第123話 神酒と未来
シャワーを浴び終わった後、俺は部屋付きの露天風呂に来た。
「ふふーん、るーるるん♪」
そこにはよくわからない鼻唄が響いていた。湯気の向こうに女の影が見える。それは五十嵐の背中だった。タオルを巻いているが、流麗な背中の曲線がよくわかる眺めだった。彼女は犬かきとクロールの中間みたいな泳ぎ方でパシャパシャ泳いでいる。
「あ、やっほー。常盤くんも泳ぐ?」
「いや。俺はゆっくりするよ」
俺は縁に背中を預けて湯につかる。心地よい暖かさが全身を包み込む。そして俺の前をゆらゆらとタオルに包まれた可愛い尻を揺らして五十嵐が通過していく。とくにタオルが張り付いた腰のくびれがヤバい。そのまま掴んで自分の方に引き寄せたくなってくる!何この絶景!
「た、た、た、たーん♪」
縁に着いた五十嵐はそのままターンして今度は背泳ぎに切り替える。タオル越しだけど、豊かな双峰がプルプルと揺れながら俺の前を過ぎていく。やっぱり絶景だ!無邪気に泳ぐのを楽しんでいる五十嵐には悪いけど、とても扇情的かつ刺激的な光景だと思う。その時だった。耳に引っ張られる痛みを感じた。
「いた!」
「あんた、りりばかり見すぎ」
いつの間にか俺の隣には真柴がいた。タオルで髪をまとめているから、うなじが覗いている。なんか不思議なセクシーさを感じた。おかしいな鯖ちゃんにこんな感情を持つなんて想像もできなかったよ。
「はい。どうぞ」
真柴は俺にお猪口を渡してきた。そして彼女の手には徳利があった。
「え…まじ?」
「いらないの?」
「いや。いただきます」
真柴は俺のお猪口に酒を注ぐ。普段の生意気な印象と違って、楚々とした所作だった。なんかギャップにくらっとしそうになる。俺はその心の揺れを誤魔化すように酒に口をつける。
「とても美味い酒だな。知らない風味を感じる」
いままで味わったことのない程にうまい酒だった。
「ありがとう。これはうちの研究室で作ったお酒。試験管とフラスコで作った特注なの。ふふふ」
真柴もお猪口から酒をすすっている。彼女は酒が苦手なタイプだったけど、その顔は笑顔だった。
「へぇ。面白いことやってるね」
「うん。学環府のバイオ技術の民生転用なの。かのアイルランドの大女神メイブが聖婚の儀式で王たちに与えたミードの複製品。王様にふさわしいお酒。すなわちこの世界でもっとも美味しいお酒ってことなの」
「言ってることの意味はよくわからんが、つまり神話レベルのすごいお酒なのね」
「あー!全然わかってないわね!このお酒の酵母はリアファルの近くにあったアイルランド上王の陵墓に残されてたミードの遺物から奇跡的に採取された女神の酵母なのよ!それを現代に蘇られるのにどれだけうちが苦労したかわってる?このこの」
真柴は俺のほっぺたを引っ張ってくる。痛くはない。だけどすごくくすぐったい。水の中じゃ真柴のふくらはぎが、俺の太ももの上に乗っている。鯖ちゃんまじで酒に弱い。たった一杯でカラミ酒モードになっちゃった。
「うん。よかった。友恵げんきになったみたいだね」
すぃーっと五十嵐が俺たちの傍に泳いできた。優し気な笑みを浮かべて真柴を見詰めている。
「う、うん。もう大丈夫。心配かけてごめんね、りり」
「そんなことないよ。友達だもん。いつでも頼ってよ。で、それどんなお酒?私も飲みたい」
真柴はそばに浮いているお盆の上に置かれていた大きめの徳利を五十嵐に渡した。
「え?私にお猪口は?」
「りりにはいらないんじゃない?お猪口は。ざるだし。お酒の味気にしないし」
