第192話 シーズン・0 泉に聖剣を投げ込む前に
俺の前にいる教授が唸っている。俺の作った家の設計図を見ながら。
「やっぱりだめですか?」
俺は恐る恐る尋ねた。教授は真剣な眼差しを俺に向けて言う。
「だめではない。耐震設計も、居住空間の導線も、外観も一流のハウスメーカーが求める水準をクリアしている」
俺はホッとした。建築士としての能力は問題ないらしい。
「だがこれは建築士の仕事であって、建築家の仕事ではない」
俺は首を傾げる。何を言っているのかわからなかった。
「君はうちの大学に来る前に大工をやっていたといっていたね。その経験がきちんと生きている。だから聞きたい。なぜうちの大学に来た?」
「それは最高の建築を学びたくて」
「それなら現場で場数を踏んで建築士を目指す道もあったはずだ。もう一度聞くよ。なぜ建築を学ぼうと思ったんだい?」
教授の目は嘘を許すものではなささそうだった。
「俺は。その。あるデザイナーズ物件の施工に関わって、出来上がった家の綺麗さに感動して。だから大学に来ました」
「ふむ。それは嘘ではなさそうだ。だがすべてじゃない。君が作ってくる建築模型はどれもこれも奇抜だった。だけど最近は大人しいというよりも仕事人のモノになった」
「それは評価が良くなかったからです。いいものを作らないといけないから」
「それは当然のことではある。だがなぜいいものを創りたいと思ったかが大事だ」
禅問答のようでよくわからなかった。いい家の模型を造らなければいい成績はとれないし、いいところにだって就職は出来ない。もちろん消費者に売れることもない。
「一時期の奇抜さは見ていて痛々しいものだった」
そう言われると凹む。俺の目指すいい家のデザインは悉く誰もに否定された。
「だが私はその痛々しさに希望を感じていた」
「痛々しいのに?」
「痛々しいからだよ。心をズタボロにしてでも、君は何かを創ろうと必死だった。それがちょっと前まではあった。その先にはもしかしたら素晴らしいものが生まれる余地があったかもしれないのに。君はやめて丸くなった」
「誰もいいって言ってくれないんですから仕方ないです」
「そうだね。その気持ちはよくわかるよ。私も若いころはそうだった。いや今でもその気持ちと戦っている。それは活力だ。同時に足を引っ張りうる何かでもある」
教授はどこか遠いところを見ながらそう呟く。
「君には自信がないのだろう。この痛々しさと戦い抜く自信が。だからもう一度聞きたい。なぜ建築に来た?君が本当に造りたかったナニカはなんだ?」
この人は俺をきっと見抜いている。だから俺は自然と涙を流した。悔しいからだ。
「俺は……現役の時に美大に落ちました。それで......地元に居たくなくて、何処にも居たくなくて。逃げて。ただ食っていくために大工になりました」
鼻がつんと痛かった。俺の劣等感の源を曝された。教授には嫌な感情しか抱けない。
「そうか。なるほどね。絵か?彫刻?」
「絵です。油絵」
「そう。最近は描いているかい?」
「いいえ。あまり。才能ないから」
教授は俺をまだジーとみている。だけどふっと目を離して、机の中から新品のデッサン帳と先を長く削ったデッサン用の鉛筆を取り出して俺に渡した。
「そこにあるぼっちゃんな池を描いてきなさい。出来たら私のところへもってくるんだ」
俺はただただた戸惑うばかりだった。
「え?でも。いきなりそんな」
「いいからやりなさい。戦え。戦い抜け。痛々しさと向き合え。それが誰かの心をきっと動かす」
俺はそのまま教授の部屋を追い出された。そして本郷のキャンパスにある池に向かう。
「きっと意味なんてないのに」
だけど足は動く。手は動いてくれるだろうか?
「きっと誰も見てくれないのに」
だけど手を動かさなきゃいけないと思った。絵は出来上がるだろうか?俺は池のほとりで池をスケッチする。そして出会った。いいと言ってくれる人に。俺が創るナニカを見てくれた女に。
池から戻ってきて、絵を教授に見せた。教授は笑みを浮かべていた。
「いい絵じゃないか。あのドブみたいな池も君の筆ならばアーサー王の聖剣が投げ込まれた聖なる泉に変わるようだね」
教授は楽しそうに絵を見ていた。
「なあこの絵は貰ってもいいかな?」
「え?あ、はい!差し上げます!」
教授はスケッチ帳からその絵のページだけを丁寧に取って、クリアファイルに入れてその上からテープで壁に貼った。
「額縁はまだいいだろう。ここが君のスタート地点だよ」
教授は絵を見ながら嬉しそうに笑っている。
「これからも絵や模型かなんかを見せに来てくれ。楽しみにしているよ。君の創り出すナニカを」
「……はい!」
俺も笑った。もう絵のために泣くことはないだろう。そう信じられる。
後に教授は俺の就職先も斡旋してくれた。結婚式の仲人も務めてくれた。人の運命を決めるのは誰かの壮大な陰謀ではない。ごくごく小さな善意と笑顔だけなんだと俺は知れることができたんだ。




