たったひとつの救い
いつのまに自分が気を失ったのか、ゲオルグは全く覚えていなかった。
夢の中でひどく泣いたのは覚えていた。ずっと夢に見ていたのに思い出してやる事もできなかった妹、その妹を夢の中で抱きしめて泣いたような気がした。だけど妹は最後にゲオルグの手を離し、ばいばいと手をふった。
……ばいばい。おにいちゃん。
引き離されていく妹。もはや遠すぎる遥かな故郷。涙がとまらなくて。
だがその時、彼は気づいた。とても、とても大切な事に。
『ああ……そうだな』
一抹の寂しさ。そして、一抹のやさしさ。
穏やかな気持ちに包まれて、ゲオルグはゆっくりと目をさましていった。
ゲオルグにとり、げっそりとした目覚めは久しぶりだった。それは魔力を使いすぎて回復しきってないという事なのだが、使えるのが戦闘補助系魔法のみという有様では、戦争にでもならない限り使いすぎる事はまずないからだ。
そこは焼け跡の廃墟になった村だった。そこいら中廃墟のようになっているが、遺体などは見えない。誰か生き残りでもいるのか動く気配がしている。
「!」
周囲を見回しているうち、そしてゲオルグはそれを見つけた。まだ重い身体に鞭打って立ち上がり駆け寄った。
建物の影に、その焼け焦げた遺体はあった。
それはグロテスクなほどに無残に焼けていた。だがどういう奇跡なのか、顔のまわりは驚くほど綺麗だった。目を開いていれば印象はまるで違ったのかもしれないが、今その目は閉じられている。普通の遺体のように綺麗に寝かされているから、誰かがそっと整えたのだろう。
遺体を見たことで、改めてゲオルグの目に涙が浮かんだ。
「……すまん」
それは誰に対する謝罪なのか。目の前の少女なのか、それとも夢の中のあの子なのか。
毎夜の夢の意味。それが今の彼にはよくわかる。
前世のゲオルグの家は火事で全焼した。原因はおそらく放火。理由までは残念ながらわからないが、蘇った最後のあたりの記憶がそれを肯定している。
窓の向こうに見える人々。野次馬ではない。銃だのなんだので武装し、げらげら笑っている人々。
そう。
彼の一家はろくでもない連中に焼き討ちされ、全員殺されたのだ。原因はわからない。いや明らかになったのかもしれないが、こちらの世界に転生してしまった自分にはそれを確認する術がない。
「……!」
そこまで考えた時、ゲオルグの脳裏に昨夜のひとつのシーンが蘇った。
見知らぬ魔法使いらしき娘と、その背後のプリシラ。次々と展開される盾。斬りつけ破壊していくゲオルグの脳裏に広がったプリシラの叫び声と『やめて……!』の声。
思わずまわりを見回した。
先ほどから感じている気配に足を向けた。
建物の影を抜けると、中央広場だったところが墓場になっていた。
土が少し盛り上がり、その上には角張った石の墓標らしきものが立っている。それは行列をなして並んでいた。もしそのひとつひとつがきちんと掘られた墓穴だとすると、いったいどれだけの労力が払われたのか。昨夜にはそんなもの無かったわけで、何が起こったのだろうとゲオルグは一瞬目が点になった。青天の霹靂とはまさにこの事だ。
だがその意味はすぐわかった。今まさに墓を掘っている者がいたからだ。
少女が立っていた。おそらく昨夜の魔法使いだろう。まともに立てる状態ではないようで、プリシラが横に立ち彼女をサポートしていた。そんなふたりの目の前で、手も触れていないのにどんどん穴が掘られていき、横に土が積み上がる。ある程度掘ったところで遺体のひとつを穴にいれ、少し少女が頭を垂れてプリシラが短く祈りを捧げ、そして穴を埋めていった。
穴を掘っているのはおそらく魔法だろう。ただ通常の魔法でないのは間違いない。ゲオルグの知る土系魔法の『穴掘り』ならば一気にドンと穴が掘られてその大きさのぶんだけ魔力が失われるはずで、しかも一度掘ると休まないと周囲の魔力の流れがおかしくなる。なのに、まるで見えない人夫がたくさんいるかのように黙々と、しかし素早く掘られていくからだ。
「精霊魔法使いか」
界渡りでしかも精霊魔法使い。おそらくは例の少女なのだろう。そしてプリシラに手を貸して、おそらくは暴走状態だったゲオルグを止めてくれた人物。
割り込んできた理由もわからないし正直怪しい、だが世話になったのなら礼を言うべきだろう。ゲオルグはふたりに近づいていった。
「あ、ゲオルグ様。気づかれましたか」