「がーん!」
まあ普段カップ酒飲んでる女だしな。この酒の味わかるんだろうか?そんな繊細な舌は持ってなさそうに思える。
「冗談だよりり。はい。お猪口」
真柴はお猪口を五十嵐に渡して、そこに酒を注ぐ。
「ありがとぅ。これやってみたかったんだぁ!」
たしかにこういう温泉にお盆を浮かべてお酒飲むのは憧れのシュチエーションの一つだろう。五十嵐はお猪口に口をつけてゆっくりとお酒を飲む。
「ふぅ。泳いで乾いた体にすごく染みるぅ。くぅう!」
「りりの感想が温泉に浸かった女の子のやつじゃないよぅ!」
「というかすごく美味しいね、このお酒!ちびちびじゃなくてもっと飲みたいかな」
そう言って五十嵐は徳利でそのまま酒をぐびぐびと飲んでいく。
「やっぱり、りりにはお猪口はいらなかったじゃん!!」
「うん。美味しい!でもちょっとお上品すぎるかな?もう少しきゅっとくるような雑味が欲しいね。このままだとお酒が美味しすぎて温泉のことがどうでもよくなっちゃう。あとで思い出した時に温泉じゃなくてお酒が美味しかったって思い出すのはちょっとねぇ」
「味の批評が通っぽい。やっぱりリリにはこっちの方がいいよね」
真柴はどこからかカップ酒を取り出して、五十嵐に渡した。五十嵐はじつに楽しそうな笑みをうかべてそれをごくごくと飲み干す。
「ふぅ。こすぱさいこー」
真柴はその光景を実に微妙な笑みで見詰めていた。なんだかんだといつもの空気が俺たちの間を流れている。それはとても幸せなことだと思うのだ。
気がついたら両脇に五十嵐と真柴がくっついていた。熱いのが触れる肌なのか、温泉の湯なのか俺にはもうわからない。三人とも特に言葉はなく、だけど穏やかで寛げる時間だった。そして自然とのぼせる前に俺たちは湯から上がった。
浴衣に着替えた俺たちは引かれている三組の布団を見ていた。そして五十嵐は真ん中に真柴を誘導した。そして二人は横になり寝そべる。
「今日はお疲れ様だったね。友恵」
「あっ。うん。たしかにちょっと疲れちゃったかも」
五十嵐は背中の方から真柴に抱き着いた。片手で真柴の頭をなでなでしている。まるでお母さんみたいな仕草だ。だからだろう。俺も真柴の横に寝そべって、彼女の頭を撫でる。もう片方の手は五十嵐の腰に手を当てて優しく引き寄せるように撫でた。
「ふふ。くすぐったいよ常盤くん」
優し気なのに、どこかコケティッシュな笑みを浮かべる五十嵐だった。前の世界ではこの笑みに多くの男たちが狂っていった。きっと俺もその一人だった。だけど他の男たちと俺はきっと決定的に違うところがあったはずだ。
「すぅ…」
真柴はもう眠りに落ちていた。まるで子供のように穏やかな顔だった。それ見て俺は可愛げというか愛らしさというか不思議な感情を覚えた。
「かわいいね」
「うん。かわいいな」
五十嵐は愛おし気に真柴を撫でている。
「ねぇ常盤くん。私はいつか本当のこういうことが出来るのかな?」
その質問に俺の胸がきゅっと締め付けられた。俺は他の男たちとは違った。五十嵐との未来が欲しかった。今でもたまに夢に見る。五十嵐が子供を抱いている夢。その子供が俺たちの間にいて、一緒に手をつなぐ夢。得られるはずの未来だった。いやちがう。必ず得る夢じゃなきゃダメなんだ。
「ああ、できるよ。そういうことが出来る未来は必ず来る」
俺は五十嵐の頬を撫でる。五十嵐は微かに涙を流していた。その涙を俺は指で拭う。必ず一番のハッピーエンドを迎えてみせる。そのためにきっとすべては巻き戻ったのだから。




