第185話
チャイムの音とともに訪れた、授業合間の短い休憩時間。
賑わう2年I組の教室で、この俺――小俣颯太が自分の席に座っていたら、こんな噂が聞こえてきた。
名前だけ知っているクラスメイトの男子曰く、『学年別選抜リレー・2年生の部で勝利すると、あの神園美月からタオルの贈呈がある。さらに、もっとも貢献度の高いランナーが希望すれば部活面で彼女のサポートを受けられる』だってよ。
勝手に盛り上がりやがって、と俺は次の授業の教科書を準備しながら鼻で笑う。
すっかり体育祭ムード一色に染まった栄成高校のあちこちでは、先ほどのアホみたいな噂がひっきりなしに飛び交っていた。
この前の俺と兎和のやり取りが、あっという間に広がったらしい。それも、大きな尾ヒレを生やしながら。
まったく、この学校は騒ぎに事欠かないな。
イベントの度に、決まってしょうもない噂が流れてくる。
まあ、神園美月という特別な人間が同じ学内にいる以上、騒ぐなと言う方が難しいか。なにせトップアイドル顔負けの超絶美少女だ。隙あらば近づこうと、男女問わず多くの生徒が熱視線を送っている。
俺だってそう。入学して彼女をひと目見たその瞬間、心臓が止まるかと思うような衝撃を受けた……いや、呼吸は確かに止まっていた。見惚れて、少しのあいだ身動きひとつ取れなかったのを鮮明に覚えている。
それ以来、神園美月に振り向いてもらうためにアレコレ努力した。
白石鷹昌たちのグループに所属し、スクールカースト上位の1軍男子としての立場を固めた。サッカーが好きだという噂を聞いたから、部活だって真剣に頑張っている。
他にも鷹昌と作った部内派閥の参謀としてアプローチ方法をいろいろと考えたりして……とにかく俺は、あの美しい青い瞳に映りたくて仕方なかった。
それなのに神園美月は、『じゃない方の白石くん』などと揶揄される兎和の個人マネージャーなんかを務めている。
いやいや、個人マネージャーってなんだ。俺たちまだ高校生だし、ただの一般人でしかない。なのに、噂じゃかなり甲斐甲斐しく世話を焼いているのだとか……あり得ないにも程がある。
確かに、最近は兎和の活躍が目立つ。腹立たしいことに『栄成サッカー部のエース』なんて担がれてもいる。だが、それはチームのサポートあってこそ。
サッカーにおいては、チーム戦術次第で選手のパフォーマンスが大きく変わるのは常識だ。不調だったFWが、チーム移籍をキッカケに大ブレイク。勢いそのまま得点ランキングに名を連ねる、なんて例はプロの世界でも珍しくない。
要するに、今はたまたま戦術にフィットしているだけ。そのおかげで、実力以上に高く見積もられている状態……と鷹昌がよく言っている。
俺も同感だ。でなければ、兎和が栄成にいるのはおかしい。あの黒瀬蓮のように名門と呼ばれる高校でプレーしていたはず。
それとも何か?
高校に入って、ポテンシャルが急激に開花したとでも言うつもりか?
マンガや小説じゃあるまいし……ならば、俺だって同等レベルに活躍できていたのではないか。
サッカーの実力は負けてない。フィジカルだって自信がある。明確に劣っているのは、身長とドリブルスキルくらいのものだ。
しかし俺には、得意の『裏抜け』の能力がある。不足を補って余りある。レーダーチャートで総合力を比較すれば、形は違えど大きさ自体はそこまで変わらないだろう。
チームの手厚いサポートさえ受けられれば、得点を量産してエースの座に収まっていたかもしれない。
だから、その事実を神園美月に理解させる。生憎と部活ではプレーする機会に恵まれておらず、アピールが上手くいっていない。そこで、今回の体育祭を利用するってわけだ。
もっとも、リレーで勝負なんてわかりづらすぎる。いくら走る順番を被せたところで、個々のランナーが与える影響は限定的。
つまるところ、リレー勝負はただの口実だ。個人マネージャーの件もブラフに近い。わかりやすく言えば、これは下準備。関係を近づけるためにも、小俣颯太という存在をしっかり意識させる必要がある。
ましてや猫のように警戒心が強い神園美月のことだ……ビビっているわけじゃないが、距離を詰めるなら慎重を期するべきである。
そう考えると、体育祭が待ち遠しいぜ。この俺が本来の実力さえ発揮できれば、陰キャの兎和ごときに負けるはずもない。
ニヤリ、と思わず唇の片端を持ち上げてしまった――ちょうどそのとき。
ふと毛色の異なる話題が耳に飛び込んできて、興味を引かれる。
「てかさ、志保にも困ったよね。急にやる気出されてもさぁ……皆で楽しくやってるんだから、空気悪くしないでほしい。そもそも自分だってそこまで上手くないじゃん」
「それね。ていうか私さ、体育祭のリレーで志保と走る順番が同じなんだよね。絶対に負けたくないんだけど」
志保、というと……D組の加賀志保のことだろう。スタイルがよく、人懐っこい笑顔で男子の人気を集める女子だ。会話する二人も、女バスのメンバーなので間違いない。
聞き耳を立ててみれば、どうやら部活に対するノリが合わなくて軽く衝突しているらしい。
なるほど、これは使えそうだ……俺の頭に浮かんだのは、体育祭でのクラス分け。
勝負の学年別リレーは男女混合。そして兎和と神園美月が所属するA組は青団で、加賀志保のD組も同じ。しかも揃って同種目に出場するときた。
