第5話 謎の視線と棚の影に身を潜める僕
高校へ進学して十日ほどが経過した。
平穏なのはいいが、望むような『青春イベント』は一つも発生していない。とりわけ厄介なのは部活で、運動強度はぐっと上がっている。
新入部員である1年生は、フィジカルが指導陣の定める水準に達するまでの間、よっぽどのことがない限りはまとめて『Dチーム』へ配属される。チーム昇格はしばらくお預けだ。
要するに、現在は最下層のカテゴリ向けのトレーニングをこなしている。それにもかかわらず、ジュニアユース時代がぬるま湯に感じるほどハードなのだ。
しかも意味不明なことに、僕は監視されているようで……本日の放課後のトレーニング中もそう。
誰かに見られている気がして背後へ顔を向け、バチリとぶつかる視線。相手は、トレーニングウェア姿でDチームを指導する『永瀬コーチ』だった。
クセのあるミディアムヘアと端正な顔立ちを持つ色男が、まるで観察するみたいにじっとこちらを見ている。
接点といえば先日のフィジカル測定で少し会話したくらいで、注視される理由に心当たりはまったくない。
いや、怖っ。なんだろう……僕、なにかしたっけ?
しばらくビクビクしていたら、ふいっと永瀬コーチの顔の向きが変わった。もしかして、単なる自意識過剰?
いずれにせよ、気にしすぎはマズい。ゲロ吐いちゃう。
僕はひとまず、『偶然目があっただけ』と自分を納得させてトレーニングを続ける……ここ最近、ずっとこんな感じだ。
ところが、今度は『パスアンドムーブ』の最中に視線を感じた。ボールを蹴って短くスプリントしながら少し顔を動かしてみれば、永瀬コーチとバッチリ目が合う。
本日はいつも以上に熱視線ですね……いや、本当に何?
まさか僕のモチベーションの低さを見抜いた?
それならそれで、叱責するなりして終わりにして欲しい。視線で訴えかけてくるなんてちょっと回りくどすぎる。
とはいえ、ここは僕からアクションすべきか。決して手を抜いているわけではないと伝われば、この謎の視線地獄から解放されるはず。
もちろん上手いやり方にも見当をつけている。もっとも簡単かつ効果的なやる気アピールは、単純に『声』を出せばいい。
トレーニング中、賑やかなのは基本特定のメンバーだけ(白石鷹昌くんグループ)。その傾向を逆手にとり、寡黙タイプの僕が声を出せば『アイツ今日は気合入ってるな』となるわけだ。
本当なら、永瀬コーチに直接問えばそこで終わる話。けれど少々気が弱く、人見知りする僕ならではの迂遠な手法である……だって、『なんでこっち見てるんですか?』なんて聞くの恥ずかしいし。仮に勘違いだったらその場で恥ずか死ぬ。
決断したら、さっそく行動だ。
僕は体を動かしながら、らしくもなく声を出してみる。
「集中していこうっ!」
「急にやる気出して、キモ……具合でも悪いのか?」
同グループでトレーニング中の白石(鷹昌)くんが茶化してくる。
具合が悪かったら逆に声出さねーよ。ちょっとはこっちの事情を察してくれ……いや、今は彼にかまっている場合じゃない。継続的なアピールが必要だ。
「集中していこうっ!」
引き続き、僕はタイミングをみて掛け声を発する。
やってみて思った。普段はほぼ無言のせいか、極めて語彙に乏しい。
まあ、内容なんてこの際どうでもいい。こうして『やる気』を示した今、きっと監視対象から外されたに違いない……そっと振り返ってみれば、またしても永瀬コーチと視線がかちあう。
おかしいな。アピール不足なのか、それとも別の理由があるのか不明だが、彼はじっとこちらへ視線を向けたかと思えばふいと顔を逸らす、といった仕草を繰り返す。
こちらも諦めずに周囲が軽く引くくらいの声をだしてみたものの、問題は一向に解決しない――しかも災難は続く。翌日も、またその翌日も、謎の視線地獄に苛まれた。
ただでさえ他人の視線が苦手な僕は、肉体的のみならず精神的にも負荷の高い日々を過ごす羽目になった……マジでなにこれ?
