第112話 王様の優しい罰
ミランと楪が葉桐に協力する。その事実が俺をとてもひどく打ちのめした。だけど彼女たちがそうした事情は理解できる。スオウの解放に見合う条件を提示することはとても難しい。一応そのためのネタは用意していたのだが、さっきのバトルにしたって偶然が重なって俺は生き延びることができたくらいにぎりぎりだった。ミランたちが助け舟を出すことはよく理解できる。そう。理解している。
「取引はこれで成立だ。僕らはお互いにしばらくは不可侵を守ろうじゃないか」
「ああ、そうだな。俺たちはお互いに大人しくしていうじゃないか」
俺と葉桐はみんなの前で握手を交わす。こんなのはただの儀式に過ぎない。だけど俺も、おそらくは葉桐も内心はドロドロとしたものだったはずだ。取引が完了して、俺は葉桐の口座に現金を振り込み、代わりに手に入れたスオウの債権をすぐにライターで燃やしてこの世界から消し去った。スオウを縛る鎖はもうこの世界にはない。大きな視点に立てばこの取引は俺の勝ちだと見てもいい。俺はエディレウザを解放出来て、その上葉桐がやろうとしている計画に限定的とは言えどもミランたちを介して影響を与えることが出来るようになったのだから。マキャベリズムに徹底すれば俺はこの勝負に勝った。それが事実だ。会見場だったレストランを出た俺たちは互いに無言だった。ミランと楪は目を伏せていた。スオウは落ち着きなくキョロキョロと目を泳がせていた。綾城はどことなく厳しそうな視線をミランたちに向けている。いつもはにぎやかで騒がしくて楽しい連中なのに、この空気はひどく寒々しい。
「ちょっとゆっくり休憩しましょう。部屋を押さえさせるわ」
綾城がそう言った。俺は確かにひどく疲れてたし、体中があちこち痛かった。今すぐにでも横になりたかったくらいだ。俺は頷いて綾城に部屋を取ってもらった。そして俺たちはその部屋にまるで逃げるように向かったのだった。
レストランのガラス張りの壁越しに見えるこの光景すべてをあと少しで手に入れられると思っていた。この光景だけじゃない。この星のすべてを僕は統べる王になれるんだと信じていた。なのに今日の一件でそれにはっきりと暗雲が漂ってきたのを感じる。
『なぜおまえはそんなにも卑しいんだ…王の器を持っていても、中には汚泥しかないではないか…。ああ、どうして私にお前は似てしまった?私から私の嫌なところを消し去って作った理想の私がお前なのに何故おまえは王子どまりなんだ?何故女神に愛されない?』
椅子にもたれながら僕は、おじいさまの言葉を思い出していた。彼は偉大な科学者だった。そして世界を救う方法を見つけて、でも実行することはできなくて、だから僕にその夢を託した。素晴らしい夢だ。僕を僕たらしめるに相応しい夢。
「ねぇひろ。もうこんなことはやめない?」
「やめないよ。夢の成れの果てに臨むまでは僕は止まらない」
「ひろの夢は叶わなくても、ひろがすごい人だってみんな認めてるよ」
「他人の称賛はあって当たり前だよ。他者からの承認だけが人を人たらしめるんだから。僕は人ではなく王になったんだ。だからそれだけじゃ足りない。僕は夢を叶えて世界を救うんだ」
僕の横にいた友恵は、膝をついて僕の足に頭を寄せてきた。彼女の目には涙がうっすらと浮かんでいる。
「ひろぉ。うちはいやだよぉ。人間だったあなたが好きなの。王様じゃなくたって、あなたをずっと愛してる」
友恵はわかってない。女は与えられる側だから、王様になることの尊さをきっと理解できない。
「世界を救うことだって、誰かにまかせればいいよ。ひろがやらなくたっていいよ」
「いやだよ。僕が世界を救う。僕は絶対に認めない。僕以外の誰かに救われる世界なんて、絶対に許さない」
僕だってわかっている。今現在、もっとも王に近いのは常盤奏久なのだと。だけど彼にはその価値がわかっていない。そんな人間には王座を渡したりはできない。これは尊厳の問題だ。僕は王。同じ世界に王は二人もいらない。僕は必ず彼をこの世界から排除してみせる。必ず。
綾城は広くてきれいな部屋を取ってくれた。普段ならみんなそのラグジュアリーさにきゃっきゃと興奮して笑っているだろうに、みんな何も口にしない。それぞれみんな静かにソファーや椅子に座って、気まずそうにしている。