「おはよう」
すぐにゲオルグに気づいたのか、先にプリシラが声をあげた。
だが少女の方はいきなり妙な顔をした。
「え?様づけで呼んでるの?旦那なんでしょう?そんなご主人様とメイドみたいなのじゃなくて、呼び捨てとかゲオたんとかそれっぽく呼べばいいのに」
「うぇ!?ち、ちちち違います私は神官ですから!まだそんな」
「『まだ』ね、『まだ』。うんうん。あーもうリア充爆発しろってのもう!可愛いんだからぁ」
「……」
ウヒヒヒと親父笑いをはじめる少女に、ゲオルグはちょっとためいきをついた。可愛いのになんて笑い方をするのか。
このあたりプリシラは常時控えめで淑女然としている。育ちのよさもそうだが女性神官としての教育もあるのだろう。少女の方は天衣無縫というか天真爛漫といった趣で、見た目の子供っぽさ以上に良くも悪くも幼さが感じられた。そう、まるで人の姿をした妖精か何かと話しているかのように。
「あー、昨夜はすまなかった。危うくとんでもない事しちまうところだった。止めてくれて本当にありがとう」
「礼と謝罪ならプリシラさんに言いなよ。わたしはちょっぴり手貸しただけなんだからね。まー、おかげさまで一度死にかけたらしくって、まだ身体がろくに動かないからプリシラさんに手伝ってもらってたんだけど」
「ちょっと待って、ちょっぴりとかとんでもないよナツメちゃん!何度も言うけど貴女どう考えても一度死んでるんだからね?自覚ないのかもだけど今こうしてるの奇跡みたいなもんだからね?本当なら絶対安静なんだからね?もっと偉そうにふんぞり返ってもいいんだからね別に」
「いや、だからわたしそんなキャラじゃないんで」
一度死んだ?どういう事だろうとゲオルグは首をかしげた。
そんな会話の途中、唐突に少女の身体がピクッと揺れた。やがて右手をひょいと出して、
「ああ、どうやらこっちは動いたね。もうちょっとかな」
「さすがに早いですね。本当に時間単位で回復するなんて」
ためいきをつくプリシラ。
「ほう、まさか回復しながら墓も掘ってるのか?凄いな。魔力の大きさだけでなく使い方も違うものなんだな」
最初プリシラが治癒術を使っているのかと思ったが、そもそも彼女なら術を使いながら歩きまわったりサポートなんてできない。治癒魔法には術式などが必要だからだ。会話の内容からしても、本人が自ら精霊魔法で癒しているのだろうとゲオルグは考えた。
それに、少女から感じる魔力の奇妙さも気になった。
単に大きいだけではない。少女の魔力には何か根本的に異質な何かが大量に混じっているとゲオルグは思った。それが精霊との『契約』による魔力なのだろうかとも思ったが、同時に疑問も湧いた。
このような魔力を『人間』が生成できるものなのか?ということだ。
ゲオルグの疑問は的を射ている。ナツメが発している異質な魔力とはつまり、ふたりの上位精霊がナツメに注ぎ込んでいる水や風の精に由来するものなので、根本的に人間のものとは違うのである。
「何かよくわからないところもあるが、洒落にならない危険を犯してまで助けてくれたのはわかった。まずは本当にありがとう、助かったよ」
「あー……うんわかった」
どうもナツメは真正面から礼を言われる事に慣れていないようだ。ゲオルグはそのさまが好ましいと思った。
「そういえば自己紹介もしてなかったな。改めてだが自己紹介する、オレの名はゲオルグ……」
そこまで言ってからゲオルグは少し考えた。
「ゲオルグ様?」
「いやすまん。ちょっと待ってくれ」
そう言ってゲオルグは少し考え込んだ。
思えば彼はずっと『ゲオルグ』と名乗ってきた。この名はいわゆる前世から持ち込んだものなのだが、それには理由があった。この世界の親からもらったはずの名前をゲオルグは覚えていない。自ら捨ててしまったからだ。
この世にいわゆる記憶持ちと呼ばれる前世記憶をもつ人間は結構いる。だがこの手の特殊能力はそれでなくとも差別の対象になりやすいものだ。自分の愛する子供の中に得体の知れない何者かがいる、そう感じて記憶持ちの子供を虐待する親もこの世界には存在した。そして不幸なことに、ゲオルグを生んだ両親もその中のひと組だった。
彼らはゲオルグが界渡りと知るやその存在自体を拒否した。彼らにとりゲオルグは自分たちの愛し子ではなく、異界からやってきた化物か何かのように見えたのだろう。「近寄るな!おまえは私達の子供ではない!」とゲオルグ当人の前で言い放ち、界渡りを保護する教会の制度を利用して彼を合法的に処分する手続きをはじめた。横にそのゲオルグ当人がいるというのに。
