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Act.5 何があっても何処までも・6

コンスタンツェの、クーガを見詰め返す翡翠(ひすい)色の瞳に、折り畳まれた小さな紙切れが映る。


表書きは何かの覚え書きのようだが、コンスタンツェの頭には全く意味を成さない言葉の羅列だった。それでもクーガが、見てくれ、と言いたげに僅かに首を(もた)げ直す。コンスタンツェは無気力な手を伸ばし、紙片を取り上げた。


(いぶか)りながらも、コンスタンツェが畳まれた紙片を開いた途端。


書かれていた、黒いキャピラリーチップ・インクペンの一文が目に飛び込む。


“テイク・アウェイ(連れ出そうか)?”


──紙片には、そう走り書きされていた。コンスタンツェが、信じられないと言った風情で、目を(みは)ってクーガを凝視した。クーガが、その通りだと言わんばかりに、ワォンと小さく一吼えする。


“シャヴィ、マイ・ロード(我が殿)・・・ッ!”


胸の鼓動が高鳴る。コンスタンツェは、今にも小躍りしそうになった。


──生きていた! シャヴィが生きている! しかも直ぐ傍に居る・・・ッ!


そう確信するだけで、こうも勇気付けられるとは・・・! シャヴィ、その名を口にするだけで、涙が溢れそうになる。


シャヴィがこの(ふね)にどうやって侵入出来たのかは、コンスタンツェにも判らない。何処に居るのかも、勿論分らない。だがシャヴィが、この(ふね)に居る事に、疑う余地は無い。


クーガが隙を突いて出て行ったのは、確かに見ていた。だが放心していた所為(せい)か、戻って来たのにはまるで気が付かなかった。


クーガが出て行ったのは、シャヴィが呼び寄せたからに違いない。どうやって呼び寄せたのかは不明だが、シャヴィはちゃんと(おの)が此処に居る事を知っていて、その上でこの一文をクーガに託したに違いない。


コンスタンツェの思いは、不動の信頼と強い希望へと変わった。


急いで返信せねばならない。コンスタンツェはシャヴィからのメッセージ紙片を、丁寧に折ると、シャヴィから借り受けたシャンブレーシャツの胸ポケットにそっと仕舞い込み、辺りを見渡した。


医療ワゴンに載っていた、フィジカル・データの経時報告を書き記すペーパー・カルテのバインダーを取り上げる。最後の一枚の下端を破り千切ると、裏にリフィルインク・ペンで書き殴った。


──何時(いつ)からだろうか。


自由の翼を欲しい、と思い始めたのは。


シャヴィを見て触れて、触れられて、あれほどに自由を感じられたのは初めてだった。眩しい程に、シャヴィは活き活きしている。大きな翼を持っている。


シャヴィの持っている翼に憧れる。羨ましいとさえ思う。僅かな嫉妬さえ感じている。


──怖いな、とか、不安だな、とか思わないのか? 感じないのか?


シャヴィはそう問うて来た。信じたいからこそ信じるのだ、と心が申しておる──思わず口を()いた言葉だが、決して誤魔化しの出任せではない。


──シャヴィが怖じ気づいておらぬのだから、何を心配する必要がある?


そう思えたのは、シャヴィの強い生き様を間近に無意識に感じたからかも知れない。


シャヴィが居なければ、シャヴィと出会えていなければ──シャヴィ自身は、如何なる(てら)いも如何なる気負いも、無駄に抱えて生きてはいないだろう。いや、気に掛けた事すら無いに違いない。


だからこそ、改めて思い知らされる。それこそが、王女という籠の鳥が無知に望む、だが今のままでは手に入らない、ともすると籠の鳥が永遠に渇望する(おの)が夢、なのだろう。現世(うつしよ)(あらが)う術も気概もなく、それが人生と言うものなのだ、と。心の中で、()うに諦めている自分に気付かぬまま。


だがシャヴィは、自分は何の疑いもなく知らぬうちに諦めていただけなのだ、と改めて自分に気付かせてくれた。そんなシャヴィに、改めて返答を返す──他愛もない事なのに、こんなに心躍せた経験など、今までに一度たりとも無かった。


──だからこそ、今・・・!


“今こそ、シャヴィ・ストラトスに付いていかなければならない。その時なのだ”


それはコンスタンツェが、今、為さねば為らない事の唯一だった。


そして(したた)めた返事は──。


“ホワットエヴァ・エニウェア(何があっても何処までも)”


コンスタンツェにとって、人生最大の賭けに違いない。


シャヴィ・ストラトスと言う、代えがたい1人の男性は、コンスタンツェの今、全てを賭するに値する。何故ならば、シャヴィは危険も顧みず、確かにこの身を追って来てくれたのだから。


“──シャヴィは本当に応えてくれるだろうか、(それがし)の儚い想いに・・・”


これで叶わなければ、いっそ諦めが付くと言うもの。希望を深遠の渾天(あま)に深くに葬ってしまい、時に流されて生きていくだけ。辛いが簡単な事だ。


「──さあ、クーガ。この世で一番頼みとする殿方に、ちゃんと届けておくれ・・・!」


想いを込めて、コンスタンツェはクーガの頭を撫でると、お行き、と頬の辺りを優しく2度叩いた。


“どうぞ、見咎められないように・・・!”


