Act.7 ヴェネツィアへ花嫁衣装を強盗に・1
シャヴィが、エアロック(気密隔室)へ飛び込むと同時だった。
宇宙艦ラ・ベデュータのペイロード・ゲート(搬出入口)、そのバイフォルディング・ドア(二枚折れ扉)が静かに閉じ切った。
“行き先は、グガランナ、とか言ってたな・・・”
シャヴィはゼロ・グラビティ(無重力環境)の中、プレゼンス(人感)・センサーで点く照明を頼りにエアロック(気密隔室)を抜け、隣接するエクイップメント・ロッカー(装備保管庫)へ入り込んだ。
トラニオウ・プルンチットの専用宇宙艦と思われるこのラ・ベデュータは、100メートル級のこじんまりした艦体に外洋航行用のグラヴィトン・パータベーション・スプラッシュ・ドライブ(重力子摂動跳撥航行)機関を艤装しているためか、ペイロード(積載区画)自体は大きくない。奥行き20メートル、幅10メートル、高さは10メートルあるが、積載物は小さなコンテナ(規格貨物容庫)が1つ置かれているだけで、伽藍としていた。奥手の方がロフトのような2層になっていて、エアロック(気密隔室)はその上層にある。
エクイップメント・ロッカー(装備保管庫)から、通称スワドルと呼ばれるインジャード・エンクロージャ(搬送用気密与圧包袋)を引っ張り出しながら、シャヴィが考えを巡らせる。
トラニオウとか言う奴は、コンスタンツェには1時間ほどだと言っていた。
通常の内洋航行主機の加速で1時間程度なら、大した距離を移動できない。
戦闘機動でもないかぎり、内洋航行で1加速ガルを超えるとは思えなからだ。何しろ、王女と艦隊司令が乗艦しているのだ、無茶な加速は行わない筈だ。
“──だとしたら、スプラッシュ・ドライブ(跳撥航行)で、スナップアップする積もりだな・・・”
スワドル(搬送用気密与圧包袋)を抱えたシャヴィが、脇にある器材室へと潜り込む。
ガルビオンとか言う母艦から離艦すれば、このペイロード(積載区画)は一気に冷え込む。標準大気はそのまま維持されるかも知れないが、単なる荷物室の室温が維持されるとは思えない。1時間ほどなら耐えられるかも知れないが、グガランナとか言う移動衛星に到着しても、周囲は宙空間の可能性が大きい。
シャヴィは宙に浮きながら、畳まれていたスワドル(搬送用気密与圧包袋)を伸展させた。更に生命維持装置を作動させ、足から体を突っ込む。中に入った状態だと二重ファスナは閉め切れないが、それでも袋内には保温機能が充分に効くため、室温が下がっても凍えるところまでは味わわずに済む。
耳に挿したインカム(艦内通話機)のイヤフォン(聴声器)から、クーガの聴音器が拾った、此方です、と言う聞きなれない女性の声がした。どうやらコンスタンツェが、この艦の一室に案内されたようだ。恐らくは、トラニオウ専用のキャビン(個室)だ。
だが、コンスタンツェからの返事はない。
暫く聞き耳を立てていたが、コンスタンツェからの声は一言も聞こえない。気配から、クーガの直ぐ傍に居るのは間違いないが、マデルーク王女からは口を利く様子も感じられない。
“──スタンツィ・・・”
シャヴィはパンツのポケットに折り畳んであった紙片を摘み出すと、そっと広げた。
ホワットエヴァ・エニウェア(何があっても何処までも)──柔らかいが力強い、リフィルインク・ペンの直筆。敵中に在りながら独り静かな分、その決意の固さがシャヴィにも犇々(ひしひし)と伝わって来る。
不意に、小さな振動が艦体を揺すぶる。
コンスタンツェからの返事を、慌ててポケットに仕舞い直すシャヴィが、軽い加速ガルを感じた。
恐らくはこの宇宙艦ラ・ベデュータが、母艦ガルビオンから離艦したのだ。更に転針するような加速ガルが伝わって来て、内洋航行用エンジンの唸りが耳朶を打つ。暫く1加速ガル以下の慣性モーメントを感じていたが、20分もすると加速が止んだ。ラ・ベデュータがガルビオンから距離を取ったに違いない。
少し間があって、果たしてシャヴィの予想通り、外洋航行用主機であるグラヴィトン・パータベーション・スプラッシュ・ドライブ(重力子摂動跳撥航行)エンジン独特の稼動音が高まって、周囲全体を包み込み始める。程なくスプラッシュ・ドライブ(跳撥航行)の、あの鳥肌が立つような浮遊感に包まれたが、直ぐさま全身を撫で回されるような感覚を伴いながら元に戻った。
ラ・ベデュータがスプラッシュ・ドライブ(跳撥航行)を終え、スナップダウンしたのだ。艦内時間にして数秒だったので、極近傍へのドライブ(航行)だと思われる。このスプラッシュ・ドライブ(跳撥航行)が数十分続くロング・ディスタンス(長距離航行)の場合、慣れない者にとって酷い時には半日ぐらい寝込む場合もある。
ぐん、と小さく艦体が震えて、今度は内洋航行用主機であるフェルミオン・対消滅エンジンの上げる唸りが伝わって来て、軽い加速ガルが伸し掛かる。