「みんな心の整理ができていないのはわかってるけど、このままだと埒があかないから、あたしがこの場を仕切らせてもらうわね」
沈黙を破ったのは綾城だった。彼女は立ち上がり、ミランと楪に頭を下げた。
「まずは個人的なお礼をさせて頂戴。あなたたちのおかげでエディレウザを解放することが出来たわ。あたしの大切なお友達を救ってくれてありがとう」
それを見てスオウも立ち上がって、ミランたちに頭を下げた。
「アリガトう。本当にアりがとウござイます。アなたたちの御陰でワタシはカナタを殺さずに済ンだ。アりがとウ」
スオウの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。いままで背負っていた重荷が消えた。スオウの人生はこれから劇的に良くなるだろう。だからミランと楪の行いはきっと正しい。俺がもっている不快感こそがおかしいのだ。だからそれは飲み込んでしまえばいい。俺もミランと楪にお礼を言おうと思い立ち上がって。
「そうだね。俺も助かった。二人ともありが」
「頭を下げるな!!!」
部屋の中に叫び声が響いた。その声の主は綾城だった。綾城は唇をきゅっと引き結んで、俺を睨んでいた。
「あんたはこの二人に頭を下げるな!常盤!あんたはだめ!この二人にお礼を言っては絶対にダメ!!」
その権幕は恐ろしいものだった。普段はひょうひょうとしてそれでいて慈悲深く優しい女なのに、今はまるで夜叉のように鋭く激しい。
「ここからが本題よ。個人的にはあんたたちには感謝してる。だけどあんたたちの行為ははっきり言って間違っているわ!!」
ミランと楪に向かって綾城は怒鳴りつける。その声に二人はびくっと体を震わせている。
「常盤とあたしはちゃんとエディレウザ解放のための交渉の材料を準備していた!それがうまくいくはともかくだけども!ちゃんと葉桐との戦いに備えていたのよ!!」
確かにその通りだ。スオウを解放するために、俺と綾城は以前手に入れたファイルの情報を用いて葉桐が欲しがっている有望なスタートアップ企業の株式を大量に取得してた。それを用いればスオウは解放できるはずだと睨んでいたから。可能性は高かったと思う。スオウは葉桐の女でもないし、葉桐の核心の計画にとってはあまり重要度が高くなさそうだった。十分行ける取引のはずだと思っていた。
「あんたたちはそれをぶち壊した!!その行いこそは誠心より発するものであっても!その結果は御覧のとおりよ!!状況はよりカオスになってしまったわ!!あんたたちの取引はエディレウザは救えても、戦いの葛藤を先送りにすることしかできないような児戯にも等しい行為なのよ!!なんで一言それを常盤に相談しないのよ!!なんで勝手に葉桐と接触しちゃうの!!このお馬鹿!!」
息を荒げて綾城はミランと楪を罵る。そこには友情の甘さがまったくない。正論で詰めていく冷たさだけがある。だからだろうか。ミランと楪も怒りで顔を歪め始めた。
「ボクらは自分にできることをやっただけだよ!!カナタ君はあの時殺されそうになっていた!だから助けたかった!だって恩も愛もいっぱい貰ってるから!だから少しでも返したいから!!」
「そうです!わたしたちはカナタさんを助けたかったんです!いつも助けられてばかりだから!お返ししたいだけ!それに綾城さんたちの策だってうまくいくとは限らないでしょう!!上手くいったんですよ!何がいけないんですか!!」
二人の反論はもっともだと思う。俺だって同じ状況なら彼女たちと同じことをやったと思う。
「ヒメーナ。落ち着イてくれ。二人は悪イことは何もしてなイ。二人ヲ詰ることなんてしなくても…」
「エディレウザは黙ッてなさイ!!あんたはあたしたちの王国の臣民ではないのだから!!!」
あんなにもエディレウザが大好きなのに、その制止を綾城は受け入れなかった。
「言い訳は聞いたわ。恩返し?何様のつもり?常盤はあんたたちの王様でしょう?返す?返すですって!!ばかばかしい!!あんたたちは王様から貰ったものを返すというの!!??なんて不届きなの!!恥を知りなさい!!」
綾城の言っていることは妄言に聞こえた。だけどその言葉の震えにはなぜか人を惹きつける何かがあった。