幼児とはいえ大人の人格をきちんと持っていたゲオルグは自分の立場を理解した。だから両親から存在自体を拒否されたと知った時、その両親にもらった自分の名前を破棄した。そしてそれ以降、前世で使っていたゲオルグの名を名乗り続けていたのだが。
「うん」
そう言ってゲオルグは大きく頷いた。
「いきなり中断してすまない。オレはたった今までゲオルグという名だった。これはドイツ人である前世の爺さんからもらった名でオレの宝物だったんだが」
「……」
ああやっぱりそうだよね、ジョージじゃなくゲオルグってあたりがドイツっぽいしーというナツメのひとりごとはスルーして、
「今さらなんだが気づいた。オレはもうアメリカ人じゃない、この世界の人間だ。この世界の名で生きたいと思う」
「ゲオルグ様……そうですか」
昨夜のゲオルグの激変から何か思うところがあったのだろう。プリシラは何か納得したように頷いた。
そんなプリシラとは対照的にナツメは何か考え込んでいたが、
「そう。では炎に関する名はどうかな?」
「!?」
ゲオルグが目を丸くした。
「ちょっとまて、どうして炎なんだ?いや、確かにオレもそれを考えちゃいたんだが。偶然か?」
「んー、なんとなくかな?どこと言われても説明に困るけど、あなたから火の匂いがするのよね」
「……そうか。いやま、よくわからないが、まぁわかった」
ほんの少しの会話しかしていないが、ナツメが特異な人間である事にゲオルグは気づいていた。だから『そういうもの』だと納得した。
「では、オレの名は業火だ。これからはファルガと名乗ろうと思う。たぶん騎士職もひとまず休職になるだろうから、ただのファルガという事になるかな?」
「ファルガ様ですね。そうですか、わかりましたファルガ様」
プリシラは少し考えた末、そのまま受け入れたようだった。
「そう。わたしはナツメ。ナツメ・ナガサカ。たぶん元日本人。こちらでは異界渡りのナツメと名乗っています」
「たぶん?」
「個人的な記憶がほとんどないの。見た風景とかニュースの内容とか客観的なものは覚えてるのに、自分自身に関するところだけ異様にぼやけたり欠落しててね」
「あ。それは無理に思い出さないほうがいいよ。これは神官職としての忠告だけど」
横からプリシラが口を挟んだ。
「そうなんですか?」
「うん。そういうピンポイントで消えてるのは悪い記憶なんだって。たとえば前世での強い憎しみとか恐怖とかね。生まれた瞬間に強いトラウマがあったりしたら生きづらいでしょう?だから消されるんだって」
「そっか……」
それはナツメの前世が酷いものだったという意味でもあるのだが、それを口にする馬鹿はさすがにここにはいなかった。
「で、だ。オレのせいで話が脇道に入っちまってすまない。本題に戻るが、何か手伝える事はあるか?」
ゲオルグ代わってファルガの言葉で「ああ」と納得顔をしたナツメは、
「ではファルガさん。あなたのそばにいたあの子を連れてきてください。あの子が最後のひとりですから」
「わかった」
「助けはいりますか?」
「軽いから無用だ」
ファルガは踵を返すと元の場所に戻り、あの女の子の遺体を抱えて戻ってきた。
「お別れはしましたか?」
「ああ」
「ではそこに寝かせてあげてください。わたしたちで葬ってあげましょう」
三人は女の子を穴の底に寝かせて土をかけていき、最後に石をたてた。
「その墓標は日本式か?」
「はい、むしろわたしはこれしか知りません。他のにします?」
「そうか。いや、これでいいと思う」
三者はそれぞれに祈りのスタイルが異なる。プリシラは唯一神教方式で両手の間に隙間があるし、ファルガのそれは前世におけるキリスト教のスタイルに近い。ナツメは日本人がよく仏式で使う両手をあわせた姿。だがどれにしろ、死者を悼む気持ちだけは全員変わらなかった。
全ての埋葬が終わり、「そろそろ、おいとましますね」とナツメが控えめにここから去る事を告げた。
「もう大丈夫なの本当に?治癒がまだいるなら私も手伝うよ?」
「大丈夫ですよ。それに、あまり待たせるとわたしについてらっしゃる精霊様たちが大変なことになりそうですし」
ふふふとナツメは小さく笑い、そして最後の女の子のお墓を見た。