恐らくは数百宇宙カイリか飛んで、グガランナとか言う移動基地へのドッキング(着埠)のためのシフト(予定進航路)にオンレーンしたのだろう。コンスタンツェが引き出してくれた情報から逆算すると、あと2、30分もすればドッキング(着埠)だ。
不意に、深く長い吐息の気配が、シャヴィの耳を擽る。
「──スプラッシュ・ドライブ(跳撥航行)とやら、何度か経験はあるものの、未だに慣れぬな・・・」
コンスタンツェの、少しばかり気息困憊の声が聞こえて来た。
「クーガ、其方は何ともないのか・・・?」思わず欹てるシャヴィの耳に、くすっと嗤ったようなコンスタンツェの小さな声が漏れ伝わる。「──マイ・ロード(我が殿)にとっては、これしき日常茶飯事なのであろうな」
シャヴィは無意識に安堵の息を吐いた。コンスタンツェがちゃんと乗っているとは判っていても、実際に声を聞けるとほっとする。
「クーガ」コンスタンツェが一つ、息を整えるように深呼吸した。「マイ・ロード(我が殿)には、某の声もまだ届いておるのか?」
間髪入れず、クーガが高らかにワオンと哮えて返した。
「そうか・・・」一呼吸置いて立ち上がったコンスタンツェが、クーガの前を横切ったような気配がした。「なら、こんな無様な様を聞かせられぬな」
少し間が空いて、水の流れ出る音が立ち、コンスタンツェが軽く顔を濡らす気配が感じられた。100メートル級の小型艦とは言え、総司令の立場にある人物のキャビン(個室)には、個別の水周りがちゃんと設えられているらしい。
「──そんな顔で見るでない、クーガ」
顔をタオルで拭う気配に、コンスタンツェのばつ悪そうな声音が漏れ伝わる。クーガがクゥンと鼻を鳴らして応え、コンスタンツェが近くにあるであろうソファかベッドに腰を落とす音がした。
どのくらい間が空いただろうか。コンスタンツェからの声が途切れ、身動ぐ気配も伝わって来ず、少しばかり長い静謐の時が、重苦しく流れて行く。
「──マイ・ロード(我が殿)、シャヴィ」
不意に、気を一新させたかのような、畏まった声音がシャヴィの耳朶を打つ。
「このコンスタンツェ・ユイット・セーズ・エルドラド、改めて申しておきたい事があります」
語り掛けて来るようなコンスタンツェの言葉に、シャヴィが耳を澄ます。
「この先、どのような帰趨を迎えようとも、このコンスタンツェ、生命を賭す事に怖れはありません」そのコンスタンツェの声音は言葉同様、確固たる思いの丈を、身を切るほどにシャヴィに感じさせた。「某、家柄ばかりが高邁なだけで、その実、取るに足りない身の程しか持たぬ身。シャヴィに此処まで手を添えて頂けるだけの、佳処も価値もあるとは、到底思えませぬ」
コンスタンツェ──言葉にならない声で、シャヴィの口元が動く。
「──なのにシャヴィ、貴方は、何の対価も求められず、ただ黙って某に、一時とは言え自由を、その自由に飛び立てる翼を授けて下さろうとした事、何時までも何処までも感謝しています」
一呼吸間を置いたコンスタンツェが、淀みなくはっきりと言い切る。
「ですから、この先、何時生涯を閉じようと、微塵も後悔はありませぬ」
「──スタンツィ・・・」
飾り気のない、素直で優しいコンスタンツェの口調に、思わずその名を口端にしたシャヴィは、余計にその決意の固さを思い知る。
「──ですが・・・!」
小さく言葉を切ったコンスタンツェが、縋るように言葉を継ぐ。
「ですが、出来る事ならば──」
大きく息を吸い込んだコンスタンツェが、一気に口を開いた。
「許されるなら今一度、マイ・ロード(我が殿)、貴方のお顔が見たい・・・! 貴方の声を耳にしたい! 貴方の手の中で、貴方に頂いた翼を広げてみたい! 屠所の羊のようなこの身なれど、何処へでも行けると確かめたい! 貴方と一緒に、飛び立ちたってみたい・・・!」
震える声に、言葉が詰まる。それはコンスタンツェには似付かわしくない、余りに感情的で直情的な、心からの声だった。
「──スタンツィ・・・ッ!」
シャヴィは、今度ははっきりと、その名を呼び掛けていた。
「──済みませぬ、シャヴィ」独り言ちるコンスタンツェの声は、まだ少しばかり震えていた。「曲がりなりにもエルドラドの名を頂く者として、女々しくも涕泣してしまいました」
“──何故だろう・・・”
唯単に、彼女が寝ていたポッド(極低温身体維持装置)を、偶然開いただけだ。知り合ってから、まだ1日と経っていない。王女の出自と言われても、何も知らないのに等しい。なのに彼女を、コンスタンツェを、自由に生きる、生きられる世界へと、不遜ながら解き放ってやりたいと、そう思ってしまうのは。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




