Prologue 処女を捧ぐ夜・4
「ガート・・・ッ!」
がばっ、とコンスタンツェが跳ね起きた矢庭、ステフ・スナウトが風を巻いて床を蹴る。と同時に、スナウトが開け放ったままの戸口から駆け込んで来たガートルードが、一歩足を踏み入れた途端、うっと呻いて驚愕した。
天蓋から重厚なカーテンが下がるベッドの脇、鏡台の前が血の海になっていて、その中に人影が大の字に斃れていた。紛れもなくマデルーク国王の成れの果てで、其所から3メートルほど離れたバスルーム側の壁際に、頭が転がっている。プロジェクト・マッピングが奏でる雲海の漣に浮かび上がる、プロスペロの顔容は、断末魔の凄まじい形相をしていた。
ガートルードは息せぬマデルーク王を一瞥しただけで、迷う事なく主君コンスタンツェの声がした方へと、一足飛びにベッドの上へと跳ね上がる。
「姫御前ッ! ご無事でしたか・・・ッ!」
ベッドを土足で踏み躙りながら、ガートルードが反対側へ跳び降りた時には、コンスタンツェは己が剣を掴み取っていた。
「姫さま、まさか、お怪我を・・・ッ?」
バスローブ姿に血飛沫塗れのコンスタンツェに、ガートルードが思わず焦る。
「案ずるな。これはプロスペロの返り血だ」
コンスタンツェの言葉に、ガートルードは胸を撫で下ろしながらも、潤いを帯びたウィステリア・シルバー(藤銀色)の髪の頭から裸足の爪先まで、2、3度と忙しなく視線を巡らせた。
ガートルードは瑠璃色の瞳に褐色の肌をしたテラン(地球人)系で、何時ものように、耐エネルギー弾加工された黒のビスチェ風エナメル・ボディス(光沢人造皮革胸鎧)に、白のスキニー・パンツ、太腿半ば丈のレースアップ(編み上げ紐)ブーツを履き、金のパイピング(飾り縫縁)も美しいミッドナイト・ブルーのジュストコール・コートを羽織り、首元には光沢も艶やかな柄スカーフを巻いていた。
「──では、陛下は彼奴らが・・・ッ?」
コンスタンツェを背に庇うガートルードが、向こうで刃を交じえている2人を見遣る。一進一退のミランダ・オーベロンとステフ・スナウトの、叩つけ合うフォノンメーザー・ソード(電磁剣)のコヒーレント振動が火花を散らし、弾けるような破裂音が耳を聾する。
「1人は、其方も知り置くスナウトなる、阿呆メルヒオールの臣下であろう?」ベッドの向こう側で、一進一退の攻防を繰り広げる2人に、コンスタンツェが剣のポメル(柄頭)で指した。「プロスペロを手に掛けたのが、もう1人のキュラソの女子で、ミランダ・オーベロンなる賊徒だと、スナウトが申しておった」
胸上まであるセミロングの蜂蜜色した髪を、フリップ(巻き込み)・ポニーテールにしているガートルードが、コンスタンツェの言葉に振り返った。
「──ミランダ・オーベロン、ですか・・・!」
「ガート、其方も知っておるのか?」
コンスタンツェはガートルードに剣を預けると、取るものも取り敢えずバスローブの上からソードベルト(剣帯)を着け始めた。
「直接は存じませんが、確か、デスデモーナさまの手の者に、恐ろしく腕が立つと噂のその名の従卒が」
ガートルードのマジェスタ家は、代々チェンテナリオの近衛を勤めている由緒ある家系だ。チェンテナリオ家がすっかり没落してしまい、近衛の体を保つ必要も無くなった今でも、ガートルードだけは律義に忠義を尽くしてくれている。コンスタンツェが物心付いた砌から側付を務めており、コンスタンツェにとっては臣下と言うより5歳上の、世話焼きの姉のような存在だった。
そのガートルードもさすがに、主君の大事な初夜に、閨の真ん前で寝ずの番をするのも無粋とばかり、下の警護詰所に篭っていた。別館の玄関からは、この詰所前を通らないと、閨のある棟屋内へは入れない。
ガートルードが不審を抱いたのは、近習らしき1人が寝酒のような盆を持って、本館側から渡り廊下を通って閨へ入って、暫くしてからだった。
渡り廊下には監視カメラが設置されているので、ガートルードが寝ずの番をしている詰所から確認できる。しかも廊下側からの閨への扉と、バルコニーに面した掃き出しガラス戸にはセキュリティ・システムが稼動していて、開くとシステムが報せてくれる。そのセキュリティ・システムが、確かに扉が開くのを報せてくれたので、近習が閨へ入室したのは間違いない。
今回の王の行幸に伴う側付従者は本館に控えているので、近習もその中の1人だと、ガートルードは当初そう思い込んだ。渡り廊下の本館側には、随伴して来た王の近衛が立哨しており、其所を問題なく通って来た筈だからだ。
コンスタンツェが王と初夜を共にされるため、普段は使われない別館のギャレー(厨房)にはマンスリアン城在勤の女侍従が3人が夜通し控えているが、其方には何かを命じられた様子はないため、ガートルードはシステムの反応を暫く見ていた。
面妖しい──近習が入室してから1分ほど経ったが、退出する気配が一向にない。単に寝酒と酒肴を持って上がったにしては、時間が掛かり過ぎる。
何か、あったのか──。
