Act.5 何があっても何処までも・5
この1200メートル級の巨大戦闘宇宙艦ガルビオンの艦内には、メディカル・ステーション(救護医療処置室)が3箇所ある。そうのうちウォード・アコモディション(士官専用乗居区画)の最上層端にあるステーション(救護医療室)が、コンスタンツェの運び込まれた将校用メディカル・ステーション(救護医療処置室)に違いない。デッキ(区画)番号は171で、此処から3階層上がった100メートルほど艦首側だ。
これから、ウェスデンのファラ王女と会う──コンスタンツェが対峙した折り、トラニオウとか言うプルンチット兄弟の1人が、そう言っていた。だとすれば千載一遇のチャンスだ。その前にンスタンツェを見つけ出せれば、ウェスデン王室側に直接庇護して貰える可能性が大きい。
“──先ずは、クーガを呼び寄せるか・・・”
コンスタンツェの居場所は、見当を付けた所に違いないとは思うが、傍に付き添っている筈のクーガに案内させる方が確実だ。
シャヴィは辺りを軽く見渡してから、首から下がるペンダントを摘み上げた。
ペンダントは小指より一回り細い小さな笛で、シャヴィは端を啣えると、静かに長めの息を吹き込む。息を吸い込む間を置いて、短い息を2度吹き込む。その度に、耳に聞こえない何かしらの音波が、空気を震わせる。
シャヴィが吹いたのは、クーガ用のハンドラー・ホイッスル(超音波指示笛)だ。
不可聴域高周波で鳴る笛で、超音波の犬笛と言った方が分りやすい。クーガの聴覚センサーは、人間の可聴領域より高周波の音を聞き分けられる。無論真空中では使えないが、音が伝播する媒体が存在すれば、標準大気組成環境下で1000メートル以上離れていても聞き取れる。具体的な指示は個別に、音の長短と回数のパターンを変えて割り当てて、それをクーガに記憶させてある。
更にシャヴィの着込むボディ・ブリーファー(下着)は、着用者のバイタル(生体活動状態)をモニターしていて、クーガへも自動送信されている。クーガは通信波が届く範囲において、ハンドラー(命令権者)たるシャヴィの状態をデータとして把握しており、コンスタンツェが船外に出ているシャヴィの事を問うた時に、クーガが答えられたのはその所為だ。
同時に、受信電波の強弱を比定する事で、クーガからもシャヴィの現在位置の方角と距離を推定可能で、モニターしているハンドラー(命令権者)のバイタル(生体活動状態)も、クーガから引き出す事が可能だ。
念のため、クーガを呼ぶ笛をもう一度吹いてから、コンソール(制御卓)のモニターを睨む。予め、遁走用の機材に目処を付けて置いた方が良いかも知れない。
このベイ(格納庫)に搭載されているタグトラクタ(空間曳機艇)などでは話にならないが、2艇ある小型ランチ(装載艇)ですらも宙空間作業用なので、推進出力は大きいが航行能力は皆無に等しい。
さすがに1200メートル級ともなるとランチ・デッキ(装載艇甲板)が、小さなものまで含めると全部で9箇所ある。片舷に各3箇所づつ両舷合わせて6箇所あるデッキ(甲板)には、汎用ランチ(装載艇)数艇に加え30メートル級のアクシデント・ランチ(救難装載艇)が2艇ずつ配備されている。ランチ(救難装載艇)はサバイバル(漂流生存)性も高く、収容された離船者用に飲料水とノンペリシャブルズ(保存食)が常備されている筈なので、抜け出すに当たっては手頃な機材だ。
ただそれより好都合そうなのが、中央船底部のランチ・デッキ(装載艇甲板)にある宇宙艇だった。100メートル級が1隻に70メートル級が2隻。恐らくは3隻とも士官用だろうが、100メートル級はランチ(装載艇)にしては大きすぎる。ひょっとすると、外洋航行が可能なグラヴィトン・パータベーション・スプラッシュ・ドライブ(重力子摂動跳撥主機)を艤装しているかも知れない。そうだとしたら逃げ切れる範囲も広がって、ウェスデン宙域から一気に他宙域にだって逃げ込む事も可能になる。
中央船底部にある件のランチ・デッキ(装載艇甲板)は数階層下だが、メイン・シャフト(艦内主幹通路)を通らずに、今、居るこのベイ(格納庫)から直接回り込めるサービス・コリドー(保守用通路)が通じている。
この巨大宇宙艦が、ヒイェラのトラニオウ・プルンチット麾下である限り、脱出した後は自力で追手を振り切る覚悟が要る。出来るだけ船足が速く、少なくとも内洋航行が充分に可能な能力を持っていなければ、ウェスデン首星である第3惑星クラウスにさえ辿り着けない。
──と其所まで考えを巡らせて、ふとシャヴィは気が付いた。
“ウェスデン宙域近傍とは言え、ウェスデン側の庇護を漫然と期待するのは、少々危険かも知れない──”
ウェスデン王室側が会談する相手は、ロダリーゴとか言うプルンチットの弟と、マデルークのメルヒオール王子だ。これは即ち、マデルークとヒイェラが揃って、国家連合として会談に臨むと言う事に他ならない。
当初の目論見通り、コンスタンツェがウェスデン王室を頼って逃げ込むのに成功しても、万が一にプルンチット率いるこのヒイェラ軍に攻め入られたら──。
