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深夜の理科準備室 青と赤と紫と  作者: マオ・ウミ


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第11話 水槽(2)

 ***  ユキ  ***


 ユキは改札をでて、一瞬だけサキを見る。

 少し泣きそうな顔に見えた。

 ユキは後ろを振り返ることもせず、住宅街の路に向かって歩き始めた。

 背後からユキを追いながら、サキは堰を切ったように話し始めた。


 卒業式の日のこと。

 親友のリンが忽然と姿を消してしまったこと。

 裏切られたような、捨てられたような、胸を刺す痛み。

 そして、中学でも自分を曲げられず、正義感を盾にして孤立してしまったこと……。


 ユキは無言のまま、相槌を打つことも、振り返ることもしなかった。

 ただ、迷いのない足取りで複雑な路地を縫うように進んでいく。

 沈黙が、サキの告白をすべて吸い込んでいた。


(サキ。私があなたの苦しみを解放してあげるわ……。)


 *     *     *


「……ここよ。」


 辿り着いたのは、入り組んだ路地の突き当たり。

 街の喧騒から取り残された、小さな熱帯魚ショップだった。


 ユキは、小さな熱帯魚ショップの扉を開けた。

 サキは、興味深そうに、入口をゆっくりと見回しながら、ユキに続いて扉をくぐった。


 店内の湿り気を帯びた空気。

 水槽から漏れ出す淡い光。

 静かなエアーポンプの音。

 二人は店の奥へと進んでいく。


 店内は、壁一面を埋め尽くすように幾つもの水槽が並んでいた。

 静謐な光の中に幾種類もの熱帯魚達が、現世の重力から解き放たれたかのように、幻惑的なダンスを踊っていた。


 熱帯魚達の揺らぎは、彼女達の足元に揺れる青い光のカーテンを作る。


 ユキはある水槽の前で足を止めた。


「見て、サキ。」


 ユキの視線の先に、鮮血の赤と深い闇の青を纏ったベタが、周囲を威圧するような大きな(ひれ)をなびかせている。

 その傍らを、ネオンテトラの群れが一条の光となって無機質に通り過ぎていった。


「群れて泳ぐネオンテトラには、個性がみえない。」


 ユキはサキの背後に回り込み肩にそっと手を置き、耳元で(ささや)いた。その声は甘く、けれど剃刀のように鋭い。


「ベタは一匹でしか生きられない。

 同種(なかま)を排除しようとする。

 けど、それ以外には徹底して無関心なの。」


 そう言って、ユキはふわりと水槽の傍らのテーブルに腰を下ろした。

 サキの目は、水槽の中で繰り広げられる色彩の饗宴(きょうえん)に釘付けになっていた。


「なにより、他を寄せ付けない圧倒的な強さと、孤高の美しさを持っている。」


 サキは、うっとりとベタを見つめていた。


 ユキはサキの無垢な手を取り、自分の横に座らせる。

 手を握られたサキの頬にほんのり赤が差す。


 ユキはバッグから何本かのネイルの小瓶を取り出した。


「あなたには、誰にも侮らせないための『武装』が必要よ。」


 静かに、そして甘い言葉と共に、魔法をかけるような手つきで、サキの爪に色を載せていく。

 ブルーからマゼンタへと移ろう、神秘的なグラデーション。


「あなたは水槽の中で、唯一無二の美しい個体になるの。」


 ユキの唇は、冷ややかな毒を紡ぎだし、ゆっくりとサキの心の中に浸透させていく。


 サキは、彩られたばかりの指先を水槽の青い光にかざした。

 その指の動きはぎこちない。

 そして、その輝きにうっとりと目を細めているのだった。


 サキを見つめるユキの目が、赤いカラコンと水槽の青い光がまじり、やや紫がかって反射していた……。


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