第198話
ロッカールームには汗と熱気、それに荒々しい闘志で満ちていた。
ベンチに深く腰掛け、荒い呼吸を整える選手たち。その視線が集まる先は、チームの指揮官たる豊原監督だ。
「守備とビルドアップ時の立ち位置を修正するぞ。いいか? よく集中できているが、少し相手のサッカーと噛み合いすぎている。もっと自分たちのリズムを意識しろ」
監督は迷いのない手つきで作戦ボードのマグネットを動かしながら、簡潔に戦術の修正ポイントを指示していく。
ほどなく短いミーティングが締められると、今度は堀先輩を中心にポジションの確認やプレービジョンの共有が始まる。とても大事なコミュニケーションだ。もちろん僕もその輪に加わるべく、玲音と拓海くんの隣へ……向かおうとしたところで、ふと永瀬コーチに呼び止められた。
「兎和、後半10分を目安に投入するぞ。時間は限られるが、フィジカルコーチからプレー許可が出た。今のうち、ガチガチにテーピングを巻いてもらってこい」
ごうっ、と。
腹の奥底で、熱い何かが渦巻く。
この試合は予選のレギュレーションにより、40分ハーフ。延長は10分ハーフ。つまり、最大でも50分前後なら問題ないという判断だ。
望むところ……どころか、もっと早く出たくて仕方がない。
「異変を感じたらすぐに合図を出してね。プレーしたいのはわかるけど、無茶だけは絶対に避けるように」
「あ、はい! 気をつけます!」
フィジカルコーチの注意とともに、まだ少し張りのある太腿へ幾重にもテーピングが巻きつけられていく。伝わってくる強い圧迫感が、今にも暴れだしそうな気持ちを引き締めてくれた。
それからまた気炎を上げる皆の輪に加わり、ピッチサイドの自陣ベンチへ戻る。
いよいよ、勝負の後半戦が始まる――その前に、東帝が動く。
わかっていた。ロッカールームから僕たちが戻ってきたとき、彼は黙々とピッチで汗を流していたから。一足先にカナリアイエローの『#10』、黒瀬蓮の投入だ。
今度こそホイッスルが鳴り響く。両陣営のチャントが響く中、ついに後半がキックオフ。
僕はベンチ脇のスペースでアップを続けながら、立ち上がりの展開を見守る。そしてすぐ、「すっげ……」と思わず声をこぼす。
端的に言って、蓮くんの入った東帝はすごかった。
これまでは、怒涛のごとく押し寄せる濁流。そんな印象だった攻撃が、いまは明確な『方向性』を与えられ、ぐんと圧力と鋭さを増している。
たった一人入れ替えただけで、こうも違うのか。
彼がボールに触れるたび、まるでギアを上げたみたいに東帝の攻勢が強まっていく。それはやがて、栄成の守備ブロックを打ち崩すまでの流れを生む。
迎えた後半7分。
試合を動かしたのはやはりこの男、天才ゲームメーカーたる黒瀬蓮。
栄成は、細かい連携でプレスをいなしながらビルドアップを試みる。しかし敵陣へ侵入したところで、東帝のボランチが強烈なチャージからボールを奪取。
即座にファウルを訴える声が上がり、わずかに選手たちの集中が弛緩する。
このプレーに対し、主審の判定は――ノーホイッスル、プレーオン。
この隙を、蓮くんは見逃さない。スペースへ走り込みつつボールを呼び込み、ダイレクトで前方へ長く鋭いグラウンダーのパスを送る。
同時に、東帝のFWも動き出していた。集中を切らさず、絶妙なタイミングで裏へと抜け出す。マークについていた栄成のCB、梅田洋治先輩を完全に振り切り、芸術的な軌道を描くボールをフリーで足元に収めた。
まさにドンピシャ、震えがくるほど鮮やかなキラーパス。
たったワンプレーで、栄成の守備陣が無力化された。
東帝のFWはそのまま20メートルほどを独走し、GKとの1対1へ突入。最後は冷静に流し込むようなシュートを放つ。
こちらの守護神である石黒先輩も全身でコースをブロックするが、届かない。ボールは止まることなく、ゴール左下隅に柔らかく吸い込まれていった。
これで、スコアは『1-2』。
落胆の悲鳴がさざめく栄成陣営、歓喜に沸く東帝陣営。
試合の流れをぐっと引き寄せるビッグプレーの衝撃が背筋を貫き、余韻がなかなか抜けない……そんな中、落ち着き払った永瀬コーチの声が飛んでくる。
「兎和、出番だ。まずは試合を振り出しに戻してこい」
僕はビブスを脱ぎ捨て、所定の手続きを経て交代エリアに立つ。
大きく息を吸い、ピッチへ顔を向ける――視線の先にいる蓮くんが、こちらに気づいて不敵に唇の片端を持ち上げた。
ややあってプレーが途切れ、主審が交代を認める。
入れ替わりでピッチを退く先輩が、小走りでこちらへ戻ってきてハイタッチを交わす。
「頼むぞ、兎和!」
「あ、はい! 頑張りまっす!」
その場で体を屈め、青のソックスの上からレガースをそっとひと撫で。
私はいつだって隣にいる――美月のメッセージを指先で読み取り、一度スタンドを振り返って青く輝く瞳と視線を重ねた。
ふっと、緊張と全身の強張りが解けていく。
再び前を向き、僕は颯爽とピッチへ駆け出した。
「待っていたぞ、相棒! 栄成の勝利の象徴、エル・コネホ・ブランコの登場だ!」
「さっきの1点で東帝にビビってるやついる? 反撃すんぞッ、気合い入れろ!」
玲音と拓海くんが大声でチームを鼓舞する。すかさず堀先輩たちから、『後輩がエラソーに仕切んな!』や『それマンガのパクリだろ!』とブーイング混じりの雄叫びが上がる。
これぞ栄成スタイル、俄然気合が入った。
さあ蓮くん、サッカーしよう。
試合はリスタート。僕はピッチに渦巻く熱量にこの身を溶け込ますように足を動かす。しかし相手は東帝、思うようにはやらせてくれるはずもない。
思い切ったダブルチームの対応で、ボールを持ってもなかなか前を向かせてもらえないのだ。
強引に狭いスペースを抜けようとドリブルを仕掛ければ、まさかの三枚目が詰めてきてあっさりカットされる。
しかもその相手が蓮くんで、僕は体勢を崩してピッチを滑る。
「簡単にはやらせねーぜ、兎和! 俺は、お前の怖さをちゃんと理解してっからな!」
「くそっ! まだこれからだ!」
パスを送った蓮くんの挑発が降ってきて、自然と力のこもった笑みが浮かぶ。
ただ、足の状態もある……きっとそう多くチャンスはやってこないだろう。
もっと集中しろ。チームのために、自分のために。何より美月のために――心はワクワクと躍らせたままでいい。だが頭は、冴え渡るほど冷静に。
僕は立ち上がり、蓮くん擁する東帝と何度もぶつかりあう。
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