***
光陰矢の如し。
時計の針は少しも遅れることなく進み、早くも高校入学から二週間が経つ。
「え、もう二週間なの……?」
そんな平凡無味な現実を、眺めていたスマホのカレンダーアプリによって強く認識させられ、僕は愕然とする……相も変わらぬ、ジュニアユース時代と生活パターンがまるっきり同じだ。
今は起床直後。自室のベッドで温かい毛布を被ったまま、ふと本日の予定を整理しようと思い立ち、流れで高校へ入学してからの日々を想起してみれば、途端に恐ろしい事実が浮き彫りになった。
授業が終わったら即サッカー、家に帰ったら自主トレ。
まるでオチのないパラパラ漫画のような毎日。
仲良しの須藤慎のおかげで学校生活そのものは楽しめているが、己の切望する『青春』の輪郭すら見えてこない。
とりわけ厄介なのはやはり部活。トレーニングメニューは常に更新されており、走力面を含めぐっと運動強度は上がっている。夜の自主トレはセーブせざるを得ず、日課だった早朝ランニングは中断を余儀なくされた。
さらに悪いことに、永瀬コーチの観察は継続中……おかげで体力・精神ともに疲弊しており、空いた時間に『何かしよう』なんて気力すら湧かない。
「……でも、このままじゃダメだ。どこかで違いを生む必要がある」
僕はベッドから起き出してカーテンを開け、冴え光る朝日を浴びながら呟く。
前にも思ったことだが、このままだと瞬く間に三年間が過ぎ去ってしまう。後に残るのは、ぱっとしないサッカーの記憶ばかり。
色鮮やかな青春を渇望する者として、現状を看過することはできない。
だが、案ずるには及ばず。なにせ本日は月曜、待望の完全部活オフ!
これまでの休みは『サッカー協会に提出する写真撮影』や『ミーティング』、さらには『戦術分析』などの時間に充てられていたので、実質初めての放課後フリータイム。
「きっと大きな変化が訪れる……そんな予感がする!」
アファメーションの効果を期待してあえて宣言する。根拠なんていう小難しい話はさておき、さっさと登校準備を整えよう。
「あ、お兄ちゃん。おはよー」
「おはよう、兎唯」
制服に着替えて向かったリビングで、ルームウェアのまま先に朝食をとっていた妹へ挨拶を返す。
僕はそのまま対面の席に腰をおろした。すると今度は、母が「おはよう」と言って朝食の皿をテーブルに並べてくれる。
今朝もヘルシーながら結構なボリュームだ。手を合わせ、「いただきます」と感謝してから箸をつける。
「パパはもう仕事行ったみたい。早めに出勤する日なんだってさ」
「ほーん、だからいないのか。あ、醤油とって」
妹と他愛ない会話を交わしながら食べ進める。父がすでに出社したことを除けば、おおよそいつも通りの朝食風景である。
「ていうかお兄ちゃん、もうすぐゴールデンウィークだよ。わかってる?」
「え、わかってるけど……?」
「じゃあ予定は? どっか遊びに行ったりしないの?」
「うーん、部活かなあ。連休明けには中間テストもあるし、勉強もやっとかないと」
新進の強豪校と目される栄成サッカー部は、ゴールデンウィークも活動予定でびっしり。ただでさえハードなのに、その後には中間テストまで控えている。赤点を取ると面倒なことになるため、のんきに遊んでいるようなヒマはない。
「はぁ、やっぱり理解できてないんだね。お兄ちゃん、残念だよ……いいや、残念なお兄ちゃん、と言った方が適切かな」
唐突なディス。なにやら会話の風向きが変わってきたぞ。妹のトークスキルの切れ味が良すぎて、さすがにこの兄もタジタジだぜ。
それで、僕が何を理解できていないって?
「いい? 夏は高校生カップルにとって、素敵なメモリーをたくさん作る絶好のチャンス。そして夏に向けて成立するカップルの約七割が、ゴールデンウィークで交流があった異性からパートナーを選んでいるの」
「なん……だと……!?」
僕は茶碗を持ったまま硬直する。世界の真実を明らかにする妹は、まるで乱世を平定へ導く天才軍師のような威を纏っていた。
羽扇の奥で光る瞳は、新時代を見据えているに違いない……なんだこれ、錯覚か?
