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第七話 モノの正体
男は穴から這い出ることには成功した。
だが、それだけだった。
冷たい雨に打たれ続けた身体は震えも止まり、足首の痛みさえ遠のいている。
痛みが消えたのではない。
感覚そのものが、失われ始めていた。
立ち上がろうとしても腕に力が入らない。
声を出そうとしても、喉がひゅうと鳴るだけだった。
穴の縁から、泥にまみれた手が現れる。
カリ……。
カリ……。
指先が土を掴み、ゆっくりと這い上がってくる。
あの夜、埋めた女のものにしか見えなかった。
一方、玄関先では、家の中にいたモノが男へ向かって近づいてくる。
ズリ……。
ズリ……。
片足を引きずるような音。
濡れた衣服が擦れる音。
二つのモノが、雨の庭で男を挟むように迫っていた。
逃げなければならない。
そう分かっているのに、身体はもう土の上に沈んだままだった。
視界の端が暗くなる。
雨音が遠のいていく。
ズリ……。
カリ……。
ズリ……。
カリ……。
二つの音が、やがてひとつに混ざる。
男の耳元に、湿った息が落ちた。
女の香水に似た、甘く腐った匂いだった。
そして、声がした。
それまでモノだと思っていたものは、最初から声を持っていたのだ。
「ワタシノ……」
掠れた、喉の潰れたような声。
「アナ……」
男の瞳が、かすかに見開かれる。
それが“穴”なのか。
それとも“あなた”なのか。
確かめる前に、意識は闇へ沈んだ。