ならば、勝率をあげるべく保険をかけるとしよう。もとより負ける気はしないが、俺は対決で手を抜かないタイプなんでな。それに、大差をつけた方が何かと要求を通しやすい。
俺は席を立ち、女バスの二人に声をかけた。
「なあ、さっきの話だけど。D組の加賀と走る順番が一緒なんだって?」
「そうだけど。急にどうしたの?」
「いや、加賀はちょっと空気を読めてないんだろ? だったら、ちゃんとわからせてやったほうがいいと思ってさ。こういうのはどうだ? リレーのときに、あえて体で進路を妨害するんだ。さりげなくな」
仮に自分のせいで負けたとなれば、加賀も落ち込んでトーンダウンするに違いない。それに栄成の体育祭は文字通りお祭りの要素が強いから、ペナルティもそこまで厳密にジャッジされるわけじゃない。あくまでちょっとした駆け引きの範疇に収まる。もっとも、実行できるかはタイミング次第だが。
「なにそれ、ルール的に問題ないの?」
「問題ない。ちょっと駆け引きするだけだ。うちの団が有利になるようにな」
やり過ぎないよう念を押しつつ、俺はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
それからチャイムが鳴るまでの間、女バスの二人と体育祭に向けて作戦を練るのだった。
***
「兎和くん、はいっ!」
「――はいっ!」
僕は背後へ右腕を伸ばしながら、タイミングを見て駆け出す。少し遅れて響く掛け声に合わせ、追走してきていた加賀さんからバトンを受け取る。ぱしりと手の平に感触が伝わった直後、今度はぐっと加速した。
今週の金曜日に体育祭の開催を控え、ますます盛り上がるスクールライフ。
中間テスト明けに『色分け抽選会』も実施されており、全クラスが色を冠した四つの『団』に配属済みだ。
具体的には、『赤・青・黄・白』の四色。そして抽選の結果、僕の所属するA組は『C組・D組』と共に青色のハチマキを巻くことになった。
それに伴い、開催当日までの詳細なスケジュールも公表されている。
配布された関連のプリントは、今年も練習日の割当表がメイン――栄成高校の各学年には12クラスが存在する。練習スペースの都合で、どの競技も本番までに二回ほどしか練習時間を確保できないのだ。
そんなわけで、よく晴れた本日の放課後。
人工芝が敷かれた多目的グラウンドの一画では、学年別対抗リレーの練習が行われていた。それも、体育祭を前にした最後の。
もちろん僕も参加中、しかもかなり真剣だ。なぜなら、うっかりアンカーに任命されてしまったのだ……責任重大すぎる。ハッキリ言ってメンタルがやばい。
とはいえ、ひとつ前の走者は加賀さんに決まったのでいくらか気は楽だ。男女混合ルールの恩恵である。
規定のコースを走ったら足を止め、軽く汗を拭いつつグラウンドの別方向へ目を向ける。
少し離れた場所では、美月たちが『玉入れ』の練習をしていた。きゃっきゃと楽しそう……僕も来年こそはあっちに混ざりたい。
「兎和くん、ちょっと休憩だって! さっきバトンのタイミングばっちりだったね! 私たち、けっこう相性いいのかも!」
「あ、うん。相性はどうかわからないけど、ようやくバトンの受け渡しに慣れてきたよ」
笑顔でこちらへやってきた加賀さんと、休憩がてらその場で雑談する。
部活で少しトラブっていると聞いたけど、見た感じは元気そう。今だけかもしれないけれど、僕との会話が気分転換にでもなったら嬉しい。彼女は大切な友人のひとりだから。
ところが、すぐに邪魔が入る。
同じくリレーの練習をしていた別の団のメンバーが、こちらへ近づき声をかけてきた。
「よう、兎和。なんか変な噂になってるな。まあ、外野は関係ない。俺たちはきっちりケリつけようぜ」
やってきたのは、赤団の小俣颯太くんと女子二名。
隣に立つ加賀さんが、少しだけ俯いた。この気まずそうな反応から察するに、女バスのメンバーに違いない。大丈夫かな……と僕が心配していると、髪の長い方の女子が口を開く。
「志保、私たちも勝負しよーよ。こっちがリレーで勝ったら、部活で張り切るのやめて。その代わり、そっちが勝ったら居残り練習に付き合うってどう? 本気でバスケやるよ」
この提案……もしかしたら、加賀さんの状況が改善するかもしれない。
本人もそう思ったのか、すっと顔を上げた。その瞳には力強い光が宿っている。どうやら望むところらしい。いつもの元気が戻ってきたみたい。
もとより、負けるつもりは微塵もない。
だったら、答えはもう決まっている。
「勝つのは青団だ!」
「かかってこい!」
僕と加賀さんの声が重なった。
なんとも小気味いい偶然に少し驚き、思わず二人して見合って微笑む。せっかくのイベントだし、そうこなくっちゃ。楽しみながら一緒に勝とう。
「その言葉を忘れんじゃねーぞ。じゃあまた部活でな、兎和」
「志保も忘れないでね。それまではお互い静かにしてよう」
捨て台詞を残し、去っていく小俣くんと女バスの二人。
僕は改めて加賀さんと向き合い、声を掛ける。
「加賀さん。体育祭、絶対に勝とう!」
「うんっ! 絶対に勝とうね!」
やることが明確になり、逆にスッキリしてきた。
さあ、今年も間もなく体育祭がやってくる――どうか当日も晴れますように。ささやかな願いを胸に抱き、僕は5月末の青空を見上げた。
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