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深夜の理科準備室 青と赤と紫と  作者: マオ・ウミ


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第10話 水槽(1)

 ***  サキ  ***


 ホームに立ち、周りを見回したが、一度も訪れたことのない駅だった。

 知らない町の乾いたホームの空気が、サキの不安を駆り立てる。


(なんだろう?この人といるとなんだか安心する……。

 リンに似てるから?)


 緊張しながらも、すこし、ほっとした表情が浮かんできた。


 そんなサキを、ちらっと見て、背を向けて歩き出すユキ。


(お願い……、待って……、おいていかないで!)


 歩き出したユキを小走りで追いかける。


(私の話を……、聞いて……、お願い!)


 ユキの背に向かってサキは堰を切ったように話し始めた。


 卒業式の日のこと。

 親友のリンが忽然と姿を消してしまったこと。

 裏切られたような、捨てられたような、胸を刺す痛み。

 そして、中学でも自分を曲げられず、正義感を盾にして孤立してしまったこと……。


 ユキは相槌を打つことも、振り返ることもしなかった。

 ただ、迷いのない足取りで複雑な路地を縫うように進んでいく。

 その沈黙が、サキの告白をすべて吸い込んでいくような気がした。


「……ここよ。」


 辿り着いたのは、入り組んだ路地の突き当たり。

 街の喧騒から取り残された、小さな熱帯魚ショップだった。


 *     *     *


 ユキは、小さな熱帯魚ショップの扉を開けた。


 キィ……


 蝶番の微かにきしむ金属音が二人を迎え入れた。

 サキは、興味深そうに、入口をゆっくりと見回し、扉をくぐった。


(ここ……熱帯魚のお店なんだ……。

 熱帯魚の専門店なんて、初めてだ……。)


 店内の湿り気を帯びた空気。

 水槽から漏れ出す淡い光。

 静かなエアーポンプの音。

 魚がはねたのか水音が微かに聞こえる。

 二人は店の奥へと進んでいく。


 店の中は薄暗く、壁一面を埋め尽くすように幾つもの水槽が並んでいた。

 静謐な光の中、幾種類もの熱帯魚たちが、現世の重力から解き放たれたかのように、幻惑的なダンスを踊っていた。

 熱帯魚たちのダンスに合わせ揺らぐ光が、彼女たちの足元に青い光のカーテンとなって揺れる。


 ユキはある水槽の前で足を止めた。


「見て、サキ。」


 ユキの視線の先に、鮮血の赤と深い闇の青を纏ったベタが、周囲を威圧するような大きな(ひれ)をなびかせている。


 その傍らを、ネオンテトラの群れが一条の光となって無機質に通り過ぎていった。


「群れて泳ぐネオンテトラには、個性がみえない。」


 ユキはサキの背後に回り込み肩にそっと手を置き、耳元で(ささや)いた。

 その声は甘く、けれど剃刀のように鋭い。


「ベタは一匹でしか生きられない。

 同種(なかま)を排除しようとする。

 けど、それ以外には徹底して無関心。」


 サキの目は、水槽の中で繰り広げられる色彩の饗宴(きょうえん)に釘付けになっていた。


(キレイ……。

 なんだか、青い光に吸い込まれそう。)


 ユキは水槽の傍らのテーブルに腰を下ろした。


「なにより、他を寄せ付けない圧倒的な強さと、孤高の美しさを持っている。」


 サキは、ただ黙ってベタを見つめていた。


(私は、ネオンテトラの群れに入れない?

 ……もっと別の……そう……ベタになれるかな?

 でも、どうやって?)


 鼓動が不自然なほど速くなってくるのが自分でもわかる。


 ユキはサキの手をそっと取り、隣の椅子に座らせた。


「!」


 指先から静電気に似た衝撃が体に走って、思わず手を引いてしまった。

 ユキは怒りもせず、もう一度、ゆっくりとサキの手を取った。

 手を握られ体が緊張で硬くなる。

 頬がほんのり赤くなってきたのがわかった。

 取られた手が熱い。

 照れて、つい俯いてしまった。


「あなたには、誰にも侮らせないための『武装』が必要よ。」


(『武装』?

 それって……どういうこと?)


 何のことかわからず、ユキに視線を戻す。


 そう言って、ユキはバッグから何本かのネイルの小瓶を取り出し、静かに、そして甘い言葉と共に、魔法をかけるような手つきで、サキの爪に色を載せていく。ブルーからマゼンタへと移り行く、神秘的なグラデーション。


「あなたは水槽の中で、唯一無二の美しい個体になるの。」


 ユキの唇は、冷ややかな毒を紡ぎ出し、ゆっくりとサキの心の中に浸透させていく。


(『正義感』で()()んじゃない……誰にも侮られないための『武装』……。)


 サキは今までに考えたことのない言葉に、光を見たような気がした。


 サキは、彩られたばかりの指先を水槽の青い光にかざした。


(キレイ……。

 私の手じゃなくなったみたいだ……。)


 その美しい輝きにうっとりと目を細める。

 それは、新しい自分へと生まれ変わるための、あまりに甘美な儀式だった。


 ユキの赤いカラコンが、水槽の青い光を反射し、やや紫がかっていたのをサキは知らない……。


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