第13話 変身(2)
*** ユキ ***
ユキにとってサキと過ごす時間は、リンの憧れの人を絡めとる、スリリングな時間だった。
「新しい自分へ生まれ変わりなさい」
甘美な響きで囁く。
サキの意識を、深く暗い水底へと引きずり込んでいく。
「サキは、正論を『武器』にしすぎているわ。」
ユキは、鏡に映るサキの生真面目な顔を、見つめながら冷徹に言い放つ。
「正しさは時に人を威圧するわ。
救いたい相手にさえ、恐怖を与えてしまう。」
(あなたは、それを知っているわね……。)
「必要なのは、相手の懐にスルリと入り込む『親しみやすさ』という名の擬態よ。」
(あなたはこれから、ベタのように、大きな鰭を纏うのよ……。)
サキの長い黒髪のストレートは、ふんわりと甘いミルクティーベージュの巻き髪へと姿を変えた。
「意志の強さは隠さなくていい。それを『輝き』に変換するの。」
跳ね上げた鋭いアイラインと、瞬くたびに火花を散らすような大粒のラメ。
ユキの細い指先が施すメイクは、サキという少女を別の生き物へと徐々に塗り替えていった。
学校の制服ですら、スカートの丈、シャツのボタンの開け方、着崩し方ひとつで、場を支配する『武器』へと書き換える。
(これで、もうあなたを侮るものなんて、いないわ……。)
ユキは、サキの背後からそっと両腕で包み込み、鏡に映る二人の姿をみる。
サキは『強くて新しい自分』に上気していた。
ユキはその姿を見て満足げに怪しく微笑む。
「いい、サキ。他人の目なんてゴミよ。
基準はひとつ。
自分のテンションが『アゲ』か『サゲ』か。
それだけ。」
ユキは、ギャル特有の『自分軸』を、サキの魂に深く叩き込んでいく。
ユキの言葉によって、サキの持っていた清廉な正義感を少しずつ変質させ、『正しくあるべき』という囲いから、『自分が不快だから叩き潰す』という、わがままで傲慢な『直感的な正義』へと昇華させていく。
「ねえ。その青い石、サファイア?」
ユキはサキの青い石を無遠慮に撫でる。
「そう……思い出のサファイアなの。」
答えるサキの空気感が湿り気を帯びた。
「ふうん。そんな過去に縛られているから、まだ今を楽しめていないのね……」
氷のように冷たく、蜜のように甘くサキの耳元で囁く。
サキの動揺を愉しむように、精神の拠り所に静かに毒を回していく。
「知ってる?ルビーもサファイアも同じ石。
どちらも『コランダム』っていう鉱物。
不純物としてクロムが混ざれば赤くなり、鉄やチタンが混ざれば青くなる。」
(そうよ、根は一つ。)
「……この石もそう。リン……だっけ?その子がこれを渡したのも単なる『依存』よ。
あなたの正義感に付け込んで、『盾』にしていただけ。
彼女が消えたのは、あなたという『盾』が必要なくなったか、重くなったから。」
(リンがあなたに依存でなく、あなたがリンに依存するためのものよ。)
ユキは強引にサキの顎をくいと持ち上げ、自分の方へ向かせた。
「サファイアは硬い。
だけど、一点に強い衝撃を与えれば、あっさり砕け散るのよ。
思い出も同じ。こうやって新しい化粧で塗り潰してしまえば、元の肌なんて見えなくなる。
……ほら、もうすぐあなた自身も、私と同じ色に染まるわ。」
ユキはサキの耳元に顔を寄せ、呪いを注ぎ込むように囁く。
「リンはあなたを『過去』に縛り付ける呪いを遺した。
私はあなたに『今』を生きる自由をあげる……。
鏡を見て。今、あなたの真後ろにいるのは誰?」
ユキの底の見えない瞳の深淵にサキの精神が飲み込まれていく。
「そもそも、小学生が持っているようなサファイアの青なんて、不純物の入っていない合成石……つまり『偽物』の青よ。
そんな紛い物に本物の思い出なんて宿らない。
もし、サキがサファイアを必要としているのなら、私があなたのサファイアになってあげる。」
そう言うとユキは自分のチョーカーを外した。
いつもの赤い石ではなく、青い石が怪しく揺れていた。
『カチリ』
硬質な音を立て、自分のぬくもりが残るそれをサキの上気した首元にそっと装着する。
しかし、青い石は冷たいままだった。
ユキは冷たい細い指でサキの首元のチョーカーを、そっと愛おしげになぞる。
蕩けそうな顔でサキの髪に唇を寄せる。
彼女もまた、ユキに寄り添い、至福の時間を過ごしているようだった。
思い出を『安っぽい偽物』と定義し直し、リンとの絆は無価値な瓦礫へと変質させた。
過去を否定し、サキの精神の拠り所であった思い出を『消失』させていく。
ユキはサキの心がリンから自分へと上書きされることに無上の喜びを覚えるのだった。
真夏の陽光が勢いを失う頃。サキに『美しさ』という武装を纏わせ、新しい仲間達の中心で……学校という水槽のなかで、輝かしい舞台の中で主人公として泳ぎ回る姿へと変えることに成功していた。
* * *
サキの気配がまだ残る自分の部屋で、ユキは1人水槽を眺めていた。
サキはユキの言葉に身を委ね、自分を磨き上げる聖なる儀式……その時間に酔いしれている。
また、ユキもこの時間から離れられなくなってしまっていた。
他の魚たちに無関心であったベタが、ツ、と動いた。
ベタを彩っていたLEDの光が不意にユキの目を刺す。
ユキの網膜が、水槽の青色のLEDの強い光に焼かれる。
あまりにも強い光にユキは思わずよろけてしまい、水槽にぶつかり倒れてしまった。
「あ、痛たた……」
ユキはぶつけたおでこをさすりながら、起き上がる
(……?)
この時からユキの体調に変化が起き始めた。
頭痛に悩まされるようになったのだ。
ユキがサキの精神を蝕めば蝕むほど、心の奥底からリンの声が響いてくる。
(私のサキをもてあそばないで……)
リンの意識が顕在化するようになってきたのだ。