「情報ソースは愛読のティーンズファッション誌だよ。世界一の信用度を誇るわ」
兎唯はキメ顔でそう付け加えた。
裏付けもあり、もはや疑う余地なし。確かに、ゴールデンウィークを共にエンジョイした男女がくっつくのは至極当然の流れ。ヒマワリが春に芽生え、夏に大輪の花を咲かすのと同じ道理だ。
「……つまり、ゴールデンウィークに女子と遊べば七割の確率で付き合えるってことか!?」
「お兄ちゃん、計算が下手にも程があるよ」
「して、妹様よ。いかにすれば女子とゴールデンウィークに遊べるのでしょう。どうか、この愚昧なる兄に知恵をお貸しください……!」
「ほむ、よかろうなのだ。天才美少女恋愛アドバイザーたる兎唯様が、特別に教えてしんぜよう!」
ゴクリ、と僕は息を飲む。
知能指数の低そうな妹の肩書はともかく、夏のカップルメモリーなんて青春の体現と言っても過言じゃない。是が非でもフラグを突き立てねば。
ソファに座ってテレビを見ていた母の、「兎和にあんまり変なこと吹き込んじゃダメよ」という声がすこしも引っかからずに耳を通り抜けていく。
待ち望んだ答えは、深呼吸たっぷり二つ分の間をおいて示される。
「耳をかっぽじってよぉく聞けいっ! 恋の扉をひらく鍵は『グループ交際』にあり!」
「ぐ、グループ交際!?」
「そう。よく知らない男子から二人っきりのデートに誘われるなんて、ちょっとした恐怖体験だよ。そもそもデートは、距離の近い男女がお互いの相性を確かめるためにするの。だから最初に、グループで遊んでターゲットと仲良くなっておく必要があるわ!」
提示された策は、『一般相対性理論』を初めて知ったときと同種の衝撃を伴っていた。ほぼビックバンだ。新世界の誕生だ。
そうか……恋愛って着実にステップアップしていくものなんだな。ひと目惚れからの急な告白でハッピーエンド、なんて所詮はフィクション。
翻って考えるに、きちんと段階を踏めばカップル成立も夢じゃない。ひいては、僕好みの『甘酸っぱい青春』を味わうことも叶う。
我が妹ながら恐るべき智謀……なんだろう、今なら彼女できそうな気がする。ターゲットは特に決まってないけれど。
やはり本日は、大きな変化が訪れるメモリアルデーになりそうだ。のんびりメシ食っている場合じゃねえ!
「ありがとう、兎唯! 学校行ってきます!」
「お兄ちゃんってほんと単純」
妹の戯れ言を聞き流しながら大急ぎで朝食を平らげ、リュックとブレザーを抱えたまま家を飛び出す。僕が青春イベントを発生させるとしたら学校をおいて他にない。
自転車にまたがったら全力でペダルをぶん回し、通学時間のタイムアタック最高記録を樹立。履き替えたスクールシューズのかかとを踏んだまま1年D組の教室へ駆けこみ、席でスマホを眺めていたお目当ての人物の元へ向かう。
「おはよう、慎!」
相手はもちろん、クラスメイトで友達の須藤慎だ。本日は制服にパーカーを合わせている。
ちょっとびっくりした表情の彼を見据え、僕は呼吸を乱したまま曇りのない笑顔を浮かべ提案する。
「ゴールデンウィークどっか遊びに行こうぜっ、みんなで! グループで!」
「おう……え? いや、部活あるから無理じゃねーかな。試合もあるし」
「あ、そっすか……」
かくて、新世界は早くも滅亡の危機を迎えた。
僕の青春は前途多難が過ぎる。
***
「じゃあ兎和くんがシナシナなのは、ゴールデンウィークに慎と遊べないからなんだ。部活忙しいもんね」
昼休み。しおれたポテトみたいになっていた僕を見て、一緒にお弁当を食べようとD組へやって来た三浦千紗さんが首をかしげた。
彼女は慎の恋人で、お隣のC組の所属。
表情がコロコロと変わるタイプで、笑うとエクボができる。ガーリーなボブヘアがさらに純真さをプラス。
体格はかなり小柄で、長身の慎の横にいるとまるで大人と子どものよう。ただし、カップル間の力関係に身長差は影響しないらしい。
「ほら慎、さっさと机寄せて。私が座れないじゃん」
空いている前の席を拝借し、三人分の昼食スペースを確保する。
指示を出すのは三浦さんで、実際に働くのは慎。このペアの場合、主導権は完全に彼女さんが握っている。
「まぁ、気持ちはわかるよ。やっぱ遊びたいよね、高校入って最初の大型連休だもん。でもバスケ部とサッカー部は休みなしだなんて、体育会系は残酷だよねぇ」