コンスタンツェが、出て行くクーガを祈るような気持ちで見送る。


何かの目標を掴む事が、生きる全てでは無い、生きる事自体が目的なのだ──浅はかな考えかも知れない。王室への未練など元より持ち合わせていないし、エルドラドと言う家名に何の矜持も持ち合わせていない。唯一感じるとすれば、母ハーミアの血を引くチェンテナリオの、デジャーソリスの嫡流血筋だけだが、それとて(おの)が身にとっては何も特別なものではない。


殊更、治世が引っ繰り返った今となっては、王女の立場は勿論、デジャーソリスの血筋など政治的に利用される以外に価値は無い。けれど自分では何も出来ない、歩み出せない事への阻喪(そそう)感。


考えてみれば、ノールヘイムの居城マンスリアン城を離れたのも、危険だからでは無く、籠から出て飛び立てる千歳一隅のチャンスだったから、かも知れない。


“──シャヴィと一緒の今なら、きっとや自分の未来を自分で切り開ける・・・!”


他力本願なのは、重々承知だ。勝手で一方的な思い込みには違いない。


だがシャヴィが居なければ、そのための翼も持てないのだ。


クーガの後ろ姿が扉の向こうに消えても尚、コンスタンツェが見透かすようにじっと見詰めていると、不意に扉が開いた。


「──申し訳ありませんが、コンスタンツェ王女殿下」


まるで壁のように立ち塞がるトラニオウの姿があった。


(ふね)を移って頂きます」


慇懃無礼で威圧的な、トラニオウの態度だった。


「トラニオウ、どの面下げて、のこのこと・・・ッ!」


プルンチットの次兄を睨み上げるコンスタンツェは、今この場で、目の前のトラニオウを絞め殺したい気に駆られた。船に取り残されているシャヴィを救け出して欲しい、そのコンスタンツェの縋るような希求を、()も応諾したように返答しながら、事も無げに足蹴にした卑劣漢だ。


「いえ、殿下──」1歩2歩と室内に踏み込んで来たトラニオウが、表情も変えず至極真剣な顔付きを見せた。「どうぞ一時の浅いお気持ちで、マデルークの行く末に暗雲を(もたら)すのは、お避け下さい」


「──貴様、()くもぬけぬけと・・・!」


思わずコンスタンツェが、伸ばした左手で聖剣レプラコーンを掴むと立ち上がった。シャヴィからの報せが無かったら、問答無用にそのまま斬り付けていた。


「厚顔無恥、と言う言葉を聞いた事があるか・・・ッ?」


(たお)やかな肩を怒らせたコンスタンツェが、威嚇するように鯉口を切る。


「殿下、どうぞ気を荒げないで頂けますか・・・?」さすがのトラニオウも困惑頻(しき)りに、太い首をゆっくりと振った。「──これからマデルークを代表して、ウェスデンとの会談に臨んでいただかねばならぬ御身」


(それがし)が、何故(なにゆえ)、会談に立ち会わねばならぬ?」


コンスタンツェの、どこまでも突っ慳貪な言い草だった。


だが実は、シャヴィが生きている事を確信した今となっては、コンスタンツェの心の中には安堵感と共に(ひる)まない我意を、(しか)(いだ)いていた。シャヴィが生きている、と大声で叫びたくて仕方がない──そんな思いを微塵にも顔に出してしまえば、この艦内(なか)にシャヴィが居る事をトラニオウに悟られてしまう。飽く迄もシャヴィを見殺しにされて、恨みを抱いている風を装うコンスタンツェのはぐらかしだった。


“しかしこれでは、(いだ)く恋心を知られたくない、単なる世間知らずの小娘と同じだな──”


(もっと)も、初恋すら経験した事のないコンスタンツェなので、その思い付きも想像だ。ただ(おの)が自身も驚いているが、実は今までに経験した事がない程に、心の奥底で浮ついている。気を緩めると、間違いなく頬まで緩むほどだ。


“いや、世間知らずなのは、同じ、か”


そしてコンスタンツェは確信する。(おの)が、芯から単なる女子(おなご)であり、実はそうありたいと思っていた事を。


そんなコンスタンツェの思いを知ってか知らずか、トラニオウは見上げるばかりの大きな体を二つに折った。


「──不幸な事ではありましたが、プロスペロ王亡き今、マデルークを代表されるは、殿下のその御身」


(それがし)は、何処にも行かぬ。臨む必要もあるまい」翡翠(ひすい)の瞳をしたマデルーク王女が、トラニオウの言葉を鼻先で(あしら)った。「──メルヒオールが来ておるのであろうが」


「それは困りました」


「王室の事は、政治(まつりごと)など、好きにしろ、と伝えた筈」


鰾膠(にべ)もなく言葉を返すコンスタンツェだが、少しでも時間を稼ごうとしていた。クーガを送り出したものの、実際どの位でシャヴィの元へ戻れるか、見当が付かない。そのクーガのための時間を少しでも多く得るために、トラニオウの気を引き付けておきたかったのだ。




★Act.5 何があっても何処までも・6/次Act.5 何があっても何処までも・7

 written by サザン 初人(ういど) plot featuring アキ・ミッドフォレスト

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