コンスタンツェの至極プライベートな閨なので、さすがに常時監視するカメラや異状を感知するセンサー・システムは施されていない。万が一に備えて緊急呼出のボタンはあるが、コンスタンツェからの通報はない。それに加えて王の近衛が四六時中、別館周囲を巡回警固しているが、非常事態が発生したような雰囲気は微塵も感じない。
それでも胸騒ぎを抑え切れないガートルードは、気が付いたら腰を上げていた。
念のためギャレー(厨房)を覗き、暇を持て余す女侍従3人が、怠惰に欠伸を噛み殺しながらお喋り半分に茶を啜っているのを見届け、階上へのリフトは使わずに、脇の階段を逸る気持ちそのままに一足飛びに駆け上がる。
折り返す踊り場を、閨への廊下へ足を繰るガートルードの目の前を、渡り廊下の本館側から走り抜けて行く人影が過った。慌てたガートルードが階上へ上がった時には既に人影はなく、高さ3メートル近い閨への両開き扉が開け放たれていた。
まんまと賊徒に侵入された──悔やみ切れない失態に焦る気持ちを抱え、姫さま、と声を張り上げながら閨へと飛び込んだガートルードが、最初に見たのが血の海に浸る国王の変わり果てた姿だった。
「裏で糸を引いておるのは、間違いなく、性悪デスデモーナだな」
ガートルードの言葉に、コンスタンツェが可愛らしい下唇を突き出した。
「陳腐な筋書きの戯曲の幕を開けよって」
「筋書き、ですか・・・?」
「間違いなかろう」
思わず眉を顰めるガートルードに、鼻白んだコンスタンツェが、木で鼻を括ったように言い捨てた。
「某が、毛嫌いするプロスペロに汚されるのを嫌がった揚げ句、無理心中で決着を付けようとした、涙なくしては語れぬ悲恋の純愛戯曲らしいぞ」
デスデモーナは、コンスタンツェの実母ハーミアの崩御後、プロスペロ・エルドラド王の正室に成り上がったヒポリア現王妃の娘だ。デスデモーナはヒポリアがまだ側室だった頃に生した子で、コンスタンツェとは4歳違いの義妹になる。そのデスデモーナと2歳上の実兄がメルヒオールで、ミランダに変態好色情欲魔と揶揄された、ステフ・スナウトの主君だ。
「心中? では陛下殺害の濡れ衣を姫さまに着せた上、お命まで?」
ソードベルト(剣帯)のバックルを締めるコンスタンツェに、ガートルードが恭しく剣を預け返す。
「まあデスデモーナが、某を害虫同然に踏み潰したがっておるのは、デル・アー城内では万人の知るところ。その上、此処までの奸計とあらば、王妃ヒポリアも裏で結託しておるやも知れん」
デル・アー城は、首都ツウィリッヒにあるエルドラドの本城で、現国王プロスペロの居城でもある。王妃ヒポリアは勿論の事、コンスタンツェの異母弟妹に当たるメルヒオール王子とデスデモーナ王女も、広袤とした敷地を誇るデル・アー城内に、独立した別宮を個々に構えている。
「しかし、メルヒオールさまの間者が、何故に此処に?」ソードベルト(剣帯)のホルダーに剣を差すのを手伝うガートルードが、佩緒を帯執に掛ける。「メルヒオールさままで、姫御前のお命を狙うとは思えませぬが」
「まあ、どちらかと言えば、窮地を救ってくれた、のだが」
「ステフ・スナウトが、ですか・・・?」
思わずガートルートが、下唇を噛む。
矢張り、駆け付けるガートルードの目前を、駆け抜けた人影はステフ・スナウトだったのだ。主君の側付を任じる自らより早く駆け付け、その窮地を救ったと言う、言い訳の出来ない失態に、ガートルードは砂を噛むような思いを味わう。
「それで、あのスナウトなる間者だが──」
そんな恥じ入るガートルードへ、コンスタンツェは叱責するような素振りを微塵も見せず、ソードベルト(剣帯)をくびれた腰回りで揺すりながら、程よいバランスを取る。
「──ガート、其方、知古を得ておるのなら、聞いておいてはくれまいか?」
「事の真相、ですね」
片膝突くガートルードが気を取り直し、目の前のウィステリア・シルバー(藤銀色)の髪も妍しい、凛々しい着剣姿の主君の見上げる。
「いや」
コンスタンツェが、ガートルードも見た事もないような、苦虫を噛み潰したような顔を見せた、その一弾指。
いきなり庭の方から、魂消る悲鳴が轟き響き渡る。
外回りを巡回警固していた、プロスペロ王の近衛に違いなかった。
何事か、と2人が、濃紺に金刺繍を施された分厚い緞帳が下がる、庭に面した窓の方を振り返った矢庭。
高さ3メートルある掃き出し硝子窓3面に、いきなり爆発音が轟いた。同時に身の毛もよだつような硝子の砕け散る音が響いて、窓3面の緞帳が風を孕んで重そうに靡く。咄嗟にガートルードが、身を挺してコンスタンツェを包み込むように庇った。
刹那、緞帳を引き千切るようにして、いきなり巨きな何かが、室内に飛び込んで来た。
其奴は緞帳を纏わり付かせながら、コンスタンツェとガートルードの遥か頭上を一瞬にして飛び抜けて、黒、銀、赤のカーテンが下がる天蓋ベッドへと飛び込んだ。ベッドが軋み、布地が破ける音がして、其奴はさらにベッドの向こうへと跳ね抜けた。
★Prologue 処女を捧ぐ夜・4/次Prologue 処女を捧ぐ夜・5
written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