「この子はつらい目にあってしまいましたが、最後はきっと幸せだったでしょうね」
そう、切な差を秘めたような微笑みでつぶやいた。
「幸せ?なぜ?焼き殺されたってのにか?」
思わずムッときたファルガは眉をしかめたが、
「でもその死を痛み、泣いてくれる人がいたじゃないですか。ファルガさん、この世界の人たちがどういう亡くなり方をしているかご存知でしょう?」
「それは……そうか。確かにそうかもな」
魔獣などが跳梁跋扈し戦争もあり、決して政情も安定しているとは言えない世界である。誰かに看取られて亡くなる、誰かに埋葬されるというのはこの世界ではかなり幸運な部類だろう。魔獣に喰われたり賊に殺されて野ざらしなんてケースも決して珍しくはない。
なるほど、確かにそういう意味では幸せと言えるのかもしれなかった。ファルガは納得していないが。
「では、そろそろ失礼します。縁があればまたお会いいたしましょう」
そう言うと、不意にナツメの身体が陽炎のように揺らいだ。ふたりがアッという間もなく、そのままナツメはそこに居なかったかのように消えてしまった。
後にはただ、立ち並ぶ墓標と穏やかな秋空だけが残された。
「プリシラ」
「はい、なんでしょうゲオ……いえファルガ様」
「今の娘……ナツメか。ナツメが一度死んだってどういう事だ?」
「言葉通りです。彼女は一度即死しているんですよ」
プリシラは頷いた。
「最後の一撃を覚えておられますか?ナツメちゃんの身体に斬りつけましたよね?彼女の盾ごと」
「ああ」
「あの一撃はナツメちゃんの身体を左肩から斜め下に向けて両断したんです。どこからどう見ても間違いなく即死でした。私が助かったのはナツメちゃんのおかげなんですが、私を後ろに飛ばした事でナツメちゃんは完全に無防備のままファルガ様の一撃を受けてしまったんです。彼女はあの通りのローブ姿ですし、ひとたまりもありませんでした。
ですがその直後、あれが起きたんです」
「あれ?」
はい、とプリシラが頷いた。少し顔が青白く見えたがファルガの気のせいとも思えない雰囲気だった。
「物凄い密度で水の気配が増したんです。一瞬、近くにいた私が溺れるかと思ったくらいです。そして文字通り怒涛の量と勢いで水と風がそのあたり一体で渦を巻きまして、気づいたらナツメちゃんの身体もつながっていました。あれはきっと水と風の」
「ちょ、ちょっと待てプリシラ!」
「はい?」
「いや、言ってる事が全然わからないんだが。水の気配ってなんだ?すまないがわかるように説明してくれないか?」
「そうですか……では」
プリシラはひょいと手の平をファルガの前に出した。
「ファルガ様、この手の上に乗っているものが見えますか?」
「いや、何も見えないが……何かあるのか?」
「そうですか……んー、なんといってご説明しましょうか」
ファルガの反応にプリシラはちょっと残念そうだったが、少し悩み、やがてポンと手を叩いた。
「では……これではどうでしょうか?」
「!」
突如、ふたりのまわりで霧が広がった。
「幻?」
「いえ、触ってみてください」
ファルガが手を振り回してみると、じっとりと重い湿気がまとわりついてきた。
「なんだこりゃ。なんでこの晴天下でいきなり霧が」
「私が作りました」
「……はい?」
驚くファルガにプリシラは説明をした。
昨夜の騒ぎの中、唐突に現れたナツメ。何も言わずともプリシラたちの関係を理解していて、さらに自分に水の精霊を見せた事。それを見たプリシラが水の精霊魔法に少し目覚め、少し扱えるようになった事。
話をきいたファルガは驚いた顔をしていたが、やがて納得した。
「ああ、つまり例の件だな」
「例の件?」
「言ってたじゃないか。精霊魔法使いがひとり現れると血がにじむように増えていくって。まぁ悪魔化って表現を精霊的表現にすればどうなるのかはわからないけど、つまりそれってプリシラがあの子にされたみたいに、素質のある奴にその精霊そのものを扱わせてどんどん覚醒させていくって事なんだろう。違うのかな?」
「あ……」
プリシラはファルガの言葉に、改めて気づいたように目を丸くした。
「はい、確かにそんな感じですね」
「そうか……やはりな」
頷くとファルガは空をみあげて、そしてプリシラに向けて頷いた。