それにメルヒオールと言うのは、コンスタンツェが毛嫌いしている異母弟の王子だが、事もあろうか其奴が、コンスタンツェに言い寄っているらしい。そうなれば本人の意志を斟酌されないまま、コンスタンツェがマデルークに連れ戻されるのは、火を見るより明らかだ。
“──それ以上の事態になれば、さすがに如何ともし難い・・・”
ウェスデンとヒイェラ、それにマデルークとの間に諍いが生じた所で、元よりシャヴィには関係がない。それに国家間の厄介な紛争に首を突っ込む酔狂など、シャヴィでなくとも願い下げだ。コンスタンツェがマデルークへ帰国させられて、目出度くも王室王妃に迎えられたとしても、しがないオッド・パーン(半端な宇宙船乗り)のシャヴィには、為す術がない。
そこまで思いを巡らせて、シャヴィは胸の裡に何故か、掬い上げた手の器から、大事なものが零れ落ちて行くような、妙な喪失感が込み上げて来るのを感じていた。シャヴィの脳裏に、ふと思い浮かぶ──何処までも人を射貫く、翡翠色の無垢の瞳。全ての穢れを吹き払ってしまうような、ウィステリア・シルバー(藤銀色)の流れる髪。
“──だがそうなれば、コンスタンツェ自身が決心しなければならない事で、そもそも俺なんかが口を挟める問題では、ない・・・”
このままの時勢ならば、事態がどう言う局面を迎えるかは、コンスタンツェ自身が良く分かっているに違いない。コンスタンツェは、螺子が盛大に抜けているものの、決して察しの悪い浅慮な愚姫ではない。しかも潔くも機微にも通じていて、シャヴィが目を丸くするほどの、毅然とした気高い行動力すら持っている。
“──そんなコンスタンツェだからこそ俺も、俺に出来得る事で応えてやるだけだ・・・!”
コンスタンツェに少しでも助力してやりたい、と言う思いが、不思議と気負いなく心中に湧き上がって来るのを、シャヴィは改めて感じていた。
“──何時からだろう・・・? こんな薄っぺらい英雄気取りの、陳腐な考えを抱くようになったのは・・・?”
そんな事、今更に問い直すまでも無い──シャヴィが思わず、くくっと自嘲の笑みを漏らした矢庭。
脇の扉を、ガリガリと引っ掻く音が立って、ワォンと小さな吼え声が届いた。
3人の清掃担当が入って来た口だが、センサー感知で開く扉ではないので、シャヴィが壁のボード(操作盤)のスイッチで開いてやる。直ぐ目の前で黒い大きな塊が、尻尾こそ振っていないものの、体躯を丸めて狛犬のように座っていた。
「──ちゃんと、傍を離れていなかっただろうな? スタンツィから」
クーガを招き入れると、シャヴィは扉を閉じた。
「お前、戦られたのは腹だったか・・・」
腰を落としながらシャヴィは、大きく割れているクーガ右横腹の、シリコン・カーバイド・ファイバー(炭化珪素繊維)製の黒い外殻をそっと撫でた。耐衝撃性では抜群の強靱さを誇るが、それが此処まで割られるとなると、相当な衝撃があった筈だ一時的とは言えシステムに支障を来すのは当然で、再起動が可能だった上に、運動機能に障害が残らなかっただけでも幸いだった。
「──スタンツィを、能く守り通してくれたな、クーガ」
シャヴィはクーガの顔を覗き込みながら慈愛を込めて、頭を一頻り撫で労ってやる。
「済まないが、スタンツィへのお遣いを頼むよ」
ちょっと待ってろ、と声を掛けたシャヴィは立ち上がると、再び室内壁際の棚とロッカーを手当たり次第に物色して回る。何かのチェックリスト(検証確認)を書き込んだ紙片とキャピラリーチップ・インクペンを見付け出すと、クーガの元へ戻って来た。
「──間違いなく此奴を、お前の姫に届けてくれ」
拾って来た紙片の裏にキャピラリーチップ・インクペンで一文を走り書きすると、丁寧に折り畳んでからクーガの頭を一撫でし、クーガの口に啣えさせた。
「お前が届けてくれている間に、俺は別の場所へ移動する。返事があったら、そっちへ持って来てくれ」
シャヴィが居場所を変えても、クーガはハンドラー(命令権者)のバイタル(生存情報)を常時モニターしているので、シャヴィの位置を探り当てられる。
“どっちに転んでも分の悪い賭けなら、チップ(掛金)は自分に張るべきだ・・・!”
再び扉を開いたシャヴィは、さあ行け、と声を掛けて、クーガをコンスタンツェの元へと送り出した。
* * *
どれ程の時間、放心していたのだろうか。
脇腹を小突かれる感覚に、コンスタンツェがふと我に戻された。
床にへたり込み、ベッドに顔を伏せ、唯々茫然と悲嘆に暮れていた。シャヴィが居る筈であろう船舶を自らの想いと一緒に、トラニオウに見るも無残な程に、粉々に打ち砕かれてから。
「──クーガ・・・」
虚ろな面持ちで、コンスタンツェが面を起こす。
クーガが頻りに、鼻先を擦り付けて来ていた。本来ならこそばゆくて、我慢し切れずに笑いを漏らしてしまうところだが、何故か何も感じない。ただ、シャヴィ、とその名を呼ぶだけで、涙が零れ落ちる。
哮えもせず、漆黒の巨躯に居住まいを正すクーガが、その口蓋を開いた。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