「御恩を下賜されたならば、王に捧げるは奉仕のみ!!勘違いしないでよね!あんたたちの王様が望むのは助けではなく奉仕なのよ!!あげくに他所の王と勝手に外交?越権に他ならない!断じて許せないわ!あんたたちは自分で自分を守れない臣民だからこそ王様に縋ったのに?よその王と対等に渡り合えるなんて思わないで!それは思い上がりよ!そしてあたしたちの王様への不敬よ!この愚か者どもめ!!」
装飾過剰なのひどくきつい言葉だった。言われたミランと楪は涙目になっている。それを睨みながら綾城は俺の傍によってきた。
「常盤。あんたに願い奉るわ」
大仰な言い回しとともに、綾城は両手で俺の頬を撫でる。
「あの二人に、本音をぶつけてあげて。あんたの声を聞かせてあげて。小賢しい理屈や理解のある言葉なんかじゃない。あんたの一番思っている言葉を与えてあげて」
綾城の言葉に俺は、前の世界のことを思い出した。
『あなたの声が聞きたいの』
罪を犯した五十嵐に俺は頑なになった。何の言葉も交わせず、さりとて決断もできず。でもあの時、言葉を飾らずに彼女にぶつけることが出来たならば、何かが変わっただろうか?それはもう永遠にわからない。俺はミランと楪に目を向ける。二人は涙をボロボロ流しながら体を震わせていた。そして俺へ罪悪感いっぱいの悲しい目を向けていた。だから思えたんだ。今ここでならきっと何かが変わる。俺は口を開いた。その言葉は悲しさで震えていた。
「はっきり言って、嫌だった。だってあの葉桐に、大っ嫌いで憎い葉桐にミランと楪が協力するなんて。そんなの嫌だ!いやだ!そんなの嫌に決まってるじゃないか!!」
俺は嫌だと子供のように怒鳴る。それを聞いてミランと楪はさらにうなだれてしまう。女に嫌なことをされると酷く傷つく。何もかもが嫌になるくらいに。だけどそれでも。離れたくはなかったんだ…。
「だから絶対に許さない!今日のことは絶対に忘れてなんかやらない!」
俺はそう言って二人を強く強く抱き寄せた。誰からも剥がされないようにきつく締め付ける。
「カナタくん。…きついよ…あっぁ」
「カナタさん。痛いです。とっても…ぅう」
「俺はお前たちを離さない。他所の誰かにくれてやる気はない。ずっとずっとお前たちは俺の傍にいろ。ずっとそばにい続けろ」
二人は俺の胸に顔を押し当ててワンワンと泣き続ける。
「ごめんなさい!ごめんねぇ。カナタくん。ごめんね。ボクもずっと君と一緒にいたいようぅ」
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!カナタさん!わたしを離さないで!全部全部わたしを全部!捧げるからぁ!」
俺たちはお互いに離れたくないだけ。そのための行いゆえに離れていく。だから確かめ合わなきゃいけないんだ。離れないように寄り添いあいたい。ずっとずっと傍にこの子たちを置き続けたい。俺はそう祈っている。
みんなが落ち着いてきた頃に綾城がルームサービスのティーセットを頼んだ。
「あのまま放っておいたらきっとベットシーンだったわよね?さすがにAVではなく生のプレイをヴァージンなのに見るのは嫌よね。ティーセットを頼んだあたしに死ぬほど感謝なさい」
綾城の下ネタが下ネタっぽく聞こえないのがすごく怖いです。俺は苦いお茶で気持ちを引き締めることにした。なお両脇にはミランと楪がぎゅっとくっついたままだ。
「さて。ここからはちょっと真面目なミーティングをしたいわ。葉桐の狙いって結局何なの?だれか知ってる人いる?」
その場にいる全員が首を振った。だけど一人だけ、口を開いたものがいた。
「『サイギ』」
スオウがポツリとそう呟いた。
「アの男はサイギとイう何かヲやろうとしてイる。それが何なのかは全く分からなイがな」
サイギ、祭犠?以前盗んできた葉桐論文のタイトルが確か『祭犠王考究』だったな。
「なんか響きからすると宗教儀式っぽいよね。葉桐がボクにさせたい仕事は出雲での演舞みたいだし関係あるよね?」
ミランは首を傾げている。おそらく祭犠に必要な中枢メンバーにミランはカウントされているのだろう。一つ気になることがある。前の世界ではミランは才能があるにもかかわらずテレビや映画などで活躍したところを見ることがなかった。芽が出なかった可能性もあるが、それ以上にその祭犠のせいではないのだろうか?前の世界では俺がただの一般人だったからおそらく祭犠なる何かは行われたのではないだろうか?そのせいでミランは潰れてしまったのではないだろうか?そんな嫌な想像が頭に浮かんだ。




