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深夜の理科準備室 青と赤と紫と  作者: マオ・ウミ


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第12話 変身(1)

 ***  サキ  ***


 ユキと過ごす時間は、サキにとって空っぽだった器が未知の色彩で満たされていくような、充足感にあふれていた。


『新しい自分へと生まれ変わる』


 その甘美な響きは、サキの意識を深い暗い水底に引きずり込んでいく。


「サキは、正論を『武器』にしすぎているわ。」


 ユキは、鏡に映るサキの生真面目な顔を見ながら、冷徹な声で言い放った。


(『正しさ』が『武器』じゃない?!)


「正しさは時に人を威圧するわ。

 救いたい相手にさえ、恐怖を与えてしまう。

 必要なのは、相手の懐にスルリと入り込む『親しみやすさ』という名の擬態。」


 ユキの説得は、魔法をかけたように、サキの心の内の抵抗を奪っていった。


(正しいことをしようとして、苦しまなくてもいいの?)


 それほどに、自分が生まれ変わり、現状から逃げ出すことを欲していたのだ。


 長い黒髪のストレートは、ふんわりと甘いミルクティーベージュの巻き髪へと姿を変えた。


「意志の強さは隠さなくていい。それを『輝き』に変換するの。」


 跳ね上げた鋭いアイラインと、瞬くたびに火花を散らすような大粒のラメ。

 サキという少女は、ユキの指先で施されるメイクによって、徐々に別の生き物へと塗り替えられていった。

 華やかなアクセサリーで上辺を飾る。


 学校の制服ですら、スカートの丈、シャツのボタンの開け方、着崩し方ひとつで、場を支配する『武器』へと変えられていった。


 鏡の前に立ち、ユキは、サキの背後からそっと両腕で包み込んだ。

 鏡に映る二人の姿を見る。


(これが……これが、新しい自分!)


 サキは、鏡の前で変身した自分――『強くて新しい自分』の姿を見て、めまいがするほどの高揚感を覚え、上気し、頬が赤らんでくる。

 ユキはその姿を見て満足げに怪しく微笑むのだった。


「いい、サキ。他人の目なんてゴミよ。

 基準はひとつ。

 自分のテンションが『()()』か『()()』か。それだけ。」


 ユキは、ギャル特有の『自分軸』を、サキの魂に深く叩き込んでいく。


(周りを『正す』のじゃなく、自分が引っ張っていく……?)


 サキの持っていた清廉な正義感は、ユキの言葉によって少しずつ変質していった。

『正しくあるべき』という囲いから、『自分が不快だから叩き潰す』という、わがままで傲慢な『直感的な正義』へと昇華させられた。

 サキの優等生的な面影は鮮やかな色彩の影に隠れて、危ういほどに自由な、孤独な闘魚へと変貌を遂げようとしていた。


(ユキが、新しい、強い自分を引き出してくれる……。

 ユキといれば、きっと……。

 でも、それって……リンが願ってたこと……かな?)


 *     *     *


「ねえ。その青い石、サファイア?」


 ユキはサキの青い石(サファイア)のキーボルダーを無遠慮に撫でた。


「そう……思い出のサファイアなの。」


 答えるサキの脳裏に、リンの微笑がよぎり、(まと)う空気に湿った影が落ちる。


「ふうん。そんな過去に縛られているから、まだ今を楽しめていないのね……」


 ユキの声は氷のように冷たく、蜜のように甘く、サキの耳元で(ささや)かれる。

 ユキはサキの動揺を愉しむように、その精神の拠り所へ、静かに毒を回していく。


「知ってる?ルビーもサファイアも、同じ石。

 どちらも『コランダム』っていう鉱物。

 不純物としてクロムが混ざれば赤。

 鉄やチタンが混ざれば青に。」


(違うものだと思っていたけど、元は同じだなんてことがあるんだ……)


 サキの心にゆっくり、深く刻まれていく。


「……この石もそう。

『リン』だっけ?その子がこれを渡したのも単なる『依存』よ。

 あなたを逃がさないようにするための物。

 あなたの正義感に付け込んで、『盾』にしようとしていただけ。

 でも、あなたという『盾』が必要なくなったのね。だから彼女は消えたのよ。」


 ユキは強引にサキの顎をくいと持ち上げ、自分の方へ向かせた。


「サファイアは硬い。

 でも、一点に強い衝撃を与えれば、あっさり砕け散るのよ。

 思い出も同じ。

 こうやって新しい化粧で塗り潰してしまえば、元の肌なんて見えなくなる。

 ……ほら、もうすぐあなた自身も、私と同じ色に染まるわ。」


(リン……)


「リンはあなたを『過去』に縛り付ける呪いを(のこ)した。

 私はあなたに『今』を生きる自由をあげる……。

 鏡を見て。今、あなたの真後ろにいるのは誰?」


(リン……)


 サキの瞳が小刻みに揺れ動いていた。

 その瞳は、ユキの底の見えない深淵に飲み込まれていく。


「そもそも、小学生が持っているようなサファイアなんて、不純物の入っていない合成石……つまり『偽物』の青よ。

 そんな紛い物に本物の思い出なんて宿らない。

 もし、サキがサファイアを必要としているのなら、私があなたのサファイアになってあげる。」


 そう言うとユキは自分のチョーカーを外した。

 いつもの赤い石ではなく、青い石が怪しく光っていた。


『カチリ』


 硬質な音を立て、ユキのぬくもりが残るそれがサキの首に吸い付く。

 しかし、青い石だけは冷たいままだった。

 サキの上気した首筋に、ヒヤリとした感触が残る。

 ユキの冷たい細い指が、サキの首元のチョーカーを愛おしげになぞる。

 サキは頬を上気させ、そっと瞳を閉じ、ユキとの時間に浸るのだった。


(…………)


 サキは気づいていなかった。

 思い出を『安っぽい偽物』と定義し直され、リンとの絆は無価値な瓦礫(がれき)へと変えられた。

 過去を否定し、ユキの色に染まる現状こそが、本当の意味での『消失』であることに。


 この日から、サキはサファイアのキーホルダーを見失っていた。

 失くしてしまったことの罪悪感はサキの心に存在せず、思いだすこともなくなっていた。


 *     *     *


 ユキとの逢瀬を重ねる毎に、いつの間にか、サキは『美しさ』という武装を(まと)い、今この瞬間を、刹那に生きる、新しい仲間達の中心にいた。

 学校という水槽は、自分が主役として泳ぎ回る輝かしい舞台へと変わった。


 しかしサキが唯一安らげるのは、『ノイズ』のないユキとの静謐な時間だけだった。


 ユキの言葉に身を委ね、自分を磨き上げる聖なる儀式……それこそが、今のサキにとって何物にも代えがたい拠り所となっていた。


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