椅子に座りながら、三浦さんが同情してくれる。
話題は、僕がへにゃへにゃな理由。
仕方ないだろ。ゴールデンウィーク、どうしてもグループで遊びに行きたかったんだから……お弁当を食べながら強く訴えてみれば、二人揃って微妙な表情で慰めてくれた。
だが、逆にお尋ねしたい。慎も部活漬けなら、せっかくの連休なのにデートもままならないはず。不満はないのだろうか。
「私と慎は夜ごはん食べに行ったりするから、連休中まったく会えないってことはないよ。試合の応援も行くし」
えげつないカウンターを食らい、弁当吹き出しそうになった……なにそれ、羨ましい通り越してもはや憧れの領域だ。
僕なんて、友人と外食に行った経験ほぼゼロだぞ。試合も、家族以外を招待した記憶がない。
「いいなあ、夜のファミレスとかすごく興味ある。ドリンクバーと山盛りのポテトフライを囲んで友達とワイワイしてみたい」
「だったらさ、兎和くんも一緒にごはん食べ行こうよ。ゴールデンウィーク中に予定合わせて」
「え、マジで!? いいの?」
「うん。よかったら私の友達も誘っていい?」
望外の提案に、僕はノータイムで飛びつく。
もとより慎の次に三浦さんもお誘いする予定だった。その後は、あわよくば二人の知り合いも声をかけてもらおうと企んでいたので、この展開は願ったり叶ったり。
「いいじゃん。ならさ、カラオケでも行こーぜ。メシも食えるし」
上級者すぎる発言をしたのは、対面に座る慎。
僕は「絶対に行く!」と激しく首肯する。男女混合グループでのカラオケなんて青春の象徴も同然。高校時代に体験したか否かで人生の満足度が大幅に変動するという。
急いでボイストレーニング教室に通わないと……忙しくなってきやがった。
それはそれとして、本日の放課後の予定をつくらねば。貴重な完全部活オフなのだから、友人と遊びに行くなど有意義に時間を使いたい。
「ゴールデンウィークは決定として、今日はどう? 放課後どっか遊びいこうよ」
「あー、今日は無理だわ。うちの部は水曜が休みだし、なかなか予定が合わねーよな」
慎の言うように、バスケ部とサッカー部の休みは基本被らない。知っていたから、残念ではあるがダメージは軽微。無論、三浦さんを誘うようなマネもしない。
そもそも僕には腹案がある――ソロで放課後を満喫してやる、という極めてシンプルな作戦だ。
言うまでもなく、同じサッカー部の誰かを誘うようなコミュ力はない。
ゴールデンウィークの予定だけに留まらず、貴重な部活オフを充実させられたなら……この一日が、僕の歴史に『完全無欠のメモリアルデー』と刻まれるのは確実だ。
楽しいランチタイムを過ごしながらも、サッカーオンリーの生活から脱却すべく密かにプランを練っていく。
***
僕は今、棚の影に身を潜めていた。
よりにもよって、吉祥寺のデパート五階にあるスポーツショップで……なぜ不審者のような行動を取っているのかとえば、すぐそこに『神園美月』と『永瀬コーチ』がいるからだ。
栄成高校の同級生であり、入学して早々にアイドル的人気を獲得した超絶美少女。
部活中に謎の視線を送り続けてくる不審なコーチ。
意味深なペアだ……商品を物色しつつ親しげに会話する様子から、ただならぬ繋がりを感じる。もしかすると僕は、けっこうスキャンダラスな現場を目撃しているのでは?
推測するに、恋人関係なのだろう。永瀬コーチは栄成サッカー部の指導陣の中で一番若いが、大人の魅力プンプンのイケメンなので釣り合いも悪くない。
なんにせよ、見つかって面倒事に巻き込まれるのはゴメンだ。ならば、このままそっと姿を消すのが最良である。
「こんにちは、白石兎和くん」
「ひょえっ!?」
ところが、背後から急に声をかけられ、僕の口から変な声が飛びだす……ちょっと魂出たかも。
反射的に振り返ると、すぐそばに神園美月が立っていた。スクールバッグを肩にかけ、どこかキョトンとした表情を浮かべている。
「もしかして、驚かせちゃった?」
驚いたし、結局見つかってしまった……待望の部活オフだからと、青春を満喫すべく意気揚々とやって来てみればこの有様だ。
というか、どうしてこうなった――僕は対応に困りながらも、頭の中で時計の針を少しだけ巻き戻す。
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