昨日も、何も聞かれなかったし」
「そっか。じゃ、私誘っちゃおっかなー、川崎さんのこと」
「え?」
歩実の言葉に、急に胸がヒヤリと空くような感覚に襲われる。
言い様のない不安と寂しさに、何も言い返すことが出来ない。
黙っていると、歩実は急に吹き出して笑い出す。
「ぷぷっ、冗談! そんな顔して……もう答えはわかりきってるじゃない」
「歩実……」
歩実は肘をついて悪戯に笑う。
そして、フッと寂しそうな顔で呟く。
「いつか伝えようって思っても、先の事はどうなるかわからない……あんたは、特にそれをよく知ってるんでしょ?」
「……うん」
健の事を思い浮かべて、私は静かに頷いた。
歩実は優しく微笑むと、ガタッと立ち上がる。
「じゃあ、帰りますか。夜勤明けだし、早く帰ってゆっくり休みな」
「うん……あ、歩実」
「ん?」
「ありがと……話、聞いてくれて」
照れ臭いけれど小さな声で伝えると、歩実は一瞬目を丸くしてニヤリと笑う。
「早いうちにちゃんと言いなさいよ? じゃないと彼、どっか行っちゃうかもしれないから」
「が、頑張るよ」
歩実に背中をバシッと叩かれ、ふらついて前に倒れそうになる。
けれど、彼女なりに心配してくれたんだろう。
少し肌寒い秋風は、逆上せそうな頭を冷静に冷やしてくれているよう。
帰り道、私は自分の気持ちを改めて考えた。
歩実に言われた通り、もう彼は私にとって特別な存在。
あとはそれを、それを正直に伝えるだけ。
「よし! 早くシャワー浴びて、一眠りしよう」
明るい空を見上げて、私は笑顔で呟いた。