「オレは旅に出る。精霊の事とかわからない事が多すぎると思うが、王都は宗教都市だ。異民族の情報なんかが正しく閲覧できるとは思えない。足で歩いてみたほうがいいだろうと思うんだ」
「ええ、いいですね。では出発なさいますか?」
当然のように言い返すプリシラに、ファルガはためいきをついた。
「あのなプリシラ。一緒に行ってくれるとそりゃあオレは嬉しいんだが、おまえの人生は」
「いえ、そっちはとっくの昔にめちゃくちゃですから気になさらず」
「フォローになってねえだろそれ!?」
「知りたいことに精霊が入っているなら私を連れて行くべきでしょう。まがりなりにも教会の神聖術と精霊魔法の両方が使える者は貴重だと思いますが?」
「しかし危険だぞ?おまえは」
「いえ、そういう問題でなく……仕方ありませんね」
そう言うとプリシラは、ずいっとファルガに詰め寄った。気圧されるようにファルガは少し後ろに下がった。
「それを決めるのは私であって、ファルガ様の意思は関係ありません。まさかと思いますけどファルガ様、私が今まで『ファルガ様に従って』大人しくついてきてたなんて勘違いしてませんよね?」
「あー……いやその」
「本当に勘違いしてたんですか、しょうのない人ですね」
プリシラはためいきをひとつついた。
「ファルガ様の考えるような、男にとって都合のいい女の子って意味ならナツメちゃんの方がよっぽど素質あると思いますよ?まぁ、だからといってファルガ様の自由になるわけじゃありませんが」
「ちょっと待て、いくらなんでもそんな事は考えちゃいないと」
「どうでしょう?」
ふーん?と横目でファルガを見てプリシラはうっすらと笑う。
「言葉遣い程度で女を見誤るようでは誰にでも騙されちゃいますよ?ま、私が捕まえてる限りフォローに入れますから問題ないと言えばそのとおりなんですが。あ、逃がすつもりは金輪際ありませんからね?それとも首輪とリードが必要ですか?」
「平然と物騒な発言すんな!って本当に首輪取り出すなよ!どこから拾ってきたんだよそれ!?」
「まあまあ。そんなわけでとりあえずケフティック隧道を目指しましょう。目的地は港町ケフティカというところでどうでしょう?」
「ほう?いきなり具体的な名前が出たな。何かあるのか?」
もちろん、とプリシラは大きく頷いた。
「まずケフティカに限らず山脈東側は交通が不便なので教会の力も弱いんです。だから雑多な民族が混在してます。情報も得やすいとふんでいます」
「なるほど」
「あとケフティック隧道の方ですけど、入り口より西に数時間のところに脇道があって、そこから入ると温泉らしいです。ナツメちゃんが設備工事したそうなので、まったりしていきましょう!」
「ってこら待て、それは遊びであって有益な情報じゃないだろ!」
「いえいえ」
甘いですねえとプリシラは笑った。
「ナツメちゃんの話だと、設備はまだ作ったばかりらしいんですよ。今のところ噂にしているのは風の精霊たちだけなんだそうです。つまり」
「その噂を聞きつけて来た奴がいるとしたら、そっち関係の可能性が高いって事か?」
「はい。ま、そううまくはいかないとも思いますけど、やっておくに越したことはないでしょう」
「なるほど」
ふむふむとファルガは頷いた。
「よし、じゃあ出発するとして食料と水が足りないな。騎士団のテント跡から貰おう。足りなければ村長宅から」
「わかりました。通報はどうしましょうか?」
「どのみちこのへんの近くに教会はないしな。ケフティカから連絡すればいいんじゃないか?何か追いかけてるとか理由をつければ、しばらく時間も稼げるだろうし」
「そうですね。では始めましょうファルガ様」
「ああ」
◆◆◆◆◆
英雄ファルガについてはよくわかっていない点が多い。彼の存在がはじめて確認されたのは東海岸沿いの村落であるが、このあたりの出身でない事は判明している。また『二重魔法』の別名を持つ神官プリシラ嬢はこの当時からファルガと共に確認されていたが、いつからコンビを組んでいたのかはわかっていない。プリシラ嬢はご存知のように唯一神教団の教義を原点回帰の形で変更、同教団教祖が元々目指していたとされる「いかなる人族も仲良く暮らせる世界」を実現しようとした。この道は困難を極めたうえに彼女は何度となく命を狙われたが、その全てをファルガが撃退、この英雄と後の最高司祭ふたりっきりの旅の記録は、後に様々な物語や戯曲に語られる事となった。
(おわり)