第186話
最近は天気が悪く、テレビの週間予報でも雨マークが並んでいた。
実際、夜更けにひと雨あったようだ。しかし朝になって窓の外をうかがうと、厚い雲の向こうに太陽の気配を感じ取ることができた。
そんな曇天ながらも澄んだ空気が漂う朝。
栄成サッカー部のジャージを着て家を出た僕は、紫陽花が色づき始めた通学路を自転車で駆け抜ける。
登校するにしてはちょっと早く、道を行き交う人や車はまばら。
どうにも気持ちが高ぶっていたらしく、スマホの目覚ましが鳴るずいぶん前に自然と目が覚めてしまったのだ。
それというのも、本日は6月1日。
ついに、待ちに待った体育祭の開催日が訪れた。
今年もまた因縁めいた騒動に巻き込まれはしたが、それもイベントを盛り上げるひとつの要素として大いに楽しむつもりだ。去年の騎馬戦に比べたらぜんぜん大したことはない。
もちろん全力で挑む。僕の大好きな人が勝利をお望みだからな。
ただし、怪我には細心の注意を払わねば。明後日には、夏のインターハイ・東京二次予選が控えている。
スケジュールを頭の中で整理しながらペダルを漕いでいると、栄成高校の校舎が見えてきた。関東大会優勝の垂れ幕の端っこが風に揺れている。
いつも通り駐輪場に自転車を止め、下駄箱でスクールシューズへ履き替える。そのまま人影の少ない廊下を抜け、2年A組の教室後方の扉を開く。
次の瞬間、先ほども思い浮かべた大好きな人の顔が視界に飛び込んでくる。
「あら、おはよう兎和くん。今日も早いのね」
自分の席で柔らかく微笑む美月は、めちゃくちゃオシャレなスポーツウェア姿だ。すっかり体育祭仕様って感じ。毎度ながら、うちの学校って服装規定が緩いよな。
「おはよう、美月。なんか目が覚めちゃった」
僕は笑顔で挨拶を返しつつ、自分の席へ向かう。
荷物を置いたら椅子に腰掛け、そのまま美月と雑談を楽しむ。教室にはほとんど人がおらず、なんとも穏やかな時間が流れていた。
「あ、そうそう。お弁当を作ってきたから、お昼は一緒に食べましょうね。それと、はい。これどうぞ」
スクールバッグから青のハンドタオルを取り出し、こちらへ差し出してくる美月。
小首をかしげつつも受け取る。もしかして、『生徒同士でタオルを贈り合う』って例のイベントに便乗してみたくなったのかな。そもそもは去年の僕たちが発端なのだけれど。
「せっかくの体育祭だし、記念にね。兎和くんの好きなふわっふわのタオルよ。今日はそれ使って」
「ありがとう……でも、ごめん。僕は、お返しにプレゼントできるタオルを持ってきてなくて……」
部活用の擦り切れたタオルはあるが、アレは雨の日とかに股間まで拭いたやつだからな。洗濯したてとはいえ、美月へのプレゼントとしては不適切すぎる……それどころか、触らせるのすら躊躇われる。
もらった方だって困る。真実を知ったら、悲鳴を上げて投げ捨てかねない。
「お返しは大丈夫。それより、総合優勝を私にプレゼントしてちょうだい。去年も勝てなかったんだから、今年は頑張らないとね」
「僕一人じゃどうにもならないでしょ、それ……もちろん全力を尽くすけどさ。というか、美月はまた玉入れだよね? 他の競技にエントリーすればよかったのに」
ものすごくいい匂いのするタオルに内心ドギマギしながら、僕は言葉を返す。
美月は運動神経もいいから、他の競技に出場すれば『青団』の勝率も上がるはず……しかし本人は「玉入れの賑やかな雰囲気が好きなの」と、今年どころか来年の出場まで視野に入れている。
まあ、別にいいけどね。美月に勝利をプレゼントするのは、いつだって僕の役目だ――なんて言葉にはできなかったけれど、心の中で人知れずカッコをつけたりしちゃって。
「おはよー、美月! 今日もびっくりするくらい美少女だね!」
それからまた雑談を楽しんでいたら、登校してきた木幡咲希さんや他の女子たちが美月の周りに集まってくる。それぞれ学校指定のジャージに私服のウェアを合わせたりして、全体的にとても華やかだ。青を基調にしており、一体感もバッチリ。
「おはよーさん兎和、神園。二人とも今日は早いじゃん」
「美月ちゃん、おはよー! そのウェアも可愛すぎない? どこのブランド?」
女子に囲まれて僕が若干気まずい思いをしていると、すぐに慎や三浦さんがやってきて声をかけてくれた。
さらに柔道部の健太郎くんと大輔くんのマッチョペアや、立候補して体育祭実行委員を引き受けてくれた沼田智美さんがこちらへやってきて、教室の賑わいはピークに達する。
いつもながら、僕も自然とクラスメイトの輪に混ぜてもらえている。これが本当に嬉しくて、ますますこのクラスが好きになる。
やがてジャージ姿の女性教師――担任の飯塚先生が姿を現し、出席が取られる。ついでに「体育祭だからってはしゃぎすぎるなよ」と軽く注意を受けた後、僕たちは多目的グラウンドへ向かった。
曇天の下でも鮮やかに緑映えるこの人工芝フィールドが、本日の体育祭の舞台。
去年と同様、外周には仮設テントとパイプ椅子がびっしりと並んでいる。席の配置は、やはり団ごとかつクラス単位。
各色のハチマキを揺らしつつ盛り上がる生徒たちの流れに混じり、僕たちも青の団旗が翻る陣営へ向かった。
ひとまず名前順に座って開会式を待つ。付近を見渡すと、同じ団の加賀さんや中川翔史くんと目が合う。互いに手を振り、笑顔で挨拶を交わした。
しばらく経つと開会のアナウンスが流れ、代表生徒がステージの上に姿を現す。
『宣誓! 我々選手一同は、スポーツパーソンシップにのっとり正々堂々と闘うことを誓います!』
マイクを通し、代表生徒の声がグラウンドに高らかと響く。
微かに湿り気を帯びた風が4色の団旗を揺らす中、高校に入って二度目の体育祭が始まった。
競技が始まれば、席移動は自由となる。なので、すぐに仲良しグループで固まった。僕、美月、慎、三浦(千紗)さん、加賀さん、翔史くん、木幡さん、などなど。他にもA組の女子グループが集まってきて、ひときわ賑やかだ。
午前の部のオープニングを飾る種目は、前年と同様に『100メートル走』だ。スターターピストルの号砲が曇り空へ向けて撃ち放たれるたび、観戦席から歓声が飛ぶ。
「おー、今年もえらい盛り上がりだな」
「それ、去年も似たようなこと言ってたよな」
仲良しグループで陣取った席の中央で、僕は前列の頭越しに競技を眺めていた。すると斜め後ろから寄りかかってきた慎が、楽しそうな顔で周囲を見回しつつ口を開く。
返事に合わせて顔を動かしてみれば、陣内の雰囲気はまさにお祭りといった感じだ。カラフルなフェイスペイントを施したり、派手なオリジナルうちわを持っていたりする生徒が多く見受けられる。去年以上に派手だ。
服装も様々。僕はサッカー部のジャージを着ているが、慎なんかはバスケ用トレーニングウェアを着ている。相変わらずスタイルが良く、腹立つがカッコイイ。
「ていうか、なんか3年生がめちゃ気合入ってない? どしたんだろ」
「タオルを贈り合ったりしたからでしょ。それに最後の体育祭だから、『優勝目指して本気で盛り上がる』って、さっき話した先輩が言ってたよ。去年の白石兎和が大活躍した騎馬戦で火がついたみたい。こういうのが栄成の伝統になるのかな? そうなったらいいなぁ」
三浦さんのふとした疑問に、木幡さんがワクワクした風に答える。
誰が火をつけたかはともかく、優勝目指して本気で盛り上がる……最高に素敵な心意気だな!
うちの高校は偏差値が高めで、サッカー部を除けば文化系の気風が強い。そのため、体育祭などの行事はお祭りで勝敗は二の次、といった意識が前提にあった。
ところが、今年からは違うらしい。
この熱量が定着し、いずれ栄成の伝統と呼ばれるようになるのだろう。
ならば全力で応援せねば、と僕は立ち上がって大声でエールを送る。否、慎や翔史くんたちが同時に声を発してくれて、情熱の火がたちまち周囲に伝搬していくのを感じた。
プログラムが進むにつれ、青団全体の声量は増していく。これに他の団も触発されたらしく、やがてグラウンド全体がオリンピックでも観戦しているかのような盛り上がりを見せるようになっていった。
とりわけ午前の部の半ばに開催された『玉入れ』では、登場した美月が明らかに困った顔をするほどテンション爆上がり。
僕なんてジャージを脱ぎ捨て、上半身ハダカでTシャツを振り回したほどだ。しかも慎や健太郎くんたちまでノッてきて、多くの男子が服を脱ぎ一緒に叫んでくれた。ちょっと感動!
しかし競技を終えて戻ってきた美月に、「すぐハダカにならないの……去年からまったく成長してないじゃない」と叱られた。他の男子も、仲良しの女子から注意されて苦笑いである。
その後、大盛況のうちに体育祭・午前の部の全プログラムは終了。
お昼は、各自教室へ戻って過ごす。
僕は美月が作ってきてくれたお弁当をいただく。相変わらずうちの母からレシピを伝授されているようで、近頃はますますレパートリーが豊富になってきた。味もボリュームも大満足。
それにしても、本当に感慨深い。まさかこの僕が、同級生女子の作ったお弁当を食べられるようになるなんて……専属マネージャーとしての立場ゆえの配慮とわかっていても、喜びと満腹感で胸がいっぱいだ。
途切れることなく続く体育祭関連の話題に相槌を打ちながら、僕は密かに幸福感に浸るのだった。
お昼休み終了のアナウンスに合わせ、再びグラウンドへ戻る。
少しだけ雲が薄くなった空の下、午後の部は前年同様に応援合戦からスタート。有志メンバーによって結成された応援団による創作ダンスの披露を経て、エール交換が実施された。
次のプログラムは、クラブ対抗リレー。こちらは主に3年生が参加する種目で、仮装して走るなど和やかムードで進行した。
さらに女子による白熱の『棒引き』などを挟み、大注目の騎馬戦のお時間が訪れる。
去年の原色連合との戦い大変だったな……青団の陣営で、さっそく始まった1年生たちの激闘眺めていたら、ふと印象深い思い出が蘇る。そのせいか、ちょっとだけ『僕も出てもよかったかも』とか思わないでもない。
「なんだ、兎和。本当は騎馬戦に出たかったんじゃないか?」
「……少しだけね。ほんのちょっぴり、出てもよかったかなって」
斜め後ろから寄りかかってきた慎に内心を言い当てられ、ちょっと驚く。
そんな我が親友も、僕が出ないと知って騎馬戦を辞退した。さらには、健太郎くんと大輔くんまで。彼ら曰く、『俺たちの騎手は兎和だけだ』らしい。
話を聞いたとき、不覚にも泣きそうになった。決断を翻しそうにもなった。けれど、今年は未体験のチャレンジ続きの日々に上手く順応すべく、どうしてもサッカー部の活動に注力するしかなかった。
それでも、きっと来年は――僕は振り返り、慎の目を見て言う。
「慎、来年は騎馬戦に出よう。そんでまた大暴れして、伝説を作ろう」
「オーケーだ、親友。健太郎と大輔も喜ぶぜ」
声援が響く中、互いにニヤリと笑みを浮かべてグータッチを交わす。
そして直後、僕だけ「あうっ!?」と情けない声を漏らす。隣に座る美月が、なぜか嬉しそうに脇腹を突いてくる。
「午前中に言ったアレは取り消しね! ちゃんと成長している!」
「なんだそれ……てか、つっつくのやめて!」
相手が男子なら、僕も必殺の『16連打突き』で反撃している……が、流石に美月が相手では防戦一方。すかさず木幡さんが、「また美月と兎和がいちゃついているっ!」と茶々をいれてくれたおかげで、すぐ騎馬戦の応援に戻れたけれども。
「――うぉぉぉおおおおおッ! 兎和先輩、姉御、見ててくれましたか!」
グラウンドへ視線を戻すと1年生の部の決着がついており、騎手として出場していた寿輝くんが勝利の雄叫びを響かせていた……ごめん、ほとんど見てなかったよ。
その騎馬を務めた有村悠真くんと坂東理玖くんたちがやたら疲れた顔をしているあたり、相当な激戦だったらしい。三人ともナイスファイト